永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1004)

2011年09月29日 | Weblog
2011. 9/29      1004

十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(65)

 お邸もこの度が見収めであろうとお思いになれば、あわれもひとしおで、あちこち廻ってご覧になりますと、故宮の御持仏もみなあちらのお寺に移してしまわれたので、ただ弁の尼のお勤行の道具だけが置いてあるのでした。弁の尼のこの先の暮らしを案じて、薫が、

「この寝殿はかへて造るべきやうあり。つくり出でむ程は、かの廊にものし給へ。京の宮にとり渡さるばき物などあらば、庄の人召して、あるべからむやうにものし給へ」
――この寝殿は改装しなければならない訳があるのです。それが出来上がるまでは、あちらの廊にいらっしゃい。都の御方(中の君)にお届けするものがあったら、私の料地の者を呼んで、しかるべく申しつけなさい――

 などと、濃やかにおっしゃいます。

「ほかにては、かばかりにさだ過ぎたらむ人を、何かと見入れ給ふべきにもあらねど、夜も近く臥せて、昔物語などせさせ給ふ。故権大納言の君の御ありさまも、聞く人なきに心やすくて、いとこまやかにきこゆ」
――他所ではこれ程年老いた人を、薫のような身分の方が何かと面倒を見ることはないものですが、夜も弁の君をお側近くに寝すませて、昔物語などおさせになります。故権大納言の君(亡き柏木=薫の父)の御有様も、そばで聞いている人もいないので安心して、弁の君は細々とお話申し上げるのでした――

「今はとなり給ひし程に、めづらしくおはしますらむ御ありさまを、いぶかしきものに思ひきこえさせ給ふめりし御けしきなどの、思ひ給へ出でらるるに、かく思ひかけ侍らぬ世の末に、かくて見たてまつり侍るなむ、かの御世にむつまじく仕うまつり置きし験のおのづから侍りける、と、うれしくも悲しくも思ひ給へられ侍る」
――(あなたさまの故父上が)ご臨終の際に、お可愛くいらっしゃる筈の貴方様のことを、御覧になりたく思っておられたらしいご様子が、今もなお、まざまざと思い出されますにつけましても、このように思いがけない長生きをしてしまいました今、こうしてお目にかかりますことは、柏木の君の御在世中、親しくお仕え申し上げました甲斐が、自然現れたのでございましょうと、うれしくも悲しくも存じます――

 つづけて、

「心憂き命の程にて、かくさまざまのことを見給へ過ぐし、思ひ給へ知り侍るなむ、いとはづかしく心憂くはべる。宮よりも、時々は参りて見奉れ、おぼつかなく絶え籠り果てぬるは、こよなく思ひへだてけるなめり、など、のたまはする折々侍れど、ゆゆしき身にてなむ、阿弥陀仏よりほかには、見たてまつらまほしき人もなくなりて侍る」
――甲斐ない命を長らえました間に、こうしてあれこれと辛い事を見てもきましたし、思い知りも致しました事が、まことに恥ずかしく情けないことでございます。宮の御方(中の君)からも、時折りは逢いにくるように、引き籠もったきり便りもよこさないのは、あまりにも他人行儀な、などと度々御文をいただいたりもしますが、私は縁起でもない尼の身ですから、阿弥陀様よりほかにお目にかかりたい方もなくなっております――

 などと申し上げます。

では10/1に。

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