永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1005)

2011年10月01日 | Weblog
2011. 10/1      1005

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(66)

 弁の尼との御物語は尽きず、今更ながら大君のおっとりとしたお人柄を思い出されて、残念さは言葉につくせないのでした。薫はお心の中で、

「宮の御方は今すこし今めかしきものから、心ゆるさざらむ人の為には、はしたなくもてなし給ひつべくこそものし給ふめるを、われにはいと心深く情け情けしとは見えて、いかですごしてむ、とこそ思ひ給ひつれ」
――宮の御方(中の君)は、大君よりも少し当世風に華やいだところがおありだが、気心の知れない男に対しては、すげない態度もおとりになれそうにお見えになるものの、自分に対してだけは、思慮深くほどほどに情味をみせながら、何とか清らかに過ごそうとしておいでになる――

 などと、大君と比べてお思いになります。

「さて、物のついでに、かの形代の事を言ひ出で給へり」
――(薫は)物語のついでに、あの人形(ひとがた)浮舟のことをお口に出されますと――

 弁の尼は、

「京にこの頃侍らむとはえ知り侍らず。人伝にうけたまわりし事の筋ななり。故宮の、まだかかる山里住みもし給はず、故北の方亡せ給へりけるほど近かりける頃、中将のくんとてさぶらひける上臈の、心ばせなどもけしうはあらざりけるを、いと忍びて、はかなき程に物のたまはせける、知る人も侍らざりけるに、女子をなむ産みて侍りけるを、さもやあらむ、と思すことのありけるからに、あいなくわづらはしくものしきやうに思しなりて、またとも御覧じ入るる事もなかりけり」
――京にこのごろお出でかどうかは存じません。私も人伝てに伺ったことです。故宮(八の宮)がまだこのような山住みもなさららず、北の方がお亡くなりになったその頃、中将の君といってお仕えしていました上臈女房で、気立てなども悪くありませんでした人を、八の宮がひそかにほんのちょっと情をおかけになりました。誰も存じませんでしたが、それがやがて女の子を生みましたのを、故宮ご自身もわが子とはお思いになりながらも、ご出家を志される身には厄介な煩わしいこととお思いになり、もう二度とその女にお逢いになることはございませんでした――

◆上臈女房(じょうろうの女房)=身分の高い家柄の者で女房仕えをしている人。中臈、下臈といた。

では10/3に。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。