永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(903)

2011年02月27日 | Weblog
2011.2/27  903

四十六帖 【総角(あげまき)の巻】 その(80)

 大君は、

「かの世にさへ妨げきこゆらむ罪の程を、苦しき心地にも、いとど消え入りぬばかり覚え給ふ。いかで、かのまださだまり給はざらむ先にまうでて、同じ所にも、と、聞き伏し給へり」
――あの世においてまで、父君のご往生を妨げもうしているご自分の罪障の程を、苦しい御病気の中で、いよいよ絶え入らんばかりにお嘆きになります。何とかして、まだ父君の往生される先が定まらないうちに、父君の許に参って、同じ所に生まれかわりたい、と、お心も千々に乱れながら臥せっておいでになります――

 阿闇梨は言葉少なに席を立っていかれました。

「この常不経、そのわたりの里々、京までありきけるを、暁の嵐にわびて、阿闇梨のさぶらふあたりを尋ねて、中門のもとに居て、いと尊くつく。回向の末つ方の心ばへいとあはれなり。客人もこなたに進みたる御心にて、あはれしのばれ給はず」
――この常不軽のお勤めをする僧は、山里付近の村々から京まで歩きまわりましたが、寒々と吹き荒れる明け方の嵐に難渋して、阿闇梨の勤行しておられるあたりに向い、中門のところに座って大そう尊げに額づいています。その回向(えこう)の結びの「まさに仏となるを得べし」という言葉は、ひとしお深く胸に沁み入るものがありました。客の薫も仏道には並々ならずお心をこめていらっしゃることとて、感慨にむせんでいらっしゃいます――

「宮の夢に見給ひけむ様おぼし合はするに、かう心ぐるしき御ありさまどもを、天翔けりてもいかに見給ふらむ、と推し量られて、おはしましし御寺にも、御誦経せさせ給ふ」
――(薫は)八の宮が阿闇梨の夢にお見えになった状態を思いあわされますにつけて、このようなお気の毒な姫君たちのご様子を、八の宮はあの世から、どうご覧になっていらっしゃるのか、と、ご推量なさって、八の宮が籠られた阿闇梨のお寺にも、追善の読経をおさせになります――

「所々に、御いのりの使い出だしたてさせ給ひ、公にも私にも、御暇のよし申し給ひて、祭り祓、よろづにいたらぬ事なくし給へど、物の罪めきたる御病にもあらざりければ、何のしるしも見えず」
――(薫は)方々の御寺に御祈祷のお使いをお遣わしになり、宮中にもお邸にもお暇を申し出て、祭りや祓など万事ぬかりなくとりおこなわれましたが、格別何かの罪障の報いというご病気でもありませんので、いっこうにご快復の験(しるし)もあらわれません――

では3/1に。


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