永子の窓

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蜻蛉日記を読んできて(99)の2

2016年02月20日 | Weblog
蜻蛉日記  中卷  (99)の2  2016.2.20

「三日、また申の時に一日よりもけにののしりて来るを、『おはします おはします』と言ひ続くるを、一日のやうにもこそあれ、かたはらいたしと思ひつつ、さすがに胸はしりするを、近くなればここなる男ども中門おし開きて、ひざまづきてをるに、むべもなく引き過ぎぬ。今日まして思ふこころおしはからなん。」
◆◆三日(四日の誤記か)、また申の時(午後三時~五時ごろ)に、一日のときよりも一層高らかに先払いの声をしてくるので、侍女たちが「お越しです。お越しです」と言い続けているものの、この間のようになる恐れもあるし、心苦しく切なく思いつつも、やはりどこか胸がどきどきしていたのです。しかし、一行が近づいてきたので、召使いたちが中門の扉を開いて、膝まづいているのに、案の定素通りしてしまったのでした。今日は先日にも増してどんなに辛く恥ずかしい思いであったか、私の心中を察してほしい◆◆



「またの日は、大饗とてののしる。いと近ければ、こよひさりともと心みんと、人しれず思ふ。車の音ごとに胸つぶる。夜よきほどにて、みな帰る音も聞こゆ。門のもとよりもあまた追ひ散らしつつ行くを、過ぎぬと聞くたびごとに心はうごく。かぎりと聞き果てつれば、すべてものぞおぼえぬ。あくる日まだつとめて、なほもあらで文見ゆ。返りごとせず。」
◆◆次の五日は、右大臣藤原伊尹邸での大饗宴とてたいそう騒がしい。我が家にたいへん近いので、あの人はいくらなんでも今夜こそは来るのではないか、様子を見てみようと内心では思っていました。車の通る音ごとに胸がどきどきする。夜がかなり更けたころ、招かれた人々が帰って行く車の音も聞こえてきます。我が家の門のすぐそばを通って、次々と威勢よく先払いしながら過ぎていくのを、ああ一台過ぎた、また一台、と聞くごとに胸がうずく。今通り過ぎたのが最後の車だったと聞き終わってしまうと、私は呆然として放心状態になってしまったのでした。
翌朝、早くに、あの人は放っておくわけにもいかないと見えて手紙を寄こした。私は返事をしない。◆◆

■三日=「大饗」が五日なので、その前日として四日の誤記か。

■かたはらいたし=心苦しく、切ない

■大饗(だいきょう)=正月に中宮・東宮・摂関・大臣家で行われた大饗宴。ここは右大臣伊尹(これただ=兼家の兄)

■いと近ければ=藤原伊尹邸は一条大宮、作者邸は一条西洞院で、近い

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