永子の窓

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蜻蛉日記を読んできて(129)

2016年06月06日 | Weblog
蜻蛉日記  中卷  (129) 2016.6.6

「さて明けぬれば、大夫、『何事によりてにかありけんと、まゐりて聞かん』とてものす。『よべはなやみたまふことなんありける。<にはかにいと苦しかりしかばなん、え物せずなりにし>となん、のたまひつる』と言ふしもぞ、聞かでぞおいらかにあるべかりけるとぞおぼえたる。『障りにぞある、重し』とだに聞かば、何を思はましと思ひむつかるほどに、尚侍の殿より御文あり。
◆◆さて、夜が明けると、大夫(道綱)が、「どのような理由だったのでしょうか、お邸に参って聞いて参りましょう」と言って出かけました。帰ってきて「昨夜は急にご気分が悪くなられたことがありました。『急にひどく苦しくなって、行けなくなった』と、仰っていました」と告げるので、それならばいっそのこと何も聞かないで、穏やかにしていれば良かったと思ったのでした。「体の障りがあって非常に苦しいので行けぬ」とだけでも言ってくだされば、何をくよくよと思い悩むこともなかったのにと気分が悪いときに、尚侍(登子)さまよりお手紙が参りました。◆◆



「見れば、まだ山寺かとおぼしくて、いとあはれなるさまにのたまへり。『などかは、さ繁さまさる住ひをもしたまふらん。されどそれにも障りたまはぬ人もありと聞く物を、もて離れたるさまにのみ言ひなしたまふめれば、いかなるぞとおぼつかなきにうけても、
<妹背川むかしながらのなかならば人のゆききの影は見てまし>
◆◆拝見すると、私がまだ山寺に居るのかとお思いのようで、大層しみじみと身にしみるようなお手紙です。「どうして、そのような物思いのいや増さるようなお住いをしていらっしゃるのでしょう。それでもそんな山住まいの方を尋ねていく人(兼家)もいると聞きますが、あなたさまは兄とすっかり疎遠になっているようにばかりおっしゃいますので、いったいどうしたことかと気がかりになりますにつけても、
(尚侍の歌)「夫婦仲が昔どおりであったなら、あなたの許に通っていく兄の姿を見ることができるでしょうに」



「御かへりには、『山の住ひは、秋のけしきも見給へんとせしに、また憂き時のやすらひにて中空になん。繁さは知る人もなしとこそ思うたまへしか。いかに聞こしめしたるにか、おぼめかせたまふにも、げにまた、
<よしや身のあせんなげきは妹背山なか行水の名もかはりけり>
などぞきこゆる。」
◆◆お返事には、「山の住いでは秋の景色も見る予定でしたが、山でも苦しいのは同じで、どうこうしているうちに、下山しましても、どっちつかずの心もとない日々です。この私の物思いの深さは知る人もないと存じておりましたのに、どのようにお耳になさいましたのか、お手紙にありますのも、そのとおりで、
(道綱母の歌)「夫(兼家)の愛情が自分に薄くなるのを嘆いても仕方がありません。もはや私たちは夫婦とは言えない間柄になってしまったのです」
と言うようなことを申し上げました。◆◆


■よしや身の…=古今集「流れては妹背の山の中に落つる吉野の皮のよしや世の中」を本歌とする。

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