永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(551)

2009年11月05日 | Weblog
 09.11/5   551回

三十六帖【柏木(かしわぎ)の巻】 その(34)

一条の邸では、

「伊予簾かけわたして、鈍色の几帳の衣がへしたる透影、涼しげに見えて、よきわらはの、こまやかににばめる汗袗のつま、頭つきなどほの見えたる、をかしけれど、なほ目おどろかるる色なりかし」
――伊予簾を掛け渡し、鈍色の几帳の帷子(かたびら)も夏のものに衣替えしてありますので、内に透いて見える人影も涼しそうで、美しげな女童の濃い鈍色の汗袗の端や、髪型などがちらりと見えていますのも、風情がありますが、やはりいずれも喪の鈍色なので、心の滅入る痛々しさです――

 夕霧は、今日は簀子(すのこ)にお座りになっておられますので、お褥(しとね)を女房がお出しして、御息所のお出ましをお願いしますが、この頃お加減が悪く、奥で寄り伏していらっしゃる。女房が何かとお相手をしております間、夕霧はお庭の木立が若緑の枝を快げにそよそよと風に吹かれている気色をご覧になっているうちに、ご自分も、もののあわれにお心がそよぐのでした。

 柏の木と楓が他の木より目立って若々しく、枝を差し交わしているのをご覧になって、夕霧が「あの柏木と楓とはどうした因縁があるのでしょう。枝先がつながっていてたのもしい事ですね」と落葉の宮の許におっしゃるようにして、(歌)

「『ことならばならしの枝にならさなむ葉守の神のゆるしありきと』」御簾の外の隔てある程こそ、うらめしけれ」
――「同じく親しくするなら、もっと身近な連理の枝として、親しませていただきたい。(葉守の神のゆるし=落葉の宮を見守って欲しいという柏木の遺言)」御簾の外に隔てられている身が恨めしいことです――

 落葉宮は、少将という女房に返歌を言付けます。落葉の宮の(歌)

「『かしは木にはもりの神はまさずとも人ならすべき宿のこずゑか』うちつけなる御言の葉になむ、浅う思ひ給へなりぬる」
――「柏木には葉守の神が宿っていなくても人を近付ける梢ではありません。(私に夫がなくても、別の人を近付けようなどとは思いもよりません)無遠慮なお言葉をうかがって、あなたが浅はかな方だと思えてきました――
 このご返事に、夕霧は、それもそうだ、とお思いになって苦笑いなさる。

◆伊予簾(いよす)=伊予の国特産の細い篠で編んだ簾(すだれ)

ではまた。