勝龍寺の近くに勝龍寺城公園がある。
無料駐車場が8台分ぐらいありましたので、
ここに車を停めさせていただきました。
【概要】
歴応2年(1339)に細川頼春が築城したといわれ、
天正6年(1578)明智光秀の娘、玉(後のガラシャ夫人)が細川忠興に嫁いだ城で、
後年の山崎の合戦では光秀がここに本陣を構えました。
鉄砲の時代に対応した先駆的な築城技術を用いた城で、
我が国の城郭史上でも貴重なモノであることが発掘調査で明らかになりました。
この跡地が管理棟(資料展示室)、櫓や庭園などを備えた都市の公園の姿で復興しました。
【外観】
さぁ、中に入ってみましょう。
【石柱】
なんというか物凄い彫刻がされていました。
【南門】
【管理棟】
お城の櫓チックに見えるこの建物の二階には資料館となっていました。
撮影不可でした。
【石仏群】
発掘された石仏や石塔です。
城の建設にはこのような石仏や石塔が使われていたんですよね。
全く残念なことです。
【外堀】
正直、観光で来たらガッカリ感を感じざるを得ない。
もう少し来て良かったなぁ、と思えるものがほしい。
無料駐車場が8台分ぐらいありましたので、
ここに車を停めさせていただきました。
【概要】
歴応2年(1339)に細川頼春が築城したといわれ、
天正6年(1578)明智光秀の娘、玉(後のガラシャ夫人)が細川忠興に嫁いだ城で、
後年の山崎の合戦では光秀がここに本陣を構えました。
鉄砲の時代に対応した先駆的な築城技術を用いた城で、
我が国の城郭史上でも貴重なモノであることが発掘調査で明らかになりました。
この跡地が管理棟(資料展示室)、櫓や庭園などを備えた都市の公園の姿で復興しました。
【外観】
さぁ、中に入ってみましょう。
【石柱】
なんというか物凄い彫刻がされていました。
【南門】
【管理棟】
お城の櫓チックに見えるこの建物の二階には資料館となっていました。
撮影不可でした。
【石仏群】
発掘された石仏や石塔です。
城の建設にはこのような石仏や石塔が使われていたんですよね。
全く残念なことです。
【外堀】
正直、観光で来たらガッカリ感を感じざるを得ない。
もう少し来て良かったなぁ、と思えるものがほしい。
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