Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

北野東向観音寺(2014年9月27日参拝)

2014-10-23 | 洛陽三十三所観音霊場
福勝寺参拝後、北野天満宮に移動し北野東向観音寺へ参ります。

こちらも洛陽の札所です。

車は北野東向観音寺でも何台か停めれますが、
受験シーズン前以外は北野天満宮の駐車場に停めれてもいいでしょう。
縁日の25日は第二駐車場(40台)のみとなります。

北野天満宮の参拝者専用駐車場が、
確か2時間くらいだと無料なのが嬉しいですね。


所在地:京都市上京区今小路通御前通西入上る観音寺門前町863
宗派:真言宗泉涌寺派
御本尊:十一面観世音菩薩
開基:藤原小黒麿
創建:延暦25年(806)
札所:洛陽三十三観音霊場



【縁起】
寺伝によると延暦25年(806)に桓武天皇の勅を奉じて
藤原小黒麿らが皇城鎮護の為に建立され、当初は朝日寺と呼ばれていた。

天暦元年(947)に朝日寺の僧、最鎮らが天満宮を建立した後の応和元年(961)、
筑紫の観世音寺より菅原道真公御作の十一面観世音菩薩を請来し安置された。

応長元年(1311)無人如導宗師が中興し、花園・後醍醐・光厳・光明の四天皇信仰深く
筑紫の観世音寺に擬して観世音寺または観音寺と改称し、
天満宮御本地仏・北野神宮寺または奥之院とも称した。

本堂が東を向くことから東向観音と称されるようになる。
元は東向・西向の両堂あったが、応仁の乱や火災等で焼失し、
西向きは再興されず東向観音堂のみ再建された。

江戸時代に入ると一條家の祈願所となり、
一條家出身で明治天皇の皇后になられた昭憲皇太后は、
ご結婚なされる前に当寺で勉学に励まれたと言われている。

江戸時代の後期頃より寺名は観音寺となった。


【山門】


北野天満宮の第二鳥居を入った参道沿いにお寺があるのですが、
あることすら知りませんでした。

駐車場の反対側にあることと、車だと参道を歩くことが余りないこともあって、
北野天満宮の繁栄ぶりとは対照的に閑散としております。


【本堂】


慶長12年(1607)北野天満宮本殿などを再建おりに、
天満宮と同じく奉行を片桐且元とし豊臣秀頼公によって再建されたもの。

御本尊は菅公御作の十一面観世音菩薩で、
25年に一度の御年祭の年のみ御開帳される秘仏である。
次の御開帳は1125年祭の平成39年(2027)。


【白衣観音堂】


明暦元年(1655)に中国明国の陳元贇禅師より寄進された観音像、
一條家大政所殿が元禄年間に寄進された西国三十三所観音像、
徳川3代将軍家光の長女の千代姫が寄進された厨子が安置されています。


【延命地蔵】



【手水鉢】





【岩雲弁財天】



【行者堂】



【伴氏廟】







【御朱印】


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