戒壇院、観世音寺と偶然に素晴らしいお寺に出会い、
感動の余韻に浸りながら太宰府天満宮の駐車場に到着。
さすがに超メジャーな神社だけあって、
有料(500円)の大型駐車場です。
これだけ大きいと駐車場を経営してる人は、
たんまりと儲けていることでしょうね。(笑)
正直に言うと大宰府天満宮はベタ過ぎてあんまり行く気は無かったけど、
これだけ有名な神社を華麗にスルーするのは天邪鬼過ぎるだろ、
ってことで初めて参拝させていただきます。
所在地:福岡県太宰府市宰府4丁目7番1号
主祭神:菅原道真公
創建延喜19年(919)
社格:官幣中社
札所:菅公聖蹟二十五拝
【歴史】
右大臣であった菅原道真は昌泰4年(901)に左大臣藤原時平らの陰謀によって
筑前国の大宰府に権帥として左遷され、翌々延喜3年(903)に同地で薨去した。
薨後、その遺骸を安楽寺に葬ろうとすると葬送の牛車が同寺の門前で動かなくなった為、
これはそこに留まりたいのだという道真の遺志によるものと考え、延喜5年8月、
同寺の境内に味酒安行が廟を建立、天原山庿院安楽寺と号した。
一方都では疫病や異常気象など不吉な事が続き、
これを「道真の祟り」と恐れてその御霊を鎮める為に、
醍醐天皇の勅を奉じた左大臣藤原仲平が大宰府に下向、
道真の墓所の上に社殿を造営し、延喜19年(919年)に竣工したが、
これが安楽寺天満宮の創祀で、正暦元年(990)頃からは、
社号としての「天満宮」も併用された。
道真の御霊に対する恐れも少なくなってきた中世頃から、
道真が生前優れた学者であったことにより学問の神としても信仰されるようになった。
明治に入り近代社格制度のもとで明治4年(1871)に
国幣小社に列格するとともに神社名を太宰府神社に変更した。
明治14年(1881)には官幣小社に昇格、次いで同28年(1895)には官幣中社に昇格。
神社の国家管理を脱した戦後の昭和22年(1947)に社号を太宰府天満宮に復した。
【参道鳥居】
長い参道の両端には多くの店が並び活気に満ち溢れていました。
さすがに観光客も多いですが、歩いているだけで楽しくなります。
梅ヶ枝餅の店も多かったですね。
てっきり私の大嫌いな梅か梅干しが入ってると思ってたので、
結局買いませんでしたが、梅は入って無いんですね。(^^;
【延壽王院】
【鳥居】
【心字池】
【太鼓橋】
優雅な雰囲気です。
【境内】
【境内社】
今王社。
志賀社。
重要文化財。
楓社。
【麒麟像】
神馬じゃなく麒麟というのは珍しいですね。
初めて見ました。
【境内社】
【手水舎】
デカいです。
【楼門】
楼門自体は見事なものですが、
それには不釣り合いと見えるカラフルなモノが二階部分にありました。
「飛龍天神ねぶた」と書かれていたので、
青森のねぶたと何か交流があるんですかね。
慶長年間(1596-1615)に石田三成が再興、
明治時代に焼失し大正3年(1914)に再建されたもの。
【狛犬】
【本殿】
これは見事。
実に素晴らしい建築です。
重要文化財だけど、個人的には国宝に認定したい。
【境内社】
【相輪塔】
【本殿】
【中島神社】
【鐘楼堂】
神仏習合の名残でしょうね。
【楼門】
【本殿】
【絵馬】
【境内社】
【筆塚】
【夫婦楠】
【包丁塚】
【御朱印】
二種類ありました。
なかなか達筆であります。
【感想】
ずっと前にも書いたが、人が人を神として祀ることはあっても、
私は人が神になることは無いと思っている。
しかし太宰府天満宮のようにこれほどの人々を寄せ付けるパワーは、
まさに神の成せる業なんだろう。
感動の余韻に浸りながら太宰府天満宮の駐車場に到着。
さすがに超メジャーな神社だけあって、
有料(500円)の大型駐車場です。
これだけ大きいと駐車場を経営してる人は、
たんまりと儲けていることでしょうね。(笑)
正直に言うと大宰府天満宮はベタ過ぎてあんまり行く気は無かったけど、
これだけ有名な神社を華麗にスルーするのは天邪鬼過ぎるだろ、
ってことで初めて参拝させていただきます。
所在地:福岡県太宰府市宰府4丁目7番1号
主祭神:菅原道真公
創建延喜19年(919)
社格:官幣中社
札所:菅公聖蹟二十五拝
【歴史】
右大臣であった菅原道真は昌泰4年(901)に左大臣藤原時平らの陰謀によって
筑前国の大宰府に権帥として左遷され、翌々延喜3年(903)に同地で薨去した。
薨後、その遺骸を安楽寺に葬ろうとすると葬送の牛車が同寺の門前で動かなくなった為、
これはそこに留まりたいのだという道真の遺志によるものと考え、延喜5年8月、
同寺の境内に味酒安行が廟を建立、天原山庿院安楽寺と号した。
一方都では疫病や異常気象など不吉な事が続き、
これを「道真の祟り」と恐れてその御霊を鎮める為に、
醍醐天皇の勅を奉じた左大臣藤原仲平が大宰府に下向、
道真の墓所の上に社殿を造営し、延喜19年(919年)に竣工したが、
これが安楽寺天満宮の創祀で、正暦元年(990)頃からは、
社号としての「天満宮」も併用された。
道真の御霊に対する恐れも少なくなってきた中世頃から、
道真が生前優れた学者であったことにより学問の神としても信仰されるようになった。
明治に入り近代社格制度のもとで明治4年(1871)に
国幣小社に列格するとともに神社名を太宰府神社に変更した。
明治14年(1881)には官幣小社に昇格、次いで同28年(1895)には官幣中社に昇格。
神社の国家管理を脱した戦後の昭和22年(1947)に社号を太宰府天満宮に復した。
【参道鳥居】
長い参道の両端には多くの店が並び活気に満ち溢れていました。
さすがに観光客も多いですが、歩いているだけで楽しくなります。
梅ヶ枝餅の店も多かったですね。
てっきり私の大嫌いな梅か梅干しが入ってると思ってたので、
結局買いませんでしたが、梅は入って無いんですね。(^^;
【延壽王院】
【鳥居】
【心字池】
【太鼓橋】
優雅な雰囲気です。
【境内】
【境内社】
今王社。
志賀社。
重要文化財。
楓社。
【麒麟像】
神馬じゃなく麒麟というのは珍しいですね。
初めて見ました。
【境内社】
【手水舎】
デカいです。
【楼門】
楼門自体は見事なものですが、
それには不釣り合いと見えるカラフルなモノが二階部分にありました。
「飛龍天神ねぶた」と書かれていたので、
青森のねぶたと何か交流があるんですかね。
慶長年間(1596-1615)に石田三成が再興、
明治時代に焼失し大正3年(1914)に再建されたもの。
【狛犬】
【本殿】
これは見事。
実に素晴らしい建築です。
重要文化財だけど、個人的には国宝に認定したい。
【境内社】
【相輪塔】
【本殿】
【中島神社】
【鐘楼堂】
神仏習合の名残でしょうね。
【楼門】
【本殿】
【絵馬】
【境内社】
【筆塚】
【夫婦楠】
【包丁塚】
【御朱印】
二種類ありました。
なかなか達筆であります。
【感想】
ずっと前にも書いたが、人が人を神として祀ることはあっても、
私は人が神になることは無いと思っている。
しかし太宰府天満宮のようにこれほどの人々を寄せ付けるパワーは、
まさに神の成せる業なんだろう。
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