Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

安倍文殊院(2013年2月3日参拝)

2013-03-03 | 大和七福八宝巡り
大神神社を後にし大和七福八宝めぐりの札所である安倍文殊院へ。

こちらに参るのは約2年振り。
何と言っても男前な御本尊様にお会い出来るのが楽しみです。


所在地:奈良県桜井市阿部645
宗派:華厳宗
御本尊:文殊菩薩
創建:飛鳥時代
開基:安倍倉梯麻呂
札所:大和ぼけ封じ霊場、大和十三仏霊場 3番、大和七福八宝めぐり、神仏霊場巡拝の道 第34番


【略記】
西暦645年(大化元年)に安倍一族の本拠地の中心地であったここ阿部の地に、
大化の改新新政府の左大臣となった安倍倉梯麻呂公が安倍一族の氏寺である
安倍寺を建立したのが始まりである。

7世紀の安倍一族の勢力は最高潮を迎え一族の力を誇示する意味も含めて、
安倍寺は法隆寺式七堂伽藍配置の大寺院として威風堂々の姿で建立されたのである。

平安時代に安倍晴明が誕生し没後に「魔除け災難除けの神」として祀られるようになると
一般庶民を含めた祈祷の寺の色彩を強めていった。

平安時代中期頃の安倍寺は奈良十五大寺の一つとして挙げられており、
寺坊四十九坊の存在が記録として残されている。

しかし当時隣接して勢力を誇った現在の談山神社の前身である
多武峯妙楽寺衆徒の襲撃によって安倍寺は全山消失の憂き目に逢うのである。

かくして本山の安倍寺は再建される事無く別所寺院の現在地に統合された。

晴明公没後、彼は「文殊菩薩の化身」という信仰が世間に広まった事から、
当寺でも最大級の文殊菩薩像が快慶によって造られ全国的に信仰を得ていくのである。

二十八坊の寺運を誇るも永禄6年(1563)、松永弾正の兵火に逢い一山ほとんどが灰燼に帰した。

幸いにも文殊菩薩他三体の像は災を免れた。

その後、寛文5年(1665)に本堂と礼堂が再建。

創建以来1360年余の星霜を経ているが「あらゆる願いを叶えるご祈祷の寺」として
常に一般道浴の信仰を集め今日に到っている。


【表山門】


有料駐車場とは反対の場所に有る為、
いったん境内を横切り山門へ。

めんどくさいけど山門から入るのが私の流儀である。
ってそんな偉そうなもんじゃないけどね。(^^

下馬の石碑が豪快ですね。

下馬しやがれ!って感じですね。(笑)


【参道】



【お地蔵さん】



【礼堂】



【本堂】



こちらにあの文殊菩薩様がおられます。

一番最初に訪れた時は本堂内には入りませんでした。

いくら抹茶とらくがん付きとはいえ拝観料が700円と結構ヘビーな金額だし、
飲みたくもない抹茶が出されるから。

抹茶なんか要らないから拝観料を安くしてくれと思ったもんです。(苦笑)

でも次に訪れた時は拝観料を渋々支払って見たよ。

そしたら前回入らなかったことを後悔した。

要らない抹茶を飲んででも文殊菩薩様を見ないと損すると思ったよ。

それぐらい快慶作の文殊菩薩像だけあって本当に素晴らしい。


【抹茶とらくがん】


はやる気持ちを抑える為か本堂を参る前室でいただきます。

飲みなれてくると抹茶も悪くないですね。


【文殊菩薩】


堂内撮影禁止なんでネットで拾った画像です。

思ってた以上に大きくて何と言ってもキリリとした男前ぶりは、
他の仏様の追随を許さない。

文殊菩薩だけあってブサイクだと説得力が無いもんね。


僧侶と祈祷者以外入れない大収蔵庫の入り口の前に陣取り、
30分くらいは見ていたでしょうか。

本当に全く飽きません。

さすが天才仏師快慶作ですね。

よくぞ現代まで残ってくれたものである。


【釈迦堂】


本堂と繋がっており釈迦三尊像が祀られていました。


【本坊】



【鐘楼】



【稲荷社】




安倍晴明誕生秘話にまつわる「くずは稲荷」として祭られています。


【文殊院西古墳】




安倍倉梯麻呂公の墓と伝えられているそうです。



玄室には弘法大師お手作りとされる願掛け不動の石仏が祀られていました。

それにしても石の切り方、組み方が凄い。

まるで現代に造られたかのようです。


【仲麻呂堂】


有料なんでいまだに入堂したことございません。


【金毘羅大権現】





【十一面観音像】





【弘法大師像】







【閼伽井古墳】







【白山堂】




重要文化財。

白山菊理姫が主神として祀られている鎮守社。


【ウオーナー博士供養塔】




有難うウオーナー博士。


【ジャンボ花絵】



【天文観測の地】



【安倍晴明堂】





【不動堂】



【御朱印】







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