Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

高野山金剛三味院、普賢院(2011年5月2日参拝)

2011-05-16 | 高野山
金剛三昧院は尼将軍北条政子が、夫の源頼朝と息子実朝の菩提を弔う為に建立。

高野山真言宗別格本山で御本尊は愛染明王(仏師・運慶の作)


仏塔古寺十八尊第11番霊場。
西国愛染十七霊場第17番霊場。


高野山の中でも金剛三味院は楽しみにしてました。
それは国宝の多宝塔が見れるからです。





【表門】


実に渋い造りですね。

門の中にある鐘楼は重要文化財指定されているもので、
1207~1210年の銘が書かれていることから、
現存する鐘楼では16番目に古いものと言われています。


【本堂】


入場料は取られませんでした。

まずは本堂で参拝。

賽銭箱を見てみると本堂などの修理代として300円お納めくださいと書かれていた。

後で見た徳川家霊台が正直大したことないのに200円拝観料が必要なら、
こちらは拝観料300円を取ればいいと思う。


【経蔵】


建立は貞応2(1223)年頃で建築様式が奈良にある東大寺正倉院などと同じ
校倉造りをしており鎌倉時代初期の校倉造りの建立物としては現存状態が非常によく、
重要文化財に指定されています。

内部には「高野版」と呼ばれる経典が書かれた版木が500枚以上収められています。



【六本杉】


別名毘張杉と呼ばれるのは金剛三味院の守り神である毘張尊師と呼ばれる天狗様が、
この杉の木に舞い降りてきたことに由来しています。
樹齢400年とも言われる杉の大木です。


【多宝塔】




国宝。

運慶作と伝えられる重要文化財に指定されている
秘仏五智如来像が安置されています。

建立は貞応2(1223)年で高野山で現在残っている最も古い建立物。
また多宝塔としても滋賀県大津市の石山寺に次いで二番目に古いものです。

見る人によっては古びた塔にしか見えないと思うが、
分かる人が見れば優美かついぶし銀な渋さを感じ取れると思います。


【御朱印】


今回は御本尊の愛染明王の御朱印をいただきました。



金剛三味院は高野山のメインストリートから外れた静かな場所にあるし、
境内の雰囲気が結構寂れた感があります。

ですがHPを見ると宿坊の方丈や庭、部屋などはいい感じだし、
今回残念ながら見ることが叶わなかった御本尊様など、
私が見たのは一部に過ぎない。


もちろん国宝の多宝塔は良かったです。
高野山に来てこの塔を見ないで帰るのは損しますよ。


次回、高野山に来た時はこの多宝塔と共に、
御本尊様のお顔を拝見したいものである。



金剛三味院を後にし徳川家霊台や女人堂へ向かう途中、
立派な門構えの山門を目にする。




時間があんまり無かったけど、
これは行っておかないと!ということで寄り道。


【普賢院】
始まりは紀伊續風土記によると大治年間(1126~1131)に覚王親王が
高野山に登られた折、念持仏の普賢菩薩を力乗上人に与え、
上人が院を開いたとされています。

普賢院の御本尊が覚法法親王から頂戴した普賢菩薩なので、
当初は普賢王院と称しました。

この普賢菩薩は弘法大師の十大弟子の一人華厳寺道雄の作で、
弘法大師が点眼されたとされる。




玄関から本堂へ。




御本尊の普賢菩薩。




御本尊のほかにも仏様が祀られていました。


【芭蕉堂】


松尾芭蕉像が祀られていました。

松尾芭蕉と何か縁があるのかな?と調べてみると
主君良忠の遺髪を菩提寺である報恩院に納め冥福を祈る為に、
松尾芭蕉は高野山を3度訪れたとされたそうです。

その後に報恩院は明治維新を迎えて普賢院と合併されました。


【魔尼殿】


新しいと思われる魔尼殿に金剛菩薩が祀られていました。


【御朱印】



こちらに寄り道して正解でした。


宿坊も当然あるようで宿坊に泊まりたくなった今日この頃。
まだ敷居が高いというか気後れしているんだけどね。

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