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Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

丹生都比売神社(2014年5月4日参拝)

2014-05-29 | 神仏霊場巡拝の道
真田庵から次なる参拝地の丹生都比売神社へ。

ここはどうしてもあの楼門が見ておきたかったので、
以前から訪れたかった神社です。




13号線から109号線を走る。
この109号線がくねくねとした狭い山道で結構しんどい。

480号線から4号線に入るルートの方が楽かと思われます。


所在地:和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野230
主祭神:丹生都比売大神、高野御子大神、大食津比売大神、市杵島比売大神
創建:不明
社格:式内社、紀伊国一宮、旧官幣大社、別表神社
札所:神仏霊場巡拝の道


【由緒】
紀ノ川より紀伊山地の盆地天野に当社が創建されたのは古く、
今から千七百年前のことと伝えられます。

また、播磨国風土記によれば神功皇后の出兵の折、丹生都比売大神の託宣により、
衣服・武具・船を朱色に塗ったところ戦勝することが出来た為、
これに感謝し応神天皇が社殿と広大な土地を神領として寄進されたとあります。

祭神のお名前の「丹」は朱砂の鉱石から採取される朱を意味し、
魏志倭人伝には既に古代邪馬台国の時代に丹の山があったことが記載され、
その鉱脈のあるところに「丹生」の地名と神社があります。

丹生都比売大神はこの地に本拠を置く日本全国の朱砂を支配する一族の祀る女神とされています。
丹生都比売大神の御子、高野御子大神は、密教の根本道場の地を求めていた弘法大師の前に、
黒と白の犬を連れた狩人に化身して現れ、高野山へと導きました。

弘法大師は丹生都比売大神よりご神領である高野山を借受け、
山上大伽藍に大神の御社を建て守護神として祀り、真言密教の総本山高野山を開きました。

中世、当社の周囲には数多くの堂塔が建てられ、
明治の神仏分離まで当社は五十六人の神主と僧侶で守られてきました。

鎌倉時代には、行勝上人により気比神宮から大食都比売大神、
厳島神社から市杵島比売大神が勧請され、社殿が北条政子により寄進され、
本殿が四殿となり、このころから舞楽法会が明治のはじめまで盛んに行われます。

平成十六年七月紀伊山地の霊場と参詣道の丹生都比売神社境内として世界遺産へ登録されました。


【第一鳥居】



【太鼓橋】




足の悪い老人が太鼓橋を歩いていたので、
ヒヤヒヤしながら見てましたが、何とか無事に太鼓橋を渡りきっておりました。(^^


【境内社】


太鼓橋から見た境内社。

恐らく弁財天であろうが詳細不明。


【境内】



【太鼓橋】



【第二鳥居】


楼門が見えてきました。





【楼門】




お~、めっちゃ立派。

実に素晴らしい。

こんな田舎の山奥にある神社にも関わらず、
これほどの楼門があるとは驚きです。


参拝した時にちょうど結婚式をあげられていました。

本当におめでとうございます♪






斜め横から見てもいいっすね。



第一殿、第二殿は絶賛工事中でした。


【本殿】


第三殿、第四殿。


【狛犬】



【佐波神社】



【神宝収蔵庫】


国宝の銀銅蛭巻太刀や重文の芦手絵兵庫鎖太刀(いずれも東京国立博物館出陳)、
重文の木造鍍金装御輿や狛犬等が納められているそうです。


【太鼓橋】


無料駐車場から見た太鼓橋です。

ここから見ると住吉大社の太鼓橋を思い出すが、
住吉大社の方が反りがきついですね。


【御朱印】

丹生官省符神社(2014年5月4日参拝)

2014-05-27 | 神仏霊場巡拝の道
慈尊院の境内から石段を登った場所に鎮座するのが、
丹生官省符神社です。

丹生官省符と書いて「にゅうかんしょうぶ」と読みます。


所在地:和歌山県伊都郡九度山町慈尊院835番地
主祭神:丹生都比売大神、高野御子大神、大食都比売大神、市杵島比売大神、
天照大御神、誉田別大神、天児屋根大神
創建:弘仁7年(816)
社格:郷社
札所:神仏霊場巡拝の道


【由緒】
弘法大師が慈尊院を開創した弘仁7年(816)、
その守り神として地元にゆかりのある丹生都比売・高野御子の二神を祀った神社です。

神社ができた当時の位置は現在の渡し場の東にあたる
宮の橋の付近であったと考えられています。
その後、河北から高野領地となり官省符21ヶ所村が成立しますと、
その総氏神として栄えてきました。

慈尊院の弥勒堂が現在の位置に移された際、この神社も一段高い神楽尾山へ移されました。
その時、天野神社にならって気比、厳島二神を合わせ祀って四神とし、
なお、古くからこの地に鎮座していた天照、八幡、春日の三神を合わせ
祀って七社明神としました。


【石段】


途中で一の鳥居がある。


【二の鳥居】



【拝殿】





【本殿】



【招魂社】



【御朱印帳】


吉野大峯・熊野・高野山の三霊場から成り立つ紀伊山地三霊場会より、
世界遺産登録10周年を記念し御朱印帳を製作されたもの。

表紙だけじゃなくページも杉で出来た珍しい御朱印帳です。

定価1500円です。

この御朱印帳を買ったら、大阪市立美術館の山の神仏特別展の招待券を貰った。

ラッキー♪
前から行こうと思ってたのよね~。

しかも最後の一枚だったとか。(^^

山の神仏特別展は1400円もするんで助かったよ。

あ~、庶民丸出しです~。(笑)

もしかしてこれは鎌八幡の御利益なのかな。
どうやら4月の悪運は去ったようです。(^^


【御朱印】

鹿苑寺<金閣寺>(2014年5月1日参拝)

2014-05-20 | 神仏霊場巡拝の道
今日は家族のリクエストでキングオブ京都の金閣寺へ。

個人的にはベタ過ぎて行く気があんまり無かったけど、
リクエストだから仕方ない。(苦笑)


金閣寺はまだ御朱印に興味が無かった頃に一回行ったきりで、
メッチャ久しぶりの参拝です。

有料駐車場に車を停めて総門まで歩いていると、
まぁ、外人と修学旅行の学生の多い事。

さすがメジャー観光地だけあります。



所在地:京都府京都市北区金閣寺町1
宗派:臨済宗相国寺派
御本尊:観音菩薩
創建:応永4年(1397)
開山:夢窓疎石
開基:足利義満
札所:神仏霊場巡拝の道


【歴史】
元仁元年(1224)に藤原公経が西園寺を建立し、併せて山荘北山第を営んでいた。
応永4年(1397)足利義満が河内国の領地と交換に西園寺を譲り受け、
改築と新築によって一新した。
この義満の北山山荘は、当時「北山殿」または「北山第」と呼ばれた。

応永27年(1420)に北山第は義満の遺言により禅寺とされ、
義満の法号「鹿苑院殿」から鹿苑寺と名付けられた。

応仁の乱では西軍の陣となり建築物の多くが焼失したが、
江戸時代に主要な建物が再建され、舎利殿も慶安2年1649)に大修理された。

昭和25年(1950)7月2日未明、放火により国宝の舎利殿(金閣)と
安置されていた仏像等を焼失(金閣寺放火事件)。

平成6年(1994)12月、世界文化遺産「古都京都の文化財」が登録された。



【総門】



【鐘楼堂】


有料で撞けます。


【舎利殿】




さすがに絵になりますなぁ。

シャッターを押さずにはいられない。(笑)

客層はほんとに老若男女を問わず訪れていました。











パリから来た一人旅の女性に写真を撮ってくださいと頼まれ、
撮ってあげました。(^^

本当に可愛いコで一緒に撮りたかったよ。(笑)








撮りまくってしまいました。(笑)

舎利殿はやっぱり近くで見るより、
遠目で見る方がいいですね。


【方丈】


特別参拝してましたけど、
拝観料が別途1000円だったので華麗にスルー。

なんぼなんでも高過ぎるよね。

だから方丈は閑散としてました~。(^^;


【鏡湖池】



【銀河泉】


足利義満公がお茶の水として使用したとか。


【巌下水】


こちらはお手洗いに使用したそうです。


【金閣寺垣】



【鯉魚石】


竜門の滝を鯉が登りきると龍に化するといわれる中国の故事登竜門に因んだもの。


【白蛇塚】


西園寺家の鎮守として当時の遺構をとどめているそうです。


【舎利殿】


ここで見納めとなります。


【夕佳亭】








金閣を復興した鳳林承章が修学院を造営した後水尾上皇の為に、
茶道家金森宗和に造らせたのが夕佳亭。


【富士形手洗鉢】


足利義政公が愛用したもの。


【貴人榻】



【不動堂】




弘法大師作と伝えられる秘仏石不動明王は、
2月3日(節分)と8月16日(大文字送り火)に特別開帳されます。

不動堂の辺りには団子やらお漬物やら工芸品やら、
いろいろな店があり賑わっていました。


【荼枳尼天】



【御朱印】




【金閣寺放火事件】


この無残な焼け跡はあの金閣です。

私は恥ずかしながら放火されたことは知りませんでした。

以下概要です。

1950年7月2日の未明、鹿苑寺から出火し国宝の舎利殿(金閣)が全焼し、
室町幕府3代将軍、足利義満の木像(国宝)、観音菩薩像、阿弥陀如来像、
仏教経巻などの文化財6点も焼失した。

捜査の結果、同寺子弟の見習い僧侶であり大谷大学学生の林承賢が犯人と判明。
自殺未遂で一命をとりとめている。

しかし犯人の母親は責任を感じ保津峡で自殺という不幸も起こっている。


【旧舎利殿】




これが放火される前の国宝であった舎利殿です。

カラーで見る限り金箔が貼がれたのか、
銀閣のように渋い印象ですね。

歴史的価値は当然ながら旧舎利殿の方がありますが、
金閣はやっぱり今の方がいいかな。

その良し悪しは別にして、
全てを失う火事は恐ろしい。

ましてや放火なんて残念極まりないです。

廣田神社(2014年4月12日参拝)

2014-05-07 | 神仏霊場巡拝の道
本日最後の参拝となるのが西宮市に鎮座する廣田神社です。

西宮で有名な神社は何と言っても西宮神社で、
神社の格では圧倒的に高い廣田神社の事は最近まで知りませんでした。(^^;

二十二社巡りとかしてないからなぁ。

廣田神社はもっと宣伝した方がいいぞ。(^^



所在地:兵庫県西宮市大社町7番7号
主祭神:天照大神荒魂
創建:(伝)神功皇后2年(201)
社格:式内社(名神大)、二十二社、官幣大社、別表神社
札所:神仏霊場巡拝の道


【由緒】
国難打破の道を示し皇子(第15代應神天皇)のご懐妊を告げ
、安産を守り、軍船の先鋒となり導き、建国初の海外遠征に大勝利を授けられた
天照大御神の御神誨を受けた神功皇后(第14代仲哀天皇のお后・右の出陣図参照)により、
御凱旋の帰途、武庫の地・廣田の国に大御神の「荒魂」を国土の鎮め外難の護りとして鎮め祭ったと、
「日本書紀」に記されている兵庫県第一の古社です。

朝廷より篤い崇敬を受け、「延喜式神名帳」では名神大社に列し、
二十二社の一社とされ、たびたび奉幣勅使の派遣があった。

平安時代後期より神祇伯白川家との関係が深く、代替わりのごとに当社に参詣していた。
中世には和歌の神として信仰されるようになり、社頭にて何度か歌合せが行われている。

当初は甲山山麓の高隈原に鎮座し、後に御手洗川のほとりに遷座したが、
水害の為、享保9年(1724)に現在の西山の地に遷座し、
1945年、空襲による全焼までは西側の廣田山に鎮座、
そして戦後、その東側の現在地に移転した。

明治4年(1871)には官幣大社に列格した。
かつて「向か津峰」と呼ばれた六甲山全山は、元は廣田神社の社領であったという。


【第二鳥居】


有難いことに無料駐車場でした。

第一鳥居は結構離れた場所にありましたが、
車を停められず写真は撮れませんでした。


【注連柱】





【コバノミツバツツジ】


境内に何とも美しい紫の花が咲いている。

後で調べて見たら兵庫県指定天然記念物とか。

もっと見たい欲求を抑えて、まずは神様に御挨拶。


【拝殿】






さすが官幣大社の風格をまざまざと感じる堂々たる拝殿です。

見事としか言えないです。


【本殿】


現在の本殿は伊勢神宮荒祭宮の旧社殿を譲り受けて昭和31年に移築されたもの。

残念ながら全体はよく見えませんでした。


【脇殿】


第一脇殿には住吉三前大神(筒之男三神)、
第二脇殿に八幡三所大神(應神天皇、神功皇后、仲姫命)が祀られています。




第三脇殿には諏訪健御名方富大神、
第四脇殿に高皇産霊大神が祀られていました。


境内に白石があると伊勢神宮を思い出し、
とても神聖な気分になりますね。


【狛犬】



【五末社】


八坂神社、春日神社、子安神社、稲荷神社、地神社。


【松尾神社】



【伊和志豆神社】





【齋殿神社】





【祓所】



【コバノミツバツツジ群落】












満開ではありませんでしたけど、
充分堪能しました。


【御朱印】


神社らしからぬ(?)見事な筆致の筆書きです。


【注連縄】


今日も良い参拝でした。

須磨寺(2014年4月12日参拝)

2014-05-06 | 神仏霊場巡拝の道
いよいよ神戸七福神最後の札所である須磨寺へ。

3年振りの参拝です。


<2011年4月11日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/f66884047bc5205cb77b3ee0e033f4d7


【本堂】




駐車場に車を停め、墓地の中を歩いて境内へ。

三重塔が絶賛修復中でございました。(泣)

まずは本堂でお参り。


【護摩堂】


新しく建てられたようです。





奥の内陣は煤も付いており、
内陣は以前のものを使用してるのかな。


【福禄寿尊】



【源平の庭】





【御朱印】


神戸七福神の御朱印です。




これにてようやく満願です。(^^