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Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

千本ゑんま堂 引接寺(2014年9月27日参拝)

2014-10-28 | 仏閣
釘抜地蔵から歩いて5分ほどで到着。

境内の前に車がいっぱい停まっていた。
どうやら月極めで参拝者の駐車場は無いようです。



所在地:京都府京都市上京区千本通鞍馬口下ル閻魔前町34
宗派:高野山真言宗
御本尊:閻魔法王
創建:寛仁元年(1017)
開基:小野篁卿
開山:定覚上人




【縁起】
小野篁卿はこの世とあの世を行き来する神通力を有したとされており、
閻魔法王より現世浄化の為、塔婆を用いて亡き先祖を再びこの世へ迎える供養法で、
後に我が国の伝統習慣である盂 蘭盆会へと融合発展する
法儀精霊迎えの法を授かりました。

その根本道場として朱雀大路の北側に篁卿自ら閻魔法王の姿を刻み
建立した祠が当ゑんま堂の開基です。

ゑんま堂から蓮台野へ亡骸を葬った際に建立された石仏や卒塔婆が、
この辺りには何本も無数にあったことから「千本」の地名が残ったといわれています。

篁卿の後、寛仁元年(1017)藤原道長の後援を得た比叡山恵心僧都源信の門弟・定覚上人が、
ここを諸人化導引接仏道の道場とすべく光明山歓喜院引接寺と命名し、
仏教寺院として開山しました。

引接とは引導と同義語です。
引接寺という正式名称より通称の千本ゑんま堂としてより親しまれているのは、
この地が開山以前から、人々にそう呼ばれ、
神仏や宗旨宗派を越えた信仰を集めていたからにほかなりません。


【本堂】




本堂拝観料500円です。

拝観したかったのですが、
ちょうど着物を着たお茶関係のおば様達が来られ、
本堂で何かされるようでしたので遠慮させていただいた。

先生と呼ばれる尼さんが小さくて可愛いお婆さんでした。(^^


【地獄絵】


狩野元信筆とされるが、もうどうしようも無い状況でした。


【供養池】


裏に回ると供養池があって、ここで卒塔婆流しが出来ます。




この地で発掘された夥しい数のお地蔵さんが祀られていました。


【紫式部】



【紫式部供養塔】


重要文化財。
南北朝時代の至徳三年(1386)円阿上人の勧進により建立されたもの。


【鐘楼堂】



【童観音】



【大杉大明神】



【茶釜塚】



【御朱印】

石像寺<釘抜地蔵>(2014年9月27日参拝)

2014-10-27 | 仏閣
千本釈迦堂から歩いて5分くらいの場所にあるのが、
釘抜地蔵という通称で有名な石像寺。

こちらには駐車場がないので注意してください。



所在地:京都市上京区千本上立売上ル花車町503
宗派:浄土宗
御本尊:地蔵菩薩
創建:伝・弘仁10年(819)
開基:伝・空海
札所:京洛四十八願所地蔵尊


【縁起】
家隆山光明遍照院石像寺と写し、俗に「釘抜地蔵」ともいう。
弘法大使の開基と伝え、もと真言宗であったが、
重源上人が中興してから浄土宗となった。

歌人の藤原定家、家隆が住んだところという。

「釘抜地蔵」のいわれについては、次のような伝説がある。
室町時代の終わり頃、紀ノ国屋道林という商人がいた。
彼は両手に激しい痛みを感じていたが、どんな治療を施しても効き目がなかった。

そこで霊験あらたかな石像寺の地蔵菩薩に7日間の願かけをしたところ、
満願の日の夢に地蔵菩薩が現れた。

地蔵菩薩は「お前の苦しみの原因は、前世において人をうらみ、
呪いの人形を作ってその手に八寸釘を打ち込んだことにある」と告げ、
呪いの人形から抜き取った八寸釘を道林に示して見せた。

道林が夢から覚めると両手の痛みはすっかり消えていた。
石像寺に参詣すると、本尊地蔵菩薩の前には血に染まった
2本の八寸釘が置かれていたという。

道林はそれより百日を期して日参し、
その恩の万分の一にもと奉謝したと伝えられております。

その時より本地蔵尊を釘抜地蔵尊と申します。


【表門】



【中門】


こちらが山門といった感じかな。


【本堂】


こじんまりとした境内です。






釘抜絵馬がびっしりとありました。

この日も何人かの方々が熱心にお祈りしながら、
お堂をぐるぐる回っておられました。

孫とお爺さんという組み合わせも2組居て、
このお寺は地元の方々に篤く信仰されているようですね。


【大師堂】


弘法大師像、掛観音菩薩像等が祀られていました。


【玉姫大明神】



【石仏】





【釘抜地蔵尊】



【薬師堂】




重文の阿弥陀如来三尊像が祀られていましたが、
真ん中の阿弥陀さんは真っ二つに割られていたように見えましたね。


【御朱印】


御住職に相談されているおば様の話が長くて、
御朱印をいただこうにもいただけない状況に。

ラチがあかないので他のお寺の女性を呼んだが、
御朱印は御住職しか出来ないという。

仕方ないので千本えんま堂に参拝し、
戻ってくるとまた別の方と相談中。。。

御住職はよっぽど人徳があるんでしょうね。

休憩所でお茶を飲みながら待つこと15分。

ようやく御朱印をいただけたのであった。

宥清寺(2014年9月27日参拝)

2014-10-24 | 仏閣
北野天満宮の第二鳥居から歩いて5分くらいにあるお寺が、
京都十六本山巡りのひとつである宥清寺。

独立して日が浅い法華系の一派本門仏立宗の大本山です。

本門仏立宗ってあんまり聞かない宗派で、
この宗派のお寺は初めての参拝かと思ったが、
大阪守口市の義天寺に参拝してた。(^^



所在地:京都府京都市上京区一条通七本松西入る滝ヶ鼻町
宗派:本門仏立宗
御本尊:十界大曼荼羅
創建:延慶元年(1308)



【縁起】
本門佛立宗の根本道場、宗門唯一の本山です。

歴史は古く延慶元年(1308)日蓮聖人の直弟・日弁上人によって開かれ、
京都における日蓮門下最初の寺院と伝えられています。

佛立講(宗)をご開講された開導聖人長松清風・日扇が明治2年、
このお寺に入られるまでは、長らく正しい御題目を唱える人も、
お参りする人もない廃寺同様の荒れ果てた道場でした。

その後、開導聖人により日蓮聖人のみ教え通りの信心修行に基づく
現証布教のご利益をあらわすお寺に再生興隆し現代に至っています。


【正門】


大本山に相応しい門です。


【本堂】






全国の支院を見ると創価学会や新興宗教のような建物、
或いは普通の家みたいなお寺が多いのですが、
こちらはさすがと思わせる本堂です。


【宝蔵】



【百万霊会供養塔】



【日扇聖人銅像】



御首題はされていないとのこと。
スタンプはありましたが、そこまで印に飢えておりません。(苦笑)

福王寺(2014年9月14日参拝)

2014-10-14 | 仏閣
焼津で寿司を堪能した後は浜松駅へ向かう。

若干時間があったので小國神社に行こうと思ったが、
残念ながら小國神社に行っちゃうと、
新幹線の時間に間に合わないことが判明。

結局、時間的に間に合う磐田市の古刹である福王寺に決定。



所在地:静岡県磐田市城之崎4-2722-1
宗派:曹洞宗
御本尊:聖観世音菩薩
創建:不明
札所:遠江四十九薬師、遠州七福神、遠州三十三観音霊場


【歴史】
風祭山福王寺は今から1000有余年前に真言宗高野山の末寺として建立。
その後、500有余年前の文安元年(1444)に天翁義一禅師を迎え曹洞宗に改宗。

爾来法灯連綿として現在に至っている古刹である。

寺の寺号「風祭山」と称する云われは、古文書によると
開創当時の永観2年(984)に遠州一帯に暴風が来襲した時、
たまたま京都から諸国行脚の途次に来遠していた陰陽師安倍清明のご祈祷によって、
暴風を鎮められ多くの人々の災難を救われたとある。

このことによって福王寺の山号を「風祭山」と称し、
それ以来、毎年3月8日に風祭りの行事が行われている。

御本尊聖観世音菩薩(重要文化財)は行基菩薩作と伝えられる秘仏である。


【総門】


なかなか良い雰囲気の門である。

【仁王像】



【山門】


上に鐘楼があったので鐘楼門でもありましたね。
慶応4年(1868)建立されたもの。


【本堂】


御朱印をお願いすると本堂に上げていただいた。(^^









【清明堂】




五芒星が見えますね。
安倍晴明大権現が祀られていました。


【地蔵尊】



【萬両園】








本堂裏手に回ると素晴らしい大庭園がありました。

こんな庭園が我が家に欲しい。(笑)


【江月堂】


銀閣を思わせるこの建物は寺子屋だったそうです。
今は階が寺宝展示で2階が図書文庫(資料館)となっています。


【薬師堂】


江戸時代に沼より堀りだされた沼薬師如来が祀られています。


【鎮守社】



【白山大権現】



【御朱印】

尊永寺(2014年9月14日参拝)

2014-10-12 | 仏閣
遠州三山最後の参拝は尊永寺。

このお寺は事前に調べたら見所いっぱいで非常に楽しみです。

駐車場は私営が幾つかあり100円でした。
参道沿いの店でソバを食べていざ参る。



所在地:静岡県袋井市豊沢2777
宗派:真言宗
御本尊:正観世音菩薩
創建:(伝)725年
開基:(伝)行基


【歴史】
法多山尊永寺は可睡斎・油山寺と並んで遠州三山と呼ばれる、
高野山真言宗別格本山の寺院。

御本尊である正観世音菩薩は厄除観音として知られています。
寺伝によると神亀2年(725)、聖武天皇の勅命を受け聖地を探し求めた
行基上人により建立されたといわれています。

白河、後白河天皇の時代には勅願寺として
朝廷が定める官寺である定額寺の格式を得ています。

平安時代末期には112坊の寺院集団を「法多山」と総称して
「遠州の高野山」といわれ隆盛を極めた。

中世以降、守護大名今川氏の庇護を受け天正18年(1590)、
豊臣秀吉は当寺の寺領として205石を安堵し、徳川家康は5万石の格式を与えました。

江戸時代後期の火災で伽藍は大半が焼失。

明治維新後に12坊が廃絶し寺号も尊永寺に改めています。
13代将軍徳川家定の代以降は正月に国家安寧と五穀豊穣の祈願を行い、
祈祷護符と共に「くし団子」を将軍家に献上するのが慣わしとなり、
現在も火難、水難、災厄に御利益があるとして
「法多山厄除だんご」を求める参拝者が多くあります。


【仁王門】




寛永17年(1640)の建立の重要文化財。

堂々たる実に渋い門です。
素晴らしいです。


【仁王像】



【参道】


ここから長ーい参道が続きます。


【鎧塀】



【黒門】




宝永8年(1712)建立の四脚門で、
これがまた渋い門でした。


【参道】


ここから歩いて5分くらいで石段に到着。


【石段】


こりゃなかなかエエ階段やんけ~。(泣)


【地蔵堂】



【大師堂】



【本堂】




これはまた見事な本堂です。

普通にスゲーと思わせてくれます。

残念ながら本堂内には入れず。


【旧本堂跡霊地】



【北谷寺】







安政4年(1857)建立、旧本堂。

御本尊北谷観音の他、十二支守本尊、西国三十三観音、出世大黒天、
賓頭盧尊者などの諸尊を祀るので塔頭諸尊堂と呼ばれています。

遠江三十三観音第五番札所。


【大師堂】




御簾でお大師さんがよく見えないようになっていました。


【鐘楼堂】





【二葉神社】






かつて浜松市内にあった二葉遊郭にあった神社であり、
遊郭の解体によって法多山に移築勧請されたもの。


【狛犬】



【石塔・石仏】



【氷室神社】








明治の廃仏毀釈で所在が不明になっていたが、
最近の調査でこの洞穴自体が御神体であることが確認されたそうです。


【弁才天堂】





【不動明王】





【厄除だんご】


味は良いんだけど、結構固めなんですよね~。
お年寄りにはツライんじゃないの。(^^;

出来れば電子レンジで軽くチンして柔らかくしたかった。(笑)


【本坊】



【家康公お手植えの松】



【持仏堂】



【研修会館】



【黒門】



【仁王門】




名残惜しむかのように仁王門を出て参拝終了。

小さいお寺の本堂に上がらせていただき、
御本尊と御縁をいただくのもいいですが、
このような大きなお寺の伽藍を堪能するのは楽しいです。


【御朱印】


本堂の下でいただきました。


【御朱印帳】


また買ってしまった。(^^

大と小があって、大きいサイズが好きなので大をチョイスしました。