この年表は、もとは5月6日付けの1本立てでした。加筆を重ねるうちにずいぶん長い文章になってしまい、そのため本日5月29日付けで、20世紀以降を<後編>にしました。ご興味あれば、あわせて前編もご覧ください。これからもこりずに加筆していくつもりです。なお問い合わせがありましたが、この文はどの宗教教団とも一切関係がありません。
1902年 ロシアの作家マクシム・ゴーリキー『どん底』
「仕事が楽しみなら、人生は極楽だ! 仕事が義務なら、人生は地獄だ!」
1903年 ドイツの小説家トーマス・マン『トニオ・クレエゲル』 「幸福とは愛すること」
1905年 「幸(さいわひ)住むと人の言ふ」
上田敏が訳詩集『海潮音』を出版。ドイツ詩人カール・ブッセの「山のあなた」が有名。
1906年 アメリカでラジオ放送がはじまる。1920年には映画トーキーが誕生。前世紀から大衆に普及した新聞と相まって、マスメディアが勃興期を迎える。アメリカでは大衆心理を操作し、消費意欲を刺激するビジネスシステムと捉えた。広告理論が発展する。一方、ヨーロッパではファシズム、ムッソリーニやヒトラーが政治での利用、大衆を動かすためのシステムとして発展させていく。
1908年 幸福の青い鳥
ベルギーの作家メ―テルリンクが夢幻劇、チルチルとミチルの「青い鳥」を初公演。クリスマス用の作品を頼まれ書きあげたのは1906年。戯曲『青い鳥』出版は1909年。
チルチルは劇のエンディングでこう語ります。幸福の鳥が飛び去って、ミチルに「いいよ。泣くんじゃないよ。ぼくまたつかまえてあげるからね。(舞台の前面に進み出て、見物人に向かい)どなたかあの鳥を見つけた方は、どうぞぼくたちに返してください。ぼくたち、幸福に暮すために、いつかきっとあの鳥がいりようになるでしょうから。」-幕ー
メーテルリンクは1911年にノーベル文学賞を受賞。
1908年 米メリー・ベーカー・エディ「クリスチャン・サイエンス・モニター」紙創刊。彼女の癒しの理論、病気は心の幻想に過ぎず楽観を主義とする。その後アメリカ人のイデオロギーと化していく「ポジティブ・シンキング」の開祖ともよべる。
1912年 夏目漱石『行人』
「人間の不安は科学の発展から来る。進んで止(とど)まる事を知らない科学は、かつて我々に止まる事を許してくれた事がない。」
1914年~1918年 第1次世界大戦。
1916年 ドイツの思想家ヴァルター・ベンヤミン「古代の人間の幸福」 「幸福な人間はあまりにも空虚な、中身のない殻でしかなく、自分自身の姿を見て恥じ入るほかないかのごとくなのだ。それゆえに、近代の幸福感覚には了見の狭さと密やかなさが同時に備わっていて、その感覚が幸福な魂についてのある特有の表象を生み出した。すなわち、幸福な魂は、たえず活動しながら、そして感情をわざと狭めながら、みずからの幸福を自分自身に対して否認する、という表象を。」
1917年 ロシア革命
1917年 チルチルの声
宮沢賢治がメーテルリンク『青い鳥』から影響を受けた短歌がある。「雲とざす きりやまだけの柏ばら チルチルの声かすかにきたり」
1918年 ドイツの作家ヘルマン・ヘッセ『マルティーンの日記から』 愛されることは幸福ではなく、愛することこそ幸福だ。幸せである者とは、たくさん愛することのできる者である。
1924年 宮沢賢治
イーハトーヴ童話『注文の多い料理店』、賢治生前唯一の童話集を刊行。広告を載せても1冊の注文も来なかった。同書には童話「かしわばやしの夜」(1921年最終稿)も収められているが、『青い鳥』の森の場面が再び登場する。
後の『銀河鉄道の夜』は、「本当の幸福」を追求するのが大きなテーマになっている。「誰だって、ほんたうにいいことをしたら、いちばん幸なんだねえ。」「もうこの人のほんたうの幸になるなら自分があの光る天の川の河原に立って百年つゞけて立って……」。タイタニックの乗客だった青年は「神のお前にみんなで(列車に同乗してきた姉と弟と)行く方がほんたうにこの方たちの幸福だとも思ひました。」「きっとみんなのほんたうのさいはい(幸い)をさがしに行くよ。」
『農民芸術概論綱要』序論には「世界がぜんたい幸福にならないうちは幸福はあり得ない」
1925年 フランスの哲学者アラン(エミール=オーギュスト・シャルティエ)『幸福論』
「幸福だから笑うのではない、笑うから幸福なのだ」「人は幸福をさがしはじめるや否や、これを見いだしえない運命におとしいれられる。そしてここにはなんの不思議もない。ショーウィンドーのなかの品物のように、あなたが選び、金を払い、持ってくることのできるものではない。…幸福が未来のなかにあるように思われるときには、よく考えてみるがいい。それはつまり、あなたがすでに幸福をもっているということなのだ。期待をもつということ、これは幸福であるということである。」「幸福たらんと欲しなければ絶対に幸福にはなれぬということだ。それゆえ、自分の幸福を欲し、それをつくらなければならない。」
1926年 川端康成「一人の幸福」 紀州に暮す男が、満州で奴隷のような境遇で暮らす少年からの手紙を読む。姉の勝子にあてた文だが、男は満州まで行って、少年を紀伊に連れ帰ろうと決心する。「彼は嬉しかった。弟の世話をしてやっていれば、勝子とも生活が触れて行くことが出来る。それに自分の力で一人の少年を幸福にしてやることが実に明らかなのだ。一生の間に一人の人間でも幸福にすることが出来れば自分の幸福なのだ。」
1926年 お誕生日
曲「ハッピー・バースディ・トゥ・ユー」が誕生。1930年代にはこの歌が家族のこころの支えになった。またこのころから育児書出版が増え「あらゆる面で、子どもに最大限の幸福を授けることが育児の目的」とする主張が主流になっていく。
1928年 米国作家ナポレオン・ヒル『思考は現実化する』 初期ポジティブ・シンキングの成功哲学本。全世界で7000万部の大ベストセラー。
1929年 世界大恐慌がはじまる。
1930年 イギリスの哲学者バートランド・ラッセル『幸福論』
「幸福な人とは、客観的な生き方をし、自由な愛情と幅広い興味を持っている人である。」
1936年 米国デール・カーネギー『人を動かす』 アメリカ社会で根強い思想であるポジティブ・シンキング。実際に幸せな気持ちでいるかどうかはともかく、誠実を装って、成功し幸福であるかのようにふるまえば、ものごとはうまく行き、まわりの人を動かすことができる。カーネギーはカーナギーだったが、実業家のカーネギーにあやかって改名した。
1939年~1945年 第2次世界大戦。
1941年日米英開戦直前 篠田正浩監督映画『スパイ・ゾルゲ』(2003年公開) ゾルゲ「人は幸福にはなれない。いつも戦争をしている。良いことをしたくても、いずれ死ぬ。仕方ない。」
1944年 戦死遺稿 フランスの作家アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ『星の王子さま』
キツネが王子に「友だちになろう」といった。そして「いつも、(王子が)おなじ時刻にやってくるほうがいいんだ。あんたが午後四時にやってくるとすると、おれ、三時には、もう、うれしくなりだすというものだ。そして、時刻がたつにつれて、おれはうれしくなるだろう。四時には、もう、おちおちしていられなくなって、おれは、幸福のありがたさを身にしみて思う。」
またキツネは王子にアドバイスした。「さっきの(内緒の)秘密をいおうかね。なに、なんでもないことだよ。心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」
そのあと、ぼくに出会った王子は、地球の「みんなは、特急列車に乗りこむけれど、いまはもう、なにをさがしてるのか、わからなくなってる。だからみんなは、そわそわしたり、どうどうめぐりなんかしてるんだよ……ごくろうさまな話だ……」
戦中のアウシュヴィッツ強制収容所 ヴィクトールE.フランクル 原題『強制収容所における一心理学者の体験』
幸福の対極かもしれませんが、「とうてい信じられない光景だろうが、わたしたちは…鉄格子の隙間から、頂が今まさに夕焼けの茜色に照り映えているザルツブルクの山並みを見上げて、顔を輝かせ、うっとりとしていた。わたしたちは、現実には生に終止符を打たれた人間だったのにーあるいはだからこそー何年ものあいだ目にできなかった美しい自然に魅了されたのだ。」
この世のものと思えない輝く夕焼けの空、たえず形を変えていく雲。「わたしたちは数分間、言葉もなく心を奪われていたが、だれかが言った。『世界はどうしてこんなに美しいんだ!』」
フランクルは気のあう仲間たちと取りきめた。一日に少なくともひとつのジョークを考え、互いに笑いあうことを。ユーモアは「自分を見失わないため魂の武器である」(日本語訳『夜と霧』1956)
1945年死去遺稿 三木清『人生論ノート』「今日の人間は幸福について殆ど考えないようである」という時代であった。かつて古代ギリシャ、ストア派、アウグスティヌス、パスカルなどはみな「人間はどこまでも幸福を求めるという事実を根本として彼等の宗教論や倫理学を出立したのである。」「我々の時代は人々に幸福について考える気力をさえ失わせてしまったほど不幸なのではあるまいか。幸福を語ることがすでに何か不道徳なことであるかのように感じられるほど今の世の中は不幸に充ちているのではあるまいか。」「人格は地の子らの最高の幸福であるというゲーテの言葉ほど、幸福についての完全な定義はない。幸福になるということは人格になるということである。」
1945年 柳田国男『先祖の話』 御先祖様の霊魂によって、現在生きているわたしたちはみな守られている、とかつての一般的な日本人は信じていた。幸福は各個人の努力だけで築けるものではなく、先祖が家族、イエや村を見守り助力してくれてはじめて実現する。盆になれば祖霊は帰ってくるしさらには正月にも、年に「二度、もしくは春秋の彼岸の中日その他、別に定まった日が有った…戻って来て子孫後裔の誰彼と、共に暮らし得られるのが御先祖であった。」
1946年 坂口安吾「堕落論」正続 戦争末期「私は疎開をすすめ又すすんで田舎の住宅を提供しようと申し出てくれた数人の親切をしりぞけて東京にふみとどまっていた。」すべての友達が東京から去ったが「然し廃墟に生き残り、何か抱負を持っていたかと云えば、私はただ生き残ること以外の何の目算もなかったのだ。」
そして占領後、「米人たちは終戦直後の日本人は虚脱し放心していると言ったが、爆撃直後の罹災者達の行進は虚脱や放心と種類の違った驚くべき充満と重量をもつ無心であり、素直な運命の子供であった。」
「生々流転、無限なる人間の永遠の未来に対して、我々の一生などは露の命であるにすぎず、その我々が絶対不変の制度だの永遠の幸福を云々し未来に対して約束するなどチョコザイ千万なナンセンスにすぎない。…ただ、少しずつ良くなれということ」
1946年 日本国憲法第13条「すべての国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」
1946年 パラマハンサ・ヨガナンダ『あるヨギの自叙伝』(日本語版1983年) 「外のものばかりを追い求めていると、いつの間にか内なるエデンの園から迷い出してしまう。外のものは、魂の幸福をまねた見せかけの喜びしか与えてくれない。」
1948年 太宰治「家庭の幸福」 「家庭の幸福は、或ひは人生の最高の目標であり、榮冠であろう。最後の勝利かも知れない。…家庭のエゴイズム、とでもいふべき陰鬱な観念に突き當り、たうとう、次のやうな、おそろしい結論を得たのである。/曰く、家庭の幸福は諸悪の本(もと)。」
1949年 ドイツの作家ヘルマン・ヘッセ「幸福」 「かつてあの伝説上の『幸福な』人たちが本当にいたとしても、あるいは嫉妬をもってたたえられた幸運児や太陽の寵児、そして世界支配者も、わずかに時折、ただ恩寵に恵まれた華々しい時または瞬間には大きな光に照らされたにしても、彼らは別の幸福を体験することや、別の喜びの分け前に与ることはできなかった。完全な現在の中で呼吸すること、天空の合唱を共に歌うこと、世界の輪舞を共に踊ること、神の永遠の笑いの中で共に笑うこと、それこそ幸福に与ることである。」
1953年 米国レイ・ブラッドベリSF小説『華氏451度』 読書それ自体が禁じられた社会。焚書という仕事に疑問を持つ主人公に上司は「国民を不幸にしたくなければ、すべての問題にはふたつの面があることを教えてはならん」。悩まず幸福に生きるには、多様な考えに触れることは邪魔だ。
1958年 フランスの思想家ジョルジュ・バタイユ「純然たる幸福」 「純然たる幸福は瞬間のなかに存在する。…私は、私の幸福について語りたいし、語らねばならない。だがそれが原因で、何とも理解しがたい不幸が私を訪れる。…今の私においては、幸福について語りたいとする欲求が苦痛になっている。言語はけっして純然たる幸福をめざさない。言語は行動をめざす。行動の目的は失われた幸福をもう一度見出すことだ。しかし行動そのものはこの幸福に到達することができない。というのも幸福であったら私はもはや行動しないであろうからだ。」
1960年代 コンシューマリズム
あらゆる業界の広告宣伝担当者たち(あらたに確立された職業)は、製品と幸福を結びつけることで、売上が飛躍的に伸びることを発見した。幸福文化が20世紀半ばに一般化し、その後ほぼそのまま現在まで継続している。
1963年 ニコニコマーク
黄色地に笑顔がかわいい「スマイリー・フェイス」をアメリカの広告会社経営者ハーベイ・ポールが作った。幸福ブームに便乗した成果である。爆発的にヒットし、10年足らずでライセンス収入は5000万ドルを突破した。
このころTVやラジオ番組に挿入される効果音の笑い声「ラフ・トラック」が考案される。多少つまらない番組でも、視聴者は間違いなく楽しい気分になれるようになった。アメリカABCテレビドラマ「奥さまは魔女」(1964~1972)、日本テレビ「巨泉×前武ゲバゲバ90分!」(1969~1971)など。また写真を撮るときに、笑顔のポーズをとるのが流行になる。
1968年 ロバート・ケネディの演説
アメリカのGNP(国民総生産)は「大気汚染やタバコの広告、幹線道路から死体を取り除くための救急車を計算に入れています。自宅の扉や監獄を破られないための特殊な鍵を計算に入れています。……しかし、我々の子どもたちの健康や教育の質、遊びの楽しさは含まれません。」
1974年 イースタリンのパラドクス
米国の経済学者リチャード・イースタリンが「イースタリンの逆説」を提唱。国民の幸福度に関する意識調査の結果は、ひとり当たりの所得とあまり相関しないという。しかし反対論や異論も多い。
1976年 GNH(国民総幸福量)
ブータンのワンチュク前国王はGNHを提唱した。
1977年 幸福の黄色いハンカチ
山田洋次監督の映画「幸福の黄色いハンカチ」公開。高倉健・倍賞千恵子・渥美清・武田哲也・桃井かおりほか。ストーリーのヒントは「ニューヨーク・ポスト」紙に1971年掲載のコラム「G o i n g H o m e」。物語の展開は、米映画「シェーン」(1953)から山田は得たという。(京都在住の野田さんからこの件で指摘がありました。「下敷きになったのは、アメリカのポピュラーソング『幸せの黄色いリボンでは?』。調べてみます。ありがとうございました。)
1987年 ブータン
英国経済紙「フィナンシャル・タイムズ」がG N Hを大きく取り上げた。それ以降、「幸福」巡礼者がブータンに長蛇の列をなすことになった。
1991年 ソヴィエト連邦崩壊
1992年 小平『南巡講話』発展しつつある新玔特区で「社会主義の道は、共同富裕が最終目標だ。条件のある地区が先に豊かになるようにしたが、貧富の差が広がり、両極分化が生じるかもしれない(当時は現在と違って貧富差が少なかった)。解決法は、豊かな地区が多くの税を納め、貧困地区を支援することだが、早くやりすぎ、発展地区の活力を弱め、後進地区の『大釜の飯』(国への依存)を促してもいけない」。翌年には実弟につぎのように語った「富をどう分配するかは大問題で、この問題の解決法は発展を図るよりむずかしい。一部のひとが富を得て、大多数が持たない状況が進めば、いずれ問題が起きるだろう。」先富論の生んだ格差拡大と腐敗蔓延はその後、深刻化している。
1997年 辺見庸『もの食う人びと』角川文庫あとがき
「一切の価値も意味も商品化と消費にしか還元しないがゆえに、人が食いかつ生きることの本来の価値と意味のすべてをぼろぼろと剥落させてしまったこの(日本)列島では、身体性の回復というアイディアさえもが商品化可能なフィクションでしかない。」
1999年 ダライ・ラマ14世『幸福論』(日本語版は翌年刊)
物欲や財欲、また感覚のせっぱつまったその時の「欲求を満たしたときの一瞬の高揚感は、麻薬中毒者が欲求を満たしたときに感じるものとそう違わないかもしれない。一時的には救われたように思っても、またすぐにもっと欲しくてたまらなくなる」
本当の幸せとは「心の平和」である。他人の幸福を考えて行動することで、心の平和は得られる。消えることのない幸せと喜びは、すべて思いやりから生まれる。
2000年 村上龍『希望の国のエクソダス』 「この国には何でもある。だが、希望だけがない」エクソダスは脱出。
2001年~2009年 米国ブッシュ前大統領
アメリカに深く根付いたポジティブ・シンキングという異形な幸福論。典型がブッシュ前大統領である。「彼がたえず口にしていたことは『ポジティブ(楽観的)であれ』ということだった。彼の外交政策の信条は、なんと『楽観的であれ』ということだったのです。彼のもとで働いていたライス国務長官(当時)は『大統領は楽観的であることを要求してくる』といっていたそうで、外交上の様々な懸念があってもそれを口に出せなかったようです。この『ポジティブネス』(広く情報を集め、深く考えることの欠如)がイラク戦争をまねいたとすればとんでもない話で、…アメリカではポジティブであることは、個人の気分や状態というよりもイデオロギーになっている…科学主義・実証主義と手を携えて、『幸福の心理学』や『幸福の社会学』や『幸福の経済学』などを生み出している。何事もいったん思い込んだら、ことごとく『科学』にしなければ気が済まないアメリカ人らしく、いたるところに『幸福の科学』が登場している。(佐伯啓思『反・幸福論』)
2002年~ 47人の幸福「月刊PHP」連載 五木寛之「幸せの基準を低くする」 山田太一「自分が心地よい幸福のサイズこそ」 田辺聖子「面白いことをかき集めて人生を楽しむ」 森光子「一緒の輪の中で、皆が微笑んでいる」 羽生善治「勝負も人生も、苦しさの後にこそ幸福がある」 島倉千代子「それでも笑って生きる」 小椋佳「幸福は見つけるものではなく、創り出すもの」 村田兆治「本物に触れること」 加藤登紀子「自分自身のやり方で、ゆっくり歩いていきたい」 浅井愼平「人は誰でも、幸福の種を持っている」 阿久悠「皆の幸せの先に、個人の幸せがある」 三浦雄一郎「人生は、ゆっくりと眺めながら歩くほうがいい」 内館牧子「すべてが手に入るという幻想を捨てる」 朝田次郎「仕事に集中し、遊びにも集中する」 堀田力「笑顔こそわが人生」 佐藤愛子「楽天的に生きる」 稲盛和夫「自分の中の美しい心に目覚める」 堀場雅夫「本気でやれば、すべては必ずおもしろくなる」 櫻井よしこ「物やお金から、心を解放させる」 藤本義一「心地よい疲れと嫌な疲れの差は大きい」 陳俊臣「喜びも、悲しみも、ほどほどがいい」 森本哲郎「幸せは必ず足元にある」 河合隼雄「道草の途中に落ちている幸せ」 曽野綾子「幸せと不幸せは、いつも半々」 黒鉄ヒロシ「幸せという言葉の幻想に惑わされない」 瀬戸内寂聴「互いを思いやる気持ちこそ」 養老孟司「世間の奇妙な常識にとらわれない」 中坊公平「心に残る思い出の中にこそ」 谷村新司「心の命ずるままに」 紫門ふみ「とにかく、やりたいことをやってみる」 秋元康「あなたはもう、幸せに満ちている」 黒柳徹子「大人が子どもの夢を奪わないこと」 柳田邦男「人は、不幸を受け入れながら幸せになる」 玄侑宗久「思い通りにならない人生だからこそ」 さだまさし「幸福は、すでにあなたのポケットに入っている」 大林宣彦「人生に降る雨が、幸福に気づかせてくれる」 夢枕獏「とりあえず二番目の幸福を目指してみる」 中村メイコ「精一杯走る幸福・ふと足踏みする幸福」 桂三枝「幸せは、人が発する熱とエネルギー」 九重貢「自分に負けたら、幸せはやってこない」 安藤忠雄「幸福は、無我夢中の中にある」 仲代達矢「個性を磨いて人生の主役を演じる」 萩本欽一「ずっと僕は、幸せだった」 堀江謙一「ヨットマンの幸福」 喜多郎「変わらないこと、知らないことの幸せ」 水木しげる「人生を、いじくり回してはいけない」 山田洋次「幸福の原点は、身の丈に合った生活の中にある」(『幸福論』2006年刊)
2006年 米ロンダ・バーン『ザ・シークレット』 古代から中世錬金術、そして現代にいたる「引き寄せの法則」によると、欲しいものを常にイメージし考え続ければそれら願望は実現し手に入る。宝くじの当選番号も、自分をまったく知らない他人でも、その思考によって操れる。アメリカを代表するポジティブ・シンキングの大ベストセラー。わずかの期間で、本とDVDあわせ400万部をこえた。
2009年 米バーバラ・エーレンライク『BRIGHT-SIDED』(日本語訳『ポジティブ病の国、アメリカ』2010年刊)
アメリカ人は陽気で、快活で、楽天的で、浅薄である。アメリカン・イデオロギーと化したポジティブ・シンキング(楽観思考主義)の現状と問題点を理解するための好著。
2011年3月11日 佐伯啓思『反・幸福論』 「命も財産もそして築きあげてきた幸福もすべて自然の威力の前では意味をもたないのです。人間がその存在の意義をいっきに否定されること、そこにこそ今回のような大災害の意味があるのです。」「災害のもたらす死への<恐れ>ではなく、死への<畏れ>と<おののき>こそが<宗教的なもの>へと触れる瞬間をもたらすのです。」
2012年 「ハーバード・ビジネス・レビュー」2012年5月号「幸福の戦略」特集
同誌ディレクターのジャスティン・フォックスは「幸せはお金で買えない。しかし、幸せを測定する能力は買えるかもしれない」と述べている。
2012年 米ハーバード大マイケル・サンデル『それをお金で買いますかー市場主義の限界』 企業は活動の目的を、利益の最大化から、人々がともにより良く生きるための「公共善」「共通善」の追及へと広げるだろう。新自由主義経済学は、企業の唯一の目的は株主価値の最大化であり利益の追求としてきた。しかし企業にとっては、株主以外にも顧客や取引先、従業員さらには地域社会も重要である。
<2012年5月29日 訂正加筆中>
1902年 ロシアの作家マクシム・ゴーリキー『どん底』
「仕事が楽しみなら、人生は極楽だ! 仕事が義務なら、人生は地獄だ!」
1903年 ドイツの小説家トーマス・マン『トニオ・クレエゲル』 「幸福とは愛すること」
1905年 「幸(さいわひ)住むと人の言ふ」
上田敏が訳詩集『海潮音』を出版。ドイツ詩人カール・ブッセの「山のあなた」が有名。
1906年 アメリカでラジオ放送がはじまる。1920年には映画トーキーが誕生。前世紀から大衆に普及した新聞と相まって、マスメディアが勃興期を迎える。アメリカでは大衆心理を操作し、消費意欲を刺激するビジネスシステムと捉えた。広告理論が発展する。一方、ヨーロッパではファシズム、ムッソリーニやヒトラーが政治での利用、大衆を動かすためのシステムとして発展させていく。
1908年 幸福の青い鳥
ベルギーの作家メ―テルリンクが夢幻劇、チルチルとミチルの「青い鳥」を初公演。クリスマス用の作品を頼まれ書きあげたのは1906年。戯曲『青い鳥』出版は1909年。
チルチルは劇のエンディングでこう語ります。幸福の鳥が飛び去って、ミチルに「いいよ。泣くんじゃないよ。ぼくまたつかまえてあげるからね。(舞台の前面に進み出て、見物人に向かい)どなたかあの鳥を見つけた方は、どうぞぼくたちに返してください。ぼくたち、幸福に暮すために、いつかきっとあの鳥がいりようになるでしょうから。」-幕ー
メーテルリンクは1911年にノーベル文学賞を受賞。
1908年 米メリー・ベーカー・エディ「クリスチャン・サイエンス・モニター」紙創刊。彼女の癒しの理論、病気は心の幻想に過ぎず楽観を主義とする。その後アメリカ人のイデオロギーと化していく「ポジティブ・シンキング」の開祖ともよべる。
1912年 夏目漱石『行人』
「人間の不安は科学の発展から来る。進んで止(とど)まる事を知らない科学は、かつて我々に止まる事を許してくれた事がない。」
1914年~1918年 第1次世界大戦。
1916年 ドイツの思想家ヴァルター・ベンヤミン「古代の人間の幸福」 「幸福な人間はあまりにも空虚な、中身のない殻でしかなく、自分自身の姿を見て恥じ入るほかないかのごとくなのだ。それゆえに、近代の幸福感覚には了見の狭さと密やかなさが同時に備わっていて、その感覚が幸福な魂についてのある特有の表象を生み出した。すなわち、幸福な魂は、たえず活動しながら、そして感情をわざと狭めながら、みずからの幸福を自分自身に対して否認する、という表象を。」
1917年 ロシア革命
1917年 チルチルの声
宮沢賢治がメーテルリンク『青い鳥』から影響を受けた短歌がある。「雲とざす きりやまだけの柏ばら チルチルの声かすかにきたり」
1918年 ドイツの作家ヘルマン・ヘッセ『マルティーンの日記から』 愛されることは幸福ではなく、愛することこそ幸福だ。幸せである者とは、たくさん愛することのできる者である。
1924年 宮沢賢治
イーハトーヴ童話『注文の多い料理店』、賢治生前唯一の童話集を刊行。広告を載せても1冊の注文も来なかった。同書には童話「かしわばやしの夜」(1921年最終稿)も収められているが、『青い鳥』の森の場面が再び登場する。
後の『銀河鉄道の夜』は、「本当の幸福」を追求するのが大きなテーマになっている。「誰だって、ほんたうにいいことをしたら、いちばん幸なんだねえ。」「もうこの人のほんたうの幸になるなら自分があの光る天の川の河原に立って百年つゞけて立って……」。タイタニックの乗客だった青年は「神のお前にみんなで(列車に同乗してきた姉と弟と)行く方がほんたうにこの方たちの幸福だとも思ひました。」「きっとみんなのほんたうのさいはい(幸い)をさがしに行くよ。」
『農民芸術概論綱要』序論には「世界がぜんたい幸福にならないうちは幸福はあり得ない」
1925年 フランスの哲学者アラン(エミール=オーギュスト・シャルティエ)『幸福論』
「幸福だから笑うのではない、笑うから幸福なのだ」「人は幸福をさがしはじめるや否や、これを見いだしえない運命におとしいれられる。そしてここにはなんの不思議もない。ショーウィンドーのなかの品物のように、あなたが選び、金を払い、持ってくることのできるものではない。…幸福が未来のなかにあるように思われるときには、よく考えてみるがいい。それはつまり、あなたがすでに幸福をもっているということなのだ。期待をもつということ、これは幸福であるということである。」「幸福たらんと欲しなければ絶対に幸福にはなれぬということだ。それゆえ、自分の幸福を欲し、それをつくらなければならない。」
1926年 川端康成「一人の幸福」 紀州に暮す男が、満州で奴隷のような境遇で暮らす少年からの手紙を読む。姉の勝子にあてた文だが、男は満州まで行って、少年を紀伊に連れ帰ろうと決心する。「彼は嬉しかった。弟の世話をしてやっていれば、勝子とも生活が触れて行くことが出来る。それに自分の力で一人の少年を幸福にしてやることが実に明らかなのだ。一生の間に一人の人間でも幸福にすることが出来れば自分の幸福なのだ。」
1926年 お誕生日
曲「ハッピー・バースディ・トゥ・ユー」が誕生。1930年代にはこの歌が家族のこころの支えになった。またこのころから育児書出版が増え「あらゆる面で、子どもに最大限の幸福を授けることが育児の目的」とする主張が主流になっていく。
1928年 米国作家ナポレオン・ヒル『思考は現実化する』 初期ポジティブ・シンキングの成功哲学本。全世界で7000万部の大ベストセラー。
1929年 世界大恐慌がはじまる。
1930年 イギリスの哲学者バートランド・ラッセル『幸福論』
「幸福な人とは、客観的な生き方をし、自由な愛情と幅広い興味を持っている人である。」
1936年 米国デール・カーネギー『人を動かす』 アメリカ社会で根強い思想であるポジティブ・シンキング。実際に幸せな気持ちでいるかどうかはともかく、誠実を装って、成功し幸福であるかのようにふるまえば、ものごとはうまく行き、まわりの人を動かすことができる。カーネギーはカーナギーだったが、実業家のカーネギーにあやかって改名した。
1939年~1945年 第2次世界大戦。
1941年日米英開戦直前 篠田正浩監督映画『スパイ・ゾルゲ』(2003年公開) ゾルゲ「人は幸福にはなれない。いつも戦争をしている。良いことをしたくても、いずれ死ぬ。仕方ない。」
1944年 戦死遺稿 フランスの作家アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ『星の王子さま』
キツネが王子に「友だちになろう」といった。そして「いつも、(王子が)おなじ時刻にやってくるほうがいいんだ。あんたが午後四時にやってくるとすると、おれ、三時には、もう、うれしくなりだすというものだ。そして、時刻がたつにつれて、おれはうれしくなるだろう。四時には、もう、おちおちしていられなくなって、おれは、幸福のありがたさを身にしみて思う。」
またキツネは王子にアドバイスした。「さっきの(内緒の)秘密をいおうかね。なに、なんでもないことだよ。心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」
そのあと、ぼくに出会った王子は、地球の「みんなは、特急列車に乗りこむけれど、いまはもう、なにをさがしてるのか、わからなくなってる。だからみんなは、そわそわしたり、どうどうめぐりなんかしてるんだよ……ごくろうさまな話だ……」
戦中のアウシュヴィッツ強制収容所 ヴィクトールE.フランクル 原題『強制収容所における一心理学者の体験』
幸福の対極かもしれませんが、「とうてい信じられない光景だろうが、わたしたちは…鉄格子の隙間から、頂が今まさに夕焼けの茜色に照り映えているザルツブルクの山並みを見上げて、顔を輝かせ、うっとりとしていた。わたしたちは、現実には生に終止符を打たれた人間だったのにーあるいはだからこそー何年ものあいだ目にできなかった美しい自然に魅了されたのだ。」
この世のものと思えない輝く夕焼けの空、たえず形を変えていく雲。「わたしたちは数分間、言葉もなく心を奪われていたが、だれかが言った。『世界はどうしてこんなに美しいんだ!』」
フランクルは気のあう仲間たちと取りきめた。一日に少なくともひとつのジョークを考え、互いに笑いあうことを。ユーモアは「自分を見失わないため魂の武器である」(日本語訳『夜と霧』1956)
1945年死去遺稿 三木清『人生論ノート』「今日の人間は幸福について殆ど考えないようである」という時代であった。かつて古代ギリシャ、ストア派、アウグスティヌス、パスカルなどはみな「人間はどこまでも幸福を求めるという事実を根本として彼等の宗教論や倫理学を出立したのである。」「我々の時代は人々に幸福について考える気力をさえ失わせてしまったほど不幸なのではあるまいか。幸福を語ることがすでに何か不道徳なことであるかのように感じられるほど今の世の中は不幸に充ちているのではあるまいか。」「人格は地の子らの最高の幸福であるというゲーテの言葉ほど、幸福についての完全な定義はない。幸福になるということは人格になるということである。」
1945年 柳田国男『先祖の話』 御先祖様の霊魂によって、現在生きているわたしたちはみな守られている、とかつての一般的な日本人は信じていた。幸福は各個人の努力だけで築けるものではなく、先祖が家族、イエや村を見守り助力してくれてはじめて実現する。盆になれば祖霊は帰ってくるしさらには正月にも、年に「二度、もしくは春秋の彼岸の中日その他、別に定まった日が有った…戻って来て子孫後裔の誰彼と、共に暮らし得られるのが御先祖であった。」
1946年 坂口安吾「堕落論」正続 戦争末期「私は疎開をすすめ又すすんで田舎の住宅を提供しようと申し出てくれた数人の親切をしりぞけて東京にふみとどまっていた。」すべての友達が東京から去ったが「然し廃墟に生き残り、何か抱負を持っていたかと云えば、私はただ生き残ること以外の何の目算もなかったのだ。」
そして占領後、「米人たちは終戦直後の日本人は虚脱し放心していると言ったが、爆撃直後の罹災者達の行進は虚脱や放心と種類の違った驚くべき充満と重量をもつ無心であり、素直な運命の子供であった。」
「生々流転、無限なる人間の永遠の未来に対して、我々の一生などは露の命であるにすぎず、その我々が絶対不変の制度だの永遠の幸福を云々し未来に対して約束するなどチョコザイ千万なナンセンスにすぎない。…ただ、少しずつ良くなれということ」
1946年 日本国憲法第13条「すべての国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」
1946年 パラマハンサ・ヨガナンダ『あるヨギの自叙伝』(日本語版1983年) 「外のものばかりを追い求めていると、いつの間にか内なるエデンの園から迷い出してしまう。外のものは、魂の幸福をまねた見せかけの喜びしか与えてくれない。」
1948年 太宰治「家庭の幸福」 「家庭の幸福は、或ひは人生の最高の目標であり、榮冠であろう。最後の勝利かも知れない。…家庭のエゴイズム、とでもいふべき陰鬱な観念に突き當り、たうとう、次のやうな、おそろしい結論を得たのである。/曰く、家庭の幸福は諸悪の本(もと)。」
1949年 ドイツの作家ヘルマン・ヘッセ「幸福」 「かつてあの伝説上の『幸福な』人たちが本当にいたとしても、あるいは嫉妬をもってたたえられた幸運児や太陽の寵児、そして世界支配者も、わずかに時折、ただ恩寵に恵まれた華々しい時または瞬間には大きな光に照らされたにしても、彼らは別の幸福を体験することや、別の喜びの分け前に与ることはできなかった。完全な現在の中で呼吸すること、天空の合唱を共に歌うこと、世界の輪舞を共に踊ること、神の永遠の笑いの中で共に笑うこと、それこそ幸福に与ることである。」
1953年 米国レイ・ブラッドベリSF小説『華氏451度』 読書それ自体が禁じられた社会。焚書という仕事に疑問を持つ主人公に上司は「国民を不幸にしたくなければ、すべての問題にはふたつの面があることを教えてはならん」。悩まず幸福に生きるには、多様な考えに触れることは邪魔だ。
1958年 フランスの思想家ジョルジュ・バタイユ「純然たる幸福」 「純然たる幸福は瞬間のなかに存在する。…私は、私の幸福について語りたいし、語らねばならない。だがそれが原因で、何とも理解しがたい不幸が私を訪れる。…今の私においては、幸福について語りたいとする欲求が苦痛になっている。言語はけっして純然たる幸福をめざさない。言語は行動をめざす。行動の目的は失われた幸福をもう一度見出すことだ。しかし行動そのものはこの幸福に到達することができない。というのも幸福であったら私はもはや行動しないであろうからだ。」
1960年代 コンシューマリズム
あらゆる業界の広告宣伝担当者たち(あらたに確立された職業)は、製品と幸福を結びつけることで、売上が飛躍的に伸びることを発見した。幸福文化が20世紀半ばに一般化し、その後ほぼそのまま現在まで継続している。
1963年 ニコニコマーク
黄色地に笑顔がかわいい「スマイリー・フェイス」をアメリカの広告会社経営者ハーベイ・ポールが作った。幸福ブームに便乗した成果である。爆発的にヒットし、10年足らずでライセンス収入は5000万ドルを突破した。
このころTVやラジオ番組に挿入される効果音の笑い声「ラフ・トラック」が考案される。多少つまらない番組でも、視聴者は間違いなく楽しい気分になれるようになった。アメリカABCテレビドラマ「奥さまは魔女」(1964~1972)、日本テレビ「巨泉×前武ゲバゲバ90分!」(1969~1971)など。また写真を撮るときに、笑顔のポーズをとるのが流行になる。
1968年 ロバート・ケネディの演説
アメリカのGNP(国民総生産)は「大気汚染やタバコの広告、幹線道路から死体を取り除くための救急車を計算に入れています。自宅の扉や監獄を破られないための特殊な鍵を計算に入れています。……しかし、我々の子どもたちの健康や教育の質、遊びの楽しさは含まれません。」
1974年 イースタリンのパラドクス
米国の経済学者リチャード・イースタリンが「イースタリンの逆説」を提唱。国民の幸福度に関する意識調査の結果は、ひとり当たりの所得とあまり相関しないという。しかし反対論や異論も多い。
1976年 GNH(国民総幸福量)
ブータンのワンチュク前国王はGNHを提唱した。
1977年 幸福の黄色いハンカチ
山田洋次監督の映画「幸福の黄色いハンカチ」公開。高倉健・倍賞千恵子・渥美清・武田哲也・桃井かおりほか。ストーリーのヒントは「ニューヨーク・ポスト」紙に1971年掲載のコラム「G o i n g H o m e」。物語の展開は、米映画「シェーン」(1953)から山田は得たという。(京都在住の野田さんからこの件で指摘がありました。「下敷きになったのは、アメリカのポピュラーソング『幸せの黄色いリボンでは?』。調べてみます。ありがとうございました。)
1987年 ブータン
英国経済紙「フィナンシャル・タイムズ」がG N Hを大きく取り上げた。それ以降、「幸福」巡礼者がブータンに長蛇の列をなすことになった。
1991年 ソヴィエト連邦崩壊
1992年 小平『南巡講話』発展しつつある新玔特区で「社会主義の道は、共同富裕が最終目標だ。条件のある地区が先に豊かになるようにしたが、貧富の差が広がり、両極分化が生じるかもしれない(当時は現在と違って貧富差が少なかった)。解決法は、豊かな地区が多くの税を納め、貧困地区を支援することだが、早くやりすぎ、発展地区の活力を弱め、後進地区の『大釜の飯』(国への依存)を促してもいけない」。翌年には実弟につぎのように語った「富をどう分配するかは大問題で、この問題の解決法は発展を図るよりむずかしい。一部のひとが富を得て、大多数が持たない状況が進めば、いずれ問題が起きるだろう。」先富論の生んだ格差拡大と腐敗蔓延はその後、深刻化している。
1997年 辺見庸『もの食う人びと』角川文庫あとがき
「一切の価値も意味も商品化と消費にしか還元しないがゆえに、人が食いかつ生きることの本来の価値と意味のすべてをぼろぼろと剥落させてしまったこの(日本)列島では、身体性の回復というアイディアさえもが商品化可能なフィクションでしかない。」
1999年 ダライ・ラマ14世『幸福論』(日本語版は翌年刊)
物欲や財欲、また感覚のせっぱつまったその時の「欲求を満たしたときの一瞬の高揚感は、麻薬中毒者が欲求を満たしたときに感じるものとそう違わないかもしれない。一時的には救われたように思っても、またすぐにもっと欲しくてたまらなくなる」
本当の幸せとは「心の平和」である。他人の幸福を考えて行動することで、心の平和は得られる。消えることのない幸せと喜びは、すべて思いやりから生まれる。
2000年 村上龍『希望の国のエクソダス』 「この国には何でもある。だが、希望だけがない」エクソダスは脱出。
2001年~2009年 米国ブッシュ前大統領
アメリカに深く根付いたポジティブ・シンキングという異形な幸福論。典型がブッシュ前大統領である。「彼がたえず口にしていたことは『ポジティブ(楽観的)であれ』ということだった。彼の外交政策の信条は、なんと『楽観的であれ』ということだったのです。彼のもとで働いていたライス国務長官(当時)は『大統領は楽観的であることを要求してくる』といっていたそうで、外交上の様々な懸念があってもそれを口に出せなかったようです。この『ポジティブネス』(広く情報を集め、深く考えることの欠如)がイラク戦争をまねいたとすればとんでもない話で、…アメリカではポジティブであることは、個人の気分や状態というよりもイデオロギーになっている…科学主義・実証主義と手を携えて、『幸福の心理学』や『幸福の社会学』や『幸福の経済学』などを生み出している。何事もいったん思い込んだら、ことごとく『科学』にしなければ気が済まないアメリカ人らしく、いたるところに『幸福の科学』が登場している。(佐伯啓思『反・幸福論』)
2002年~ 47人の幸福「月刊PHP」連載 五木寛之「幸せの基準を低くする」 山田太一「自分が心地よい幸福のサイズこそ」 田辺聖子「面白いことをかき集めて人生を楽しむ」 森光子「一緒の輪の中で、皆が微笑んでいる」 羽生善治「勝負も人生も、苦しさの後にこそ幸福がある」 島倉千代子「それでも笑って生きる」 小椋佳「幸福は見つけるものではなく、創り出すもの」 村田兆治「本物に触れること」 加藤登紀子「自分自身のやり方で、ゆっくり歩いていきたい」 浅井愼平「人は誰でも、幸福の種を持っている」 阿久悠「皆の幸せの先に、個人の幸せがある」 三浦雄一郎「人生は、ゆっくりと眺めながら歩くほうがいい」 内館牧子「すべてが手に入るという幻想を捨てる」 朝田次郎「仕事に集中し、遊びにも集中する」 堀田力「笑顔こそわが人生」 佐藤愛子「楽天的に生きる」 稲盛和夫「自分の中の美しい心に目覚める」 堀場雅夫「本気でやれば、すべては必ずおもしろくなる」 櫻井よしこ「物やお金から、心を解放させる」 藤本義一「心地よい疲れと嫌な疲れの差は大きい」 陳俊臣「喜びも、悲しみも、ほどほどがいい」 森本哲郎「幸せは必ず足元にある」 河合隼雄「道草の途中に落ちている幸せ」 曽野綾子「幸せと不幸せは、いつも半々」 黒鉄ヒロシ「幸せという言葉の幻想に惑わされない」 瀬戸内寂聴「互いを思いやる気持ちこそ」 養老孟司「世間の奇妙な常識にとらわれない」 中坊公平「心に残る思い出の中にこそ」 谷村新司「心の命ずるままに」 紫門ふみ「とにかく、やりたいことをやってみる」 秋元康「あなたはもう、幸せに満ちている」 黒柳徹子「大人が子どもの夢を奪わないこと」 柳田邦男「人は、不幸を受け入れながら幸せになる」 玄侑宗久「思い通りにならない人生だからこそ」 さだまさし「幸福は、すでにあなたのポケットに入っている」 大林宣彦「人生に降る雨が、幸福に気づかせてくれる」 夢枕獏「とりあえず二番目の幸福を目指してみる」 中村メイコ「精一杯走る幸福・ふと足踏みする幸福」 桂三枝「幸せは、人が発する熱とエネルギー」 九重貢「自分に負けたら、幸せはやってこない」 安藤忠雄「幸福は、無我夢中の中にある」 仲代達矢「個性を磨いて人生の主役を演じる」 萩本欽一「ずっと僕は、幸せだった」 堀江謙一「ヨットマンの幸福」 喜多郎「変わらないこと、知らないことの幸せ」 水木しげる「人生を、いじくり回してはいけない」 山田洋次「幸福の原点は、身の丈に合った生活の中にある」(『幸福論』2006年刊)
2006年 米ロンダ・バーン『ザ・シークレット』 古代から中世錬金術、そして現代にいたる「引き寄せの法則」によると、欲しいものを常にイメージし考え続ければそれら願望は実現し手に入る。宝くじの当選番号も、自分をまったく知らない他人でも、その思考によって操れる。アメリカを代表するポジティブ・シンキングの大ベストセラー。わずかの期間で、本とDVDあわせ400万部をこえた。
2009年 米バーバラ・エーレンライク『BRIGHT-SIDED』(日本語訳『ポジティブ病の国、アメリカ』2010年刊)
アメリカ人は陽気で、快活で、楽天的で、浅薄である。アメリカン・イデオロギーと化したポジティブ・シンキング(楽観思考主義)の現状と問題点を理解するための好著。
2011年3月11日 佐伯啓思『反・幸福論』 「命も財産もそして築きあげてきた幸福もすべて自然の威力の前では意味をもたないのです。人間がその存在の意義をいっきに否定されること、そこにこそ今回のような大災害の意味があるのです。」「災害のもたらす死への<恐れ>ではなく、死への<畏れ>と<おののき>こそが<宗教的なもの>へと触れる瞬間をもたらすのです。」
2012年 「ハーバード・ビジネス・レビュー」2012年5月号「幸福の戦略」特集
同誌ディレクターのジャスティン・フォックスは「幸せはお金で買えない。しかし、幸せを測定する能力は買えるかもしれない」と述べている。
2012年 米ハーバード大マイケル・サンデル『それをお金で買いますかー市場主義の限界』 企業は活動の目的を、利益の最大化から、人々がともにより良く生きるための「公共善」「共通善」の追及へと広げるだろう。新自由主義経済学は、企業の唯一の目的は株主価値の最大化であり利益の追求としてきた。しかし企業にとっては、株主以外にも顧客や取引先、従業員さらには地域社会も重要である。
<2012年5月29日 訂正加筆中>
私も最近は調べて書くというのが億劫になりつつあります。
どちらかと言うと、孫相手に遊ぶというような日常の断片を書くほうが気楽です。それはそれで面白いと思う方もいるようで、京都新聞さんのコラムもまた延長してくれとの依頼がありました。5年目ですから、そろそろネタも尽きそうですが、まあ片意地張らずチンタラ続けるつもりです。
ついムキになる性格で、困ったものです。この珍奇さは、自称天然記念物です。
わたしも孫と遊びたいのですが、残念ながら東京住まい。
やたら行けませんので、同月生まれの幼い愛犬と日々たわむれております。
年表は細々と「孫」引きを極力減らしてやってみます。これも戯れのようです。
ところで、京都新聞5年! すごいですね。
わたしなど1期でお払い箱でした。
毎回ウィットにあふれたお話し、楽しみにしております。
執筆者に大学の先生が多いのは、土地柄上仕方がないと思いますが、紀要論文か何かと勘違いしている方もいますね。それと自分の関係するイベントなんかに誘導しようとする人も困ったものです。ここぞとばかりに宣伝されてもねえw
まあ、最近は1年(半期)で降板する人が多いのは、地方紙の夕刊の読者層をあまり考えていないのでしょうか?