ふろむ播州山麓

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隠れキリシタンと天皇制 第2回

2015-10-04 | Weblog
<昭和初期のクロ宗調査報告書>

『鹿児島県史』卷3に、甑島のクロ宗の記述がある。県史はつぎのように記している。
 下甑島の片ノ浦(現・片野浦)にクロ宗と称する基督舊教に属する一種の秘密教団を存し、同部落八十余戸がこれを奉じて居り、クロは十字架(クロス)から転化したもので、この教団は島原一揆残党の一部が転住したに始まると伝へ、今日部落には十字架を彫りつけた三基の墓碑が遣っているともいう。年一回の祭礼たる基督降誕祭は深夜秘密に催すが、これは禁制時代より続いた古い習慣と思われる。教徒死亡の際にはクロ宗により祭祀し、次いで喪を発して後、真宗による葬儀を行うという。

 そして昭和11年、鹿児島県史刊行の五年ほど前に、鹿児島県立川内中学校(旧制)が編集発行した『川内地方を中心とせる郷土史と伝説』に「甑島のクロ宗」の記述がある。なお大毛家は代々庄屋だった家だが、「サカヤ」と呼ばれる世襲の司祭である。サカヤはカトリックのサクラメントの転嫁であり、秘蹟あるいは秘蹟を行う者を意味するという。
 サカヤには現代では「賢家」の字をあてているが、大毛家は世襲制度の賢家であり、万世一系によって継承されている。サカヤは村に対して、いまも強大な絶対的支配権を握っている。川内中学の報告は以下の通りである。現代語にあらためる。

 甑島下甑村の片ノ浦には「クロ宗」と称せられるカトリックに属する一種の密教が現存している。
 片ノ浦海岸を隔たる十町、谷間の山間部落にして八十余戸が密集し、平和な農村部落を形成している。部落民の結束極めて固く、すべて秘密主義をとっているため、このクロ宗、本体もまた判然となっていない。
 最近県当局の調査によれば、クロ宗のクロとはキリストのクロスから転化した語とみられている。付近の古老の言によれば、今を去る約三百年前、島原の乱に破れた信徒の一部が信仰の自由を求めて海を渡って密かにここに転住したものといわれ、従って現在ではクロ宗に関するよるべき確実な資料は発見されず、ただ部落には十字架を彫り付けた三基の墓碑が残っているのみである。
 部落民の特殊な風俗について見ると、部落民は極端にクロという言葉を嫌悪し、便所も十字を踏まぬ構造になっている。祭礼の行事は年一回深夜極秘に催される。この深夜、祭事を行うのは、イエス・クリストの誕生日にヤソ教徒が深夜に祭りを行うという古い習慣があるのを部落民が襲行しているものと考えられ、信徒死亡の祭は、まずクロ宗による祭が行われて後、喪を発して真宗による祭儀を執行するといわれている。
 同部落の素封家、大毛示氏は、クロ宗の本家と称せられ祭事を掌っているものといわれているが、氏は京都中学を経て中央大学出身の人格者である。同氏を中心とする部落民の信仰生活は又めぐまれたものであろう。
<2015年10月4日 南浦邦仁>

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