ずいぶん前のことですが、この欄で「東川と東山」というタイトルの文を書いたことがあります。
京都盆地は三方を山に囲まれている。東山、北山、西山です。なかでも東山三十六峰に対する京都人の思いは深いようです。
しかし、東の山を東山と呼ぶのは、洛中に住まうひとたちの、自分勝手な言い分です。東山の向こう、山を越えれば京都市山科区。山科の住民にとって、東山は西方に連なる西山です。
山科区のどこかの学校に、「♪西にみえるは東山」という校歌があるらしい、と聞いて「それは面白い」と思いました。本当にそのような校歌が存在するのか、調べてみようと思い立ったのです。しかし途中で馬鹿らしくなって挫折。
このような話しをかつて書いたこと自体、ほとんど忘れていましたが、ブログにコメントがつい先日、届きました。
「のりっく」さんという存じ上げない方ですが以下、転載いたします。
はじめまして (のりっく)
キーワード検索してたら、この記事に辿り着きました
僕は山科の花山中学校出身でして、
今から20年前の花山中学校校歌の歌い出しは…
「北にそびえる鏡山 西につらなる東山」です。
記事にある「西にみえるは東山」と歌詞は違いますが、実在します。
中学時代、校歌を歌いながら「どっちやねん!!」と思ってました。
驚きました。本当に、♪西の東山は存在したのです。のりっくさん、ありがとう。感謝感激です。
ところで、東西南北上下左右ですが、ある図書館の方から数日前に聞いたお話しです。「イギリス制作の世界地図では、日本は右の端。極東の国というのがよくわかります。またオーストラリアの世界地図では、南北半球が逆さまで、はじめて見たときに、頭のなかが混乱してしまいました」。世界地図では、みな自国が中心なのです。
地球儀では、東へ東へ右右へ水平に行っても、西西左左へ向かっても、出発地点に戻ってしまいます。東西などないのでしょう。上下南北だけは固定されていますが、これもおかしい。宇宙では、南北も上下もないはずです。地球儀は天地を固定せず、自由に転がるボールの状態であるべきではないか?
ところで「東川と東山」と、のりっくさんのコメントは、このページの左欄「最新のコメント」で読めます。どうぞクリックしてみてください。
<2009年7月25日 南浦邦仁>
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