ふろむ播州山麓

旧住居の京都山麓から、新居の播州山麓に、ブログ名を変更しました。タイトルだけはたびたび変化しています……

大佛次郎の名文

2008-05-12 | Weblog
川端康成『古都』からはじまって、京ことばの真下五一に行き当たり、そして最近のこと、わたしは大佛次郎にたどり着いてしまった。
 小説「古都」を朝日新聞に連載中、川端が新村出に送った文がある。<「古都受賞」にこたへて>。受賞とは、新村が連載「古都」を賞賛したことのようだ。川端は、こう書いている。

 「もっとも困ったのは、京ことばであります。ご存じのやうに、京都といっても、ところによつて多少ことばがちがふやうで、私には書き分けられませんし、今はむかしながらの京ことばを話す人が減って来てゐるやうであります。(大阪も同じことでせう。)私などにたいしては京ことばで話してくれません。結局、いたし方なく、いい加減な、つまり私の京ことばで書いてをります。その結果會話が單調におちいり、生彩を失ひます。原稿を見せましたら、直してくれる人はあつても、私の方にその時間のゆとりがありません。本になります時は、校正刷りを見てもらふつもりでをります。また「朝日新聞」の讀者は、北海道から九州までありますので、京ことばの参考書などによつて、あまり特別な單語を使ひますと、わかりにくいかとも思ひます。祇園あたりの舞妓さんなどは、京ことばで話してくれますが、これは祇園ことばでありませう。…」

 文を直してくれるひととは、真下五一のことである。しかし新聞連載中、川端は書きだめができず、毎日締切時間に追われ、真下による事前の目通し修正が不可能であった。結局は、単行本刊行のおりに、京ことばは真下が直した。

 この新村あての文の末尾には、<大佛次郎氏の名文「京都の誘惑」>と川端は書いている。早速、大佛の文を図書館で読んでみたが、期待が強すぎたせいであろうか。確かにいい文ではあるが、川端が絶賛するようなものであるかどうか、わたしには判断できなかった。
 ただ川端は「古都」を、<わたしの京都の小説の序の口であり、いつか京の人をひどく怒らせるものを書くことがあるかもしれない。大佛の名文も同様に、序章である>と記している。大佛次郎「京都の誘惑」の序を紹介してみよう。

 「小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が書いた随筆に、祇園の裏町を通ったら、置屋の木戸があいて、うちかけを着た花魁(おいらん)がかむろを伴って立ち現れたのを夜の闇の中に見た話が出ている。明治年代の夜のことだが、墨で塗り潰したような暗い道路に提灯の影がさしたと思うと、その光の中に異様な髪かたちに櫛笄(くしこうがい)を挿し、金銀の縫取りのあるうちかけを被(き)て高下駄をはいた姿なので、きららかな衣装の女が背丈も大きく見える。これが闇の夜を背にぬっと現われて、ゆっくり運ぶ下駄の音と共に、道を遠ざかって行くのである。…明治の夜の闇の中に[ハーンは]、旧幕時代の日本から残る亡霊を見たような思いだったであろう。…」

 大佛次郎に抜粋された、この小泉八雲随筆の全文を読みたく、パソコンであれこれ検索してみたが、どの本に載っているのか、みつからない。図書館で、いつか小泉八雲全集でみつけようと、持ち前の癖で思ってしまうが。
 ところが不思議なことに、八雲全集ではなく、庭や花木を書いたアンソロジーを読んでいて、大佛次郎のすばらしい名文に出会った。随筆「樹を植える」である。<『日本の名随筆別巻14『園芸』所収・作品社・1992年刊>

 「・・・もっと人が木を植える習慣が出来たら、この世は更に楽しいものに成るように思う。更に私は、人が死んだら墓碑として好きだった木を植えるようにしたら、とまで考える。石塔ではなく、木は成長するし繁って行く。死んだ人に代わって生きて行くのである。木が枯れるのは何十年か先であろう。花の咲く木を選んだりしたら、墓地がこれまでとは違い、如何ばかりか明るくなることだろうか。
 赤ん坊が生まれた限り、必ず、一本の樹を親たちが植える。人それぞれのトオテム・ポールのように、そんなことにも空想は及ぶ。場所は都市がその為に地面を提供するのである。恋人同士は、あなたの木は何ですかと尋ねることも出来れば、恋人の木の下へ連れ立って憩いに行くことも出来る。そんな風にする習慣が出来たら墓地のみならず、人間の住む土地が、どれほど美しく変貌することであろうか?
 小さい[自宅の]庭を眺めながら、私はこんなことを考えた。悪くない夢のようである。・・・」

 一本の植樹のことは、すばらしい夢であろう。川端から寄り道して、人生の木、誕生と埋葬、二本の樹に出会ったようである。わたしに孫がいつか生まれたら、木を植えてやろう。何の苗木がいいか。早速に明日から思案してみることにした。
 それにしても、わたしの文章は引用ばかり。友人の指摘、「自らの感性で、オリジナルを書きなさい」という忠告にこたえる実践が、ままならない。

<2008年5月12日 記念植樹 南浦邦仁記>
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