無意識日記
宇多田光 word:i_
 



引き続き煽り口調でライヴに対する観客としての態度の話です。後半はちぃと個人的な話になっちゃいましたが(^∇^ヾ

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ライヴの観客になる、ということを、家のリビングでテレビを見たり部屋で本を読んだりすることと同義と考えるケースがある。これは大きな間違いではなかろうか。ライヴの観客になるということは、いうなればテレビの中に飛び込んだり、本の中の世界の(例え通行人役としてでも)住人になったりすることに近いと思うのだ。それはきっと、ただ流されてくる情報を何も侵すもののない状況で享受するのではなく、その流れの中に飛び込んで、ときには流れの潮目を変える役割すら果たせる“参加者”になるということなのだと、筆者は考える。

「そんなことはない。私は、どんなライヴにおいても、殆ど反応を示さない。必ず傍観を決め込む“鑑賞者”でしかない。“参加”なんて、しているつもりはない。」という人もいるかもしれないが、それはちょっと違う気がする。というのも、実は僕もかなりのライヴにおいてその“傍観する鑑賞者”のスタンスで臨んできたのだが、そのたびに(全く僅かであるとはいえ)自分がひとりの人間としてそこに存在することの影響を消すことはどうやってもできない、と何度も痛感してきたからだ。確かに、声援を送ったり腕を振り上げたり身体を動かしたり、と目や耳で捉えることのできる所作動作があればいかにも“参加している”という印象を人はもつ。しかし、そこにそうやって「黙って座っている」こともまた、ひとつの所作・動作といえるのだ。必ずそれは周りに影響を及ぼす。(「沈黙もまた答えです」byナウシカ) そういう人が多数になる場面を想定すればわかりやすいだろう。複数の人が掲示板で「自分は盛り上がりたかったのに周囲がみんな冷めていて気持ちが乗り切れなかった」ということを書いていた。これを安易に“水をさす”とは形容したくないが、ただ黙って座っていることが周りに影響を及ぼした、という点では、たとえば真ん中に物凄く盛り上がってる人がいてそれにつられる形で周囲の人も高揚してくる、といった典型的な盛り上がりケースと結局は同じことである。影響力という点ではね。特にこれはクラシックのコンサートでは顕著であり、数千人、ときには数万人のひとが、ひとつところに集まって一言も話さずに一点を凝視し注目を集中させる、という冷静に考えれば凄まじく異様な空間がそこに出現するのだ。その“特異な(非日常的な)空間を創造する”ことについて、そこに集まった観客たちひとりひとりは何千分の一ずつであるとはいえ“ただ黙って座っている”ということによって、間違いなく「寄与している」といっていいだろう。この場合、ただ座って黙っていることが何よりもの“ライヴへの参加”であり、結果それが舞台の上の演者に対して大きな影響力を行使することに、なる。家でアナログテレビを見たりマンガを読んでいるだけでは、こうはいかない。逆立ちしてもでんぐりかえりしても、コンテンツの内容は変わらないのだ。(マンガに塗り絵して全編カラーに書き直してもいいけどね~、でも作者には何の影響も及ぼさないでしょう?お便りを出さない限りは) しかし、ライヴは違う。必ずアナタはそこに居る。それは覆しようのない事実なのだ。「黙って座ってることも参加形態の一種」であることに気持ちが至れば、周囲への影響を考えずに「俺達は客なんだから好きにさせろ」と傍若無人に振舞う気も失せるはずである。『全く厨房に立つことなく(つまりお金を払った対象に影響力を行使する機会を一度ももたずに)出てきた料理を食べて美味い不味いといえ済むようなレストランでの“客”』のように振舞うのとは、わけが違うのだ、ライヴの観客という立場は。

僕がこんな風に考えるようになったのは、どんなジャンルのコンサートに行っても、余りにもチケットの値段が高かったからだ。「それとこれとに何の関係があるんだ?」と思われるかもしれない。思考過程の顛末はこんな感じ。最初のころ、上述のように僕は、できるだけ「傍観者」になって、公演の内容をできるだけフェアに「鑑賞」して「評価」しようという態度でライヴに臨むことが多かった。しかし、そのスタンスで実際に会場に行っても、払った金額に見合った演奏を聴かせてもらえることは非常に稀であった。中には余りにも生演奏が凄まじ過ぎて「なんでCDはあんなに気のない演奏やねん」と思ってしまうようなこともあるにはあったが、やっぱり殆どなかった。大体において、CDのほうが歌はちゃんと歌えてるし、サウンドはずっとキレイだし、会場で聴くことのメリットといえば、家でヘッドフォンで聞くより(音は少々悪くても)でっかい音量で聴けることと、ライヴならではのアレンジを聴けることくらいだった。(洋楽が多いのでMCは元々期待していない) しかし、実はそれも冷静に考えれば、ただデカイ音で聴けるのが嬉しいのならわざわざ海外から高い渡航費払って演奏者達を呼ばなくても、PAだけ用意してCD掛けてくれたほうがずっといいわけだ。実際、そういう風にいろんなバンドの曲をライヴハウスでDJのひとがCDで大音量で掛けてくれるイヴェントとかあるしね。そっちのほうがずっと安く済むし、名曲ばかり揃えてくれるからずっと楽しい。また、ライヴならではのアレンジ云々といっても、後日西新宿に行けばチケット代よりずっと安価でそのときの公演の海賊盤が手に入るし、そっちならライヴと違って何度でも聴き返すことができるからコストパフォーマンスはずっとイイ。だって、ライヴってCDの2倍~4倍くらいの値段がするのだもの。それなのにライヴのほうは楽しめるのはたったの2時間。ブートレックCDを10回聴き返せば結局、単位時間当たりのお値段は50倍とかになるのだ、チケット代というのは。これは凄い差である。やっぱり、「音楽を鑑賞」しに行くという目的だけでは、6000円とか7000円のチケット代は非常に割高感があった。(例外なのがクラシックのコンサートで、何しろ生楽器生歌唱だからCDよりも抜群にサウンドがいい。あれは、それだけでも高いお金を出して生演奏を聴きにいく価値があるw(もちろんそれ以外の価値もあるよん))

しかし、そこで僕は翻って違う考え方をしてみた。ライヴというのは「アーティストとファンがお金を出し合って一緒に作り上げる“作品”なんだ」という風に。こう考えると途端に気が楽になった。まず好きなアーティストが新譜を出したらみんなで率先して購入し、レコード会社及び招聘会社候補に「このひとたちが来日してくれたらもちろんライヴに行きますよ」と圧力をかける。添付されたプレゼント応募葉書にも「来日希望」と書いて投函する。ひとたび来日が決まれば、今度は彼らが来日するための滞在費や渡航費を、チケット代というカタチでファンのみんなで協力して用意し合う。もちろん、会場の設営のための費用でもあるわけだ。そうやって、みんなでお金を出し合って好きなアーティストを招いて、会場を設置して、一緒に歌って一緒に騒いで一緒に腕を振り上げて、お互いのお互いに対する愛情を遠慮なく伝達しあおう、その楽しくて仕方のない空間と時間を、ファンとアーティストが一体になって作り上げよう、チケット代とは、そのための“会費”“参加費”もしくは“制作費”みたいなもんなんだと思ったら、そのCDの何倍もの値段というのが、結構妥当なものに思えてきたのだ。面白いことに、完全に受身で「鑑賞・傍観」して、音楽を“享受しよう”“何かを得よう”という態度でいるときより、そうやって「自分も、自らが愛する音楽の担い手の一部になるんだっ!」と(まぁ、99%カンチガイみたいなもんなんだけどね(笑)残り1%に夢を見たっていいじゃないかw)“創り出そう”“自分も何かを与えよう”というふうに考えるほうが、高いお金を抵抗なく出せたんだよね。あくまでも僕一個人の経験に基づいた感想・印象に過ぎないんだけど。

で、そうなってくると、さっき“観賞・傍観する態度”でいたときに感じていた、「CDに比べて声が出てない」とか「演奏が物足りない」とかいった感想も、全く逆の様相を呈していくる。「なんだよ声出てねぇなぁ」と愚痴をいうことなどせずに、「あそこのハイトーン、お前ライヴで出ないだろう! 代わりに観客である俺たちが歌ってフォローしてやるから、マイクこっちに向けやがれ!!」っていうノリになったこともあるし(笑)、「CDに比べて演奏物足りないねぇ」と落胆したりせずに「中間部、CDだとギターが一本増えてバッキングを補うけど、ライヴではそういうわけにはいかないからサウンドが薄くなっちゃうだろう?? だったら、俺たちがクラッピングして(要は手拍子w)ラウドに盛り上げてやるぜ!」なんて妙に熱くなったこともある。(笑々) そして、そういう風に過ごすのが、にんともかんとも楽しくてたまらないのである。どうせ、周りは、知ってる人も知らない人も結局は同じ音楽が好きなどうしようもないヤツら(笑)ばっかりなんだし、舞台の上にはそのみんなの憧れのひとたちが居並んでいるわけだ。なんだかんだいってそんなふうにやってると、舞台の上も下もおんなじような気持ちになっていくんだよね。(これが感じられるのは、大抵前のほうに陣取った場合に限るんだけどね~) だから、その場限りかもしれないけどそのときにしか味わえない一体感でライヴはどんどんどんどん盛り上がっていく。アーティストのほうも、そのファンのエネルギーに感化されてどんどん演奏に熱を帯びていったり。(でもやっぱりハイトーンは出なかったり(笑)) もちろん、演奏は素晴らしいにこしたことはないし、ハイトーンもちゃんとCDどおりに出してほしいのはヤマヤマなんだけど(笑)、そうやって「ダメじゃん」と諦めてしまうよりは、結果的に何もならなくてダメってことになったとしても、声を張り上げてアーティストにパワーを伝えよう、っていう風に「自らを前向きな気分にすることができる/自分の中の積極性を引き出すことができる」っていうこと自体が、ライヴに“参加する”ことの大きな魅力だったりするんじゃないかな。そして、その積極的な、ポジティヴなフィーリングを掴み取れることの威力は、ただ家でCDを何度も繰り返し聴いたときに音楽から貰えるものより、何倍も何倍も大きい。これをいったん体験すればチケットの値段がCDの2~4倍になってることに納得がいくようになると思う。結局騙されてる/カンチガイしてるだけかもしれないけど。(笑) でも、「お金を払う」っていうのは、そのリターンに対して何よりも自分自身が納得できるかどうか、っていうのが大事なんだから、一応はそれでいいんじゃないかな~。


余談になるが、この「積極性」とか、「アーティストと一緒にライヴという“作品”を共同で創造する」といったことは、ウェブ上での振る舞いにも当て嵌めることができるかもしれない。彼女は結構ファンサイト巡りをしていると思われるフシがあるので、自らが公表したライヴに関しての意見・感想・論評などは、彼女の目に触れている可能性が結構高い。つまり、あなたの書いたことは、少なからずツアー中の彼女に影響力を及ぼしているのである。ライヴに何か不満があったとき、あなたが受身の享受者であれば、もしかしたら「こんなライヴ二度と行くか。つまらなかった。」という感じのネガティヴな表現に終始するかもしれない。恐らく彼女のことだから、テトリスDSのイベントで見せた大人気ないまでの負けん気の強さで、そういったリアクションも明日への糧にしてくれるだろうが、やはり「一緒にライヴを創り上げよう」という積極的・能動的な意識のもとで書かれたリアクションの文章の方が、有体に言って彼女にとってより“役に立つ”ものだと思う。「あそこがよかった。あそこがつまらなかった。」というだけの文章も、もちろん役に立つことにはかわりないのだが、そこからもう一歩踏み込んで、「あそこはこう改善したらどうか。ここはわかりやすさのために省いてみるのもいいんじゃないか」と、“UTADA UNITED 2006の一員としての態度”で、提案なり提言なりを基本としたリアクションを返したほうが、更によりよいものになると思う。まぁ、そこらへんは好き好きでいいんだけど、今ツアー中に僕らが気軽にとっているリアクションの数々も、UDUD2006の一部になって昇華してるかもしれないから、そこのところを気にとめておくのもいいんじゃないかな、ということなのでした。以上、余談終わり。



さて。最後に話を元に戻して。当然、今まで書いたような、“ライヴに参加しようとする意識”を、宇多田ヒカルのライヴに来てくれるお客さんみんなにそのまま求めるわけにはいかない、というのは、わかっているつもりです。年齢層が高かったり、仕事帰りのコンサートだったりすれば、そんなエネルギーが余ってなくっても無理ないし、そうでなくともふつーに座って「音楽を受身で享受したい」と思うひとだってたくさんいるだろう。そして、もしかしたら、そういう受身のひとたちは「あんなに騒いでたんじゃ、肝心の音楽が耳に入らないだろうに。一所懸命彼女が歌ってくれてるんだから、ちゃんと耳を傾けてあげなよ」って思ってるかもしれない。確かに、僕もよくそう思う。(笑) でも実は、そうやって騒いでいるひとたちは、今ここまでに書いたような、ただ座ってるだけでは得られないいろんなものを得られている(こともある)んだ、っていうことを知ってもらえれば、少しは見方も変わるんじゃないかな~と思って、この文章をまとめてみました。今度ライヴに向かわれたときに、遠くの方から騒いでるやつらを眺めながら、僕の書いたことをなんとなく思い出してくれれば、とっても嬉しいです(*^_^*) 以上!


コメント ( 6 ) | Trackback ( 0 )


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コメント
 
 
 
Unknown (うるみ)
2006-08-18 01:57:25
なげ~(笑)

一回寝て、明日行く前に元気があったら、読みます(笑)
 
 
 
Unknown (まみ)
2006-08-21 20:22:48
引き続き まで読んだ。



うそ。太字だけ読んだ。



これほんと。



 
 
 
Unknown (うるみ)
2006-08-22 01:39:22
まだ読んでないや(汗)



代々木までにはよみまふ。





はぁ~

とみ~は意外と年上なんだねぇ。
 
 
 
縦読みかと一瞬思った私。(謎) (i_)
2006-08-24 21:51:22
> 師範



今太字だけ読み返してみたら、

それで全然OKということに気がついた。(笑)

8割方それで内容を網羅している。(^^;

私が長文なのは、たくさんのひとが読んだときに

議論に穴が少なくなるように、という意図も大きいので、

ヒカルのコアなファンには説明過多な部分もあるかもな。





> みんとまにあまにあ



いや~というわけなので、

太字だけ読んでくれたらええよ(^。^;

あとは、ヒマで読むものがないときにでも。

もっといい文章が書けたら、もっと積極的に

「是非読むべきだぁっ!」って力説できるんだけどね。

どうにもこうにも妥協の塊ばっかりですわ。忝い。
 
 
 
Unknown (まにまに)
2006-08-25 12:59:24
らじゃー!



 
 
 
最初誰かと思った。(笑) (i_)
2006-09-27 00:17:14
> まにまに



労わってあげなはれw もう若くないんだし。(失礼なっ!(爆))
 
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