無意識日記
宇多田光 word:i_
 



さて中休みをはさみまして。続いては唯一のカバー曲にしてゲストに本家スチャダラパーを迎えた今夜はブギーバック。

最近、こちらも本家の小沢健二が16年ぶりにTV出演してタモリが微笑ましく見守る中笑っていいとものCM中に弾き語りで披露してまた注目を浴びた曲だが、リリースは1994年3月9日。我々がFirst Loveの15周年を祝っているまさにその時にこの曲は20周年を迎えていたのだ。

それにしても、こんなに沢山カバーされているとは。Wikipediaを見ただけでも、15年の長きに渡って現在までコンスタントにカバーされている。どの世代にも愛される普遍的な名曲といえるだろう。

どの世代にも、といったが私より上の世代にはラップ・スタイルはちょっと厳しいかもしれない。が、この曲なら聴き方次第だろう。例えばあれだ、演歌だとイントロで、司会者の名調子による前口上というのがある。田舎のお母さんに向けて歌います、的な。あれは、いつも言っている通り歌に物語性を付与して感動を増幅させる手法で、歌詞に重きを置く日本人ならではの手法だが、ラップとはこの前口上が長くなったものだと思えばよい。

特にこの今夜はブギー・バックの歌詞は秀逸で、一頻り状況説明をした後に『心のベストテン第一位はこんな曲だった』とか『この頃の僕らを支えたのはこの曲だった』とか、曲を名指しして小沢によるメロディアスなサビに突入する。この"こんな曲"や"この曲"がサビメロのみを指す、つまりメロディアスな部分だけが曲中曲、或いは歌中歌として扱われているのか、それとも曲全体を指しているのかは不明だが、兎も角この構造は、スチャダラの2人が前口上を務めて「それでは小沢さんに歌っていただきましょう、今夜はブギーバックです、どうぞ!」と言うのと変わらない。その意味でこの曲はラップ・ヒップホップ・スタイルへの入り口として最適な曲だったといえるだろう。これでどうぞと言われて歌い出すメロディーが印象に残らなければどうしようもないのだが、兎に角この曲のサビメロは切なく青臭くそれ故に美しい。小沢の才能がここに炸裂している。

なぜヒカルがこの曲をデビューライブでカバーしようと思ったのかわからない。もしかしたらスチャダラパーだったら呼べるよ、ときいてだったらやろう!となったのかもしれないが、どうみてもこの曲が大好きで堪らないというのはよくよく伝わってくる。メイン・ヴォーカルが女性であった時ならではの遊び心も満載で、スチャダラアニのモテモテぶりに心酔する女の子役になりきって『好きーっ!』と絶叫したり『心変わりの相手は僕に決めなよ』の問い掛けに対して『どうしようかな?』と悪戯っぽく微笑んだりと、この曲をよくよく知っていた風だ。

そういえばこの時前座にネプチューンを呼んでいた筈だが、あの時期にネプチューンのファンという事は、爆笑問題とも交流があったみたいだし、ほぼ間違いなくボキャブラ天国を見ていたのだろうな。エンディング・テーマだったもんねこの曲。こういう所でタモリと繋がりのある曲だ。

それにしても素晴らしい歌唱力だ。決して出来がよい訳ではなく、声は出切っていないし(色々と歌詞に合わせたオーバー・アクションが祟っている)、最後の方ではしっかり歌詞を飛ばしていたりしているが、メロディーの切なさをもっとも表現しきったパフォーマンスは宇多田ヒカルバージョンだろう。この点は本家の小沢も認めるんじゃないかな。加藤ミリヤによるカバーは多分このヒカルのバージョンを下敷きにしていて、まるでミラクルひかるが歌っているみたいだが、よく歌えていた。どこで聴いたんだろうねぇ。

ひとつ残念なのは、昔は沢山あったのに、今はもうYoutubeで検索してもヒカルのバージョンがヒットしなくなってしまった事。オフィシャル・リリースが成った以上仕方のない事かもしれないが、常に若い世代を掘り起こしていってくれるポテンシャルをもったカバーなので、それが今後は無くなってしまう。その切なさも何だかこの曲の曲調に似合ってていいんだけどね。どうかこれからも、若い人たちにこの歌が愛され続けますように。



…ところでところてん。ブギー・バックって、何?

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あ、「色即是空空即是色」を「カラーからカラ、カラからカラー」って読むのはこれが初めてじゃないぞ。随分昔のネタだ。

『Give Me A Reason to Show You.』

この一節、取り敢えず前半の『Give Me A Reason』の部分には前に「訳(ワケ)を教えて」と訳を与えておいた。giveは「与える」という意味だが、Reason(訳(ワケ))という抽象概念を与えるのだから示すとか教えるとか告げるとかになる。

その次、『to show you』は何なのか。toで繋がっているのだから、これを文章として書き直せば「I show you the reason」となる。ここでも抽象概念のreasonをshowするのだから、showの日本語訳は「見せる」とか「示す」とか「教える」とかになる。早い話が、前のGiveと同じ訳になるのだ。

GiveとShow. 二つで異なるのは教える相手である。Give meだから「私に教えて」だし、Show youだから「貴方に教える」になる。続けるとこうなる。

「貴方に教える理由を私に教えて」

何とも善問答な日本語だ。野暮ったい英語に直すならこれは「Give me a reason to give you」になるのだが、これでは対照があからさま過ぎる。Show youにする事で「ん?つまりさ…」という間を一瞬聴き手に与える。

それにしても、教える為に教えてくれとは何ともへんちくりんというか、矛盾した話である。この歌は、この矛盾を抱えたリフレインを何度も繰り返す事で成立しているのだ。冒頭の「矛盾だらけ」は、そのままタイトルに繋がり、一貫した一つのテーマとして楽曲全体を覆っている。


そして一番のサビはそのまま『訳(りゆう)もなく微笑む度に』と続く訳だが、ここで何故"訳"と書いて"(りゆう)"と読ませるかの訳(りゆう)の話から、また次回だな。飛び飛びになるとは、思うけど。

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