困ったな。2番の歌詞をみる場合、必ず1番と対比しなければならない。仕方ないから全部書くか。
『ひらいたばかりのはながちるのを
ことしもはやいねとざんねんそうに
みていたあなたはとても きれいだった もしいまのわたしを
みれたならどうおもうでしょう
あなたなしでいきてるわたしを』
この1番の歌詞を踏まえた上で2番の歌詞をみてみよう。
『あなたがまもったまちのどこかで
きょうもひびくすこやかなうぶごえを
きけたならきっとよろこぶでしょう
わたしたちのつづきのあしおと』
なるべく、基本的な所を押さえながら行く。アタマの「あなたが」だが、この格助詞「が」が1番で使われているのは「はなが」の1ヶ所のみである事、同じく2番でもこの「あなたが」1ヶ所のみである事に注目。既述の通りこれは、「あなた」と「はな」を重ね合わせてみている事に端を発している。1番の「はなが」と2番の「あなたが」の2つが、時を隔てて繋がり合っているのだ。
時を隔てるといえば、2行目の「きょうも」は勿論1番の2行目「ことしも」と対応している。歌詞の意味の上でも、両方とも「繰り返される生命の物語」として「今年も散る桜の花」と「今日も生まれる新しい命」の2つを取り上げている訳だ。この対比の為に、1番と2番で同じ場所に「ことしも」と「きょうも」が配されている訳だ。勿論頭韻は共通である。ローマ字で書いた方がわかりやすいか。「Ko-To-Shi-Mo」と「Kyo-U-Mo」。アタマは子音も母音も同じである。
ただ、留意すべきなのは、ここがこの歌のおもしろい所なのだが、2番では1番と違いメロディーを繰り返す事をしない。1番では「ひらいたばかりのはながちるのを」と「ことしもはやいねとざんねんそうに」と「みていたあなたはとても」は大体同じメロディーになっているが、これが2番では「あなたがまもったまちのどこかで」の一回きりしか出てこない。なので、「ことしも」と「きょうも」は場所は"1行目の直後"で同じ場所なのだが、メロディーが異なる。では、この「きょうも」とメロディーを同じくする1番の歌詞はどこなのか。「きれい」なのである。
ここがまたまた実に巧みだ。なにしろ、「ことしも」「きれい」「きょうも」の3つの頭韻の子音を総てKの音で揃えているからだ。2番の「きょうも」は、斯様にして、「ことしも」と「きれい」の2つに対して韻を踏んでいるのである。
語尾もまた韻を踏んでいる。「よろこぶでしょう」と「つづきのあしおと」の最後はそれぞれ「Sho-O」と「Shi-O-To」であり、最後のToを控えめに発音すれば耳心地は非常に似たものとなる。で、例によってこれも1番の歌詞との対応がある。「もしいまのわたしを」と「どうおもうでしょう」の語尾もまたそれぞれ「Shi-Wo」と「Sho-O」になっている。即ち、1番と2番に跨って「わたしを」「でしょう」「でしょう」「あしおと」と立て続けに脚韻を踏んでいるのである。
勿論、まだまだあるのだが今週はこの辺で。いつまで続くんだろうねぇこれ。
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