小さい人が使っていた小学生用の地図帳を眺めては楽しんでいる。
中くらいの人も中学で使っていた地図帳があるはずだが、どこかに埋まっているのか残念なことにまだ私の手元にきていない。
私は、文字を読めない小さなころから地図を眺めるのが好きだった。
電車に乗って遠距離を移動しているとき、客車の壁に設置してある地図の線路や海岸線をたどり、車窓から見える景色と合致するところを探して遊んだりしたものだ。
また、文字や数字を覚えだしてからは、時刻表をくまなく見ては日本に張り巡らされた線路とうまく調整された列車運行の妙技に驚きと敬意を抱いていた。
おそらくその下地によって、今も地図と時刻表にときめきを持ち続けている。
旅をした先々の観光マップもその例に漏れない。
外国など旅をしたとき、街のインフォメーションに必ず置いてある地図をもらいコレクションする。
先日、江ノ島に行ったとき、よくできた観光マップを得てかなり満足していたが、はてどこにしまったか思い出せなく焦っている。
話は戻り、地図帳。
自分の小学生のころの地図帳とはかなり進化して、大変面白く興味を引かせるつくりになっている。
地名などの記述で終始せずに、イラストを添えた名所旧跡に特色が付記してあり、多方向からのアプローチで重層的に印象付けをできるよう工夫がされている。
特に世界では多くの国が誕生し見慣れない国名が地図上に刻まれ、あるいは国の位置を勘違いしていたことを改めて知り、地図が好きだといいながらあまりの無知さ加減に恥ずかしくなったのだ。
それでも、自分の記憶の中にある断片的な情報が、地図を眺めることで訂正統合されていく快感は、なかなか面白い。
今、久々に地図帳を手中にし純粋な趣味の世界に入り込んで、幸せを感じている。
そうだ、昨日見た情報番組で立体投射型地球儀があることを知ってかなり心が揺れた。
地図が好きならば、もちろん地球儀もしかり。
球体の地球儀は、宇宙より鳥瞰している気分が味わえ、入れ子細工的めまいに酔いしれられる。
神の酩酊の疑似体験。
だから地図にぞっこんなのだ。
早く中くらいの人から地図帳を手に入れなければと、いっそうの思いが強まってきたところ。
中くらいの人も中学で使っていた地図帳があるはずだが、どこかに埋まっているのか残念なことにまだ私の手元にきていない。
私は、文字を読めない小さなころから地図を眺めるのが好きだった。
電車に乗って遠距離を移動しているとき、客車の壁に設置してある地図の線路や海岸線をたどり、車窓から見える景色と合致するところを探して遊んだりしたものだ。
また、文字や数字を覚えだしてからは、時刻表をくまなく見ては日本に張り巡らされた線路とうまく調整された列車運行の妙技に驚きと敬意を抱いていた。
おそらくその下地によって、今も地図と時刻表にときめきを持ち続けている。
旅をした先々の観光マップもその例に漏れない。
外国など旅をしたとき、街のインフォメーションに必ず置いてある地図をもらいコレクションする。
先日、江ノ島に行ったとき、よくできた観光マップを得てかなり満足していたが、はてどこにしまったか思い出せなく焦っている。
話は戻り、地図帳。
自分の小学生のころの地図帳とはかなり進化して、大変面白く興味を引かせるつくりになっている。
地名などの記述で終始せずに、イラストを添えた名所旧跡に特色が付記してあり、多方向からのアプローチで重層的に印象付けをできるよう工夫がされている。
特に世界では多くの国が誕生し見慣れない国名が地図上に刻まれ、あるいは国の位置を勘違いしていたことを改めて知り、地図が好きだといいながらあまりの無知さ加減に恥ずかしくなったのだ。
それでも、自分の記憶の中にある断片的な情報が、地図を眺めることで訂正統合されていく快感は、なかなか面白い。
今、久々に地図帳を手中にし純粋な趣味の世界に入り込んで、幸せを感じている。
そうだ、昨日見た情報番組で立体投射型地球儀があることを知ってかなり心が揺れた。
地図が好きならば、もちろん地球儀もしかり。
球体の地球儀は、宇宙より鳥瞰している気分が味わえ、入れ子細工的めまいに酔いしれられる。
神の酩酊の疑似体験。
だから地図にぞっこんなのだ。
早く中くらいの人から地図帳を手に入れなければと、いっそうの思いが強まってきたところ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます