今日はよく晴れて、真っ青な空には様々な表情の白い雲が浮かんでは形を変えていた。
程よい水分を含んだ地面には、畑の作物が活きのいい緑の葉を風になびかせている。
ツバメ達は電線に並んで止まり、思い出したかのように空を切っては虫たちを捕まえていた。
爽やかな風の吹く、清々しい一日。
自分で種を撒きや苗を植えて育てている野菜たちではないけれど、食事の支度の前に摘み取ってきたり、倉庫に保管してあるジャガイモを数個持ってきて井戸端で土を洗い流したりと食材を揃え調理したりしていると、人の労働の原初は食べることにありと身に沁みて思う。
絵を描いたり、文を書いたりするのは、労働の最終的余剰の賜物。
自分は、多くの人の労働によって支えられて生きている。
悲しい話だが、自分と住む世界の違う人たち、違う職種、違う人種、違う民族、違う宗教、多くの違うものについて差別したり忌み嫌ったりする場合が多い。
しかし、違うのは後天的要素であって、生物で人間なのだ。
美味しく食べて生きようではないか。
貧困で、紛争で、戦争で、搾取で、巻き込まれ嘆き悲しむ人々が耐えることはない。
一日一回の食事にも事欠く世界が、確実に存在し続ける。
我が家は今日も、きちんと三食食べられた。
これが当たり前のことだとは、少しも思っていない。
有難いことだと感謝しながら、明日もまた食べていくだろう。
程よい水分を含んだ地面には、畑の作物が活きのいい緑の葉を風になびかせている。
ツバメ達は電線に並んで止まり、思い出したかのように空を切っては虫たちを捕まえていた。
爽やかな風の吹く、清々しい一日。
自分で種を撒きや苗を植えて育てている野菜たちではないけれど、食事の支度の前に摘み取ってきたり、倉庫に保管してあるジャガイモを数個持ってきて井戸端で土を洗い流したりと食材を揃え調理したりしていると、人の労働の原初は食べることにありと身に沁みて思う。
絵を描いたり、文を書いたりするのは、労働の最終的余剰の賜物。
自分は、多くの人の労働によって支えられて生きている。
悲しい話だが、自分と住む世界の違う人たち、違う職種、違う人種、違う民族、違う宗教、多くの違うものについて差別したり忌み嫌ったりする場合が多い。
しかし、違うのは後天的要素であって、生物で人間なのだ。
美味しく食べて生きようではないか。
貧困で、紛争で、戦争で、搾取で、巻き込まれ嘆き悲しむ人々が耐えることはない。
一日一回の食事にも事欠く世界が、確実に存在し続ける。
我が家は今日も、きちんと三食食べられた。
これが当たり前のことだとは、少しも思っていない。
有難いことだと感謝しながら、明日もまた食べていくだろう。
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