rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

怒りも超えて

2012-04-24 23:33:57 | つぶやき&ぼやき
今日は、ぐんと気温が上がって、各地で夏日になったという。
あわてて、薄物に着替えた。
晴れ渡った空には、強めの陽射しが満ち溢れ、鳥たちは思い思いに啼き飛び交い、今までなりを潜めていた虫たちも目に付くようになる。
我が家に住まうトカゲたちは、甲羅干しに日向のコンクリートに這いつくばっていた。
ブナ、ナラ、クヌギにケヤキ、若々しく光る新芽の緑を濃くするのに懸命だ。
自然は、廻る季節に順応しようと躍起になっている。

先ごろ、痛ましい自動車の事件が相次いでいる。
使ったもの勝ちとばかりに、巨額損失に開き直る輩も居る。
原発事故は過去のこととばかり、安全確保や非常事態の対応も覚束ないうちに再稼動を強引に進める強い流れがある。
がたがたの財政問題は、あいかわらず各々の保身に振り回され、奇妙な代物を作り出し、いっそう内奥に病巣を増やしながら機能不全の道を歩んでいる。
あまりに多くの事柄で、疑問を持ち憤る心を麻痺させてしまいそうだ。

人一人の心の集積が、社会を構成しているのに、誰もがそれを忘れているようだ。
きっと誰にも備わっているだろう美徳が、小さくなって埋もれている。
超越した存在でもない限り、良心という美徳が欠如しているとは考えにくい。
性善説を信じないけれど、小さな良心の種を宿したものとしての性悪説を信じるものとして、小さな良心の種を育てなくては、人の社会は成り立たないだろう。
悪を必ず持つ人の操る言葉は、往々にして欺瞞に満ちているので、注意すべき。
大きく目を見開いて、広く見渡し、たくさんを聞く。
最良は存在しないけれど、他者との頃合を良心を通してはかり、みなが不快にならない社会を模索するしかないのでは。
神の教えも、人の手に渡るとその輝きを失う。

今が最悪の時ではないかもしれない。
しかし、最良ともいえない。
怒りを超えた、諦めの中に、良心の種を育てる土壌ができると期待している。
まだ、遅くはないかもしれない、未来を繫ぎとめることを。