転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



頼山陽 史跡資料館の平成26年度企画展『文人たちの手紙』を見てきた。
私自身は自力で古文書を読むことはほとんどできないのだが、
ここ数年来の頼山陽趣味で、頼家の背景知識が少しは頭に入っていたことと、
展示に詳細な解説がついており理解を助けてくれたこととで、
彼らの書簡の面白さを、自分なりに十分に味わうことができたと思っている。

山陽本人だけでなく、父・春水、叔父の春風・杏坪、息子の聿庵、
母の静子(号は「梅(ばい)し(=<風思>」)、妻の梨影に至るまで、
頼家の人々はそれぞれ達筆で、かつ、なかなかに筆まめだった。
能書家揃いの彼らの手紙は、まずその書体や書きぶりそのものが見事であり、
更に、添えられた和歌や漢詩等も含めて、
作品的な完成度の高いものも少なくなかった。
その反面で、親しい間柄ではいかにも口語的な言葉使いの手紙もあり、
彼らの日常的な言い回しや口調について様々に想像させられ、面白かった。
また、一時期は山陽の保護者でもあった儒学者・漢詩人の菅茶山が、
頼家の面々と活発な手紙のやりとりを終生続けたので、
彼らの残した書簡は、時系列に沿った記録としての価値が高く、
今や、当時を忍ぶ第一級の史料となっていることも興味深く思った。

昔から著名人の書簡を木版印刷で出版する企画はあったし、
頼家の男性たちは、学者や書家として存命中にそれなりの名声を得ていたから、
将来の公開の可能性を全く考慮しなかったわけではなかったかもしれないが、
それにしても、こうした手紙がまさか数百年を経てなお現物のままに保存され、
私のような頼家と何の関係もない一般人の女(笑)の
鑑賞の対象になると想像することまでは、おそらくできなかっただろう。
ましてや、山陽の妻であった淳や梨影らは、歴史上もほぼ無名の存在であり、
自身の一筆が後世の人間の目に留まることがあろうなどとは、
全く考えられもしないことだっただろうと思う。
私としては、ここに至るまでの多くの歴代関係者の尽力や、
幾重にも重なった幸運に、感謝せずにはいられなかった。

ときに今回の展示では、文化7年9月の、菅茶山と頼春水の書状に関して、
どうも解説文が本体とは逆につけられているのではないか
と私は見ていて気になった。
内容の書き起こし部分は合っていたと思うのだが、
表題と紹介文を載せたプレートが、多分、反対になっていた。…と思う。
私が何か勘違いしているのだろうか(汗)。
自信がなく、申し出ることは躊躇してしまったのだが、
やはり、言ってみるべきだっただろうか(大汗)。

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