転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



ブブゼラの音程はB(シの♭)だそうだが、
うちの外でやっている工事の騒音の中にはF(ファ)音がある。
ガシャガシャ、ダーン、の大音響の中で、こいつが、
地味に、 F---、F---、と鳴り続けている。
何かの機械音だと思うのだが、一応拍子があって、
モデラートくらいの四拍子、四拍目が休符だ(汗)。

私がベートーヴェンのソナタ5番の二楽章を弾いていると、
基本的にAs Dur(変イ長調)なので、このF音と結構よくハモる(爆)。
しかも、この楽章は音が密なところと、極端に音の希薄なところが
隣同士になって混在しているので、音が少なくなって休符が入ったときに、
突然工事のF音が乱入して来ると、私はその四拍子に釣られ、
自分のテンポが見えなくなる。
そうでなくても、12連符・6連符で指がもつれた直後に、
右手の一音だけで一拍近くもたせるような展開になると、
『(車は)急に止まれない』と毎回実感しているというのに(--#)。
かと言って、テキは工事だから、必ずしも定期的には鳴らず、
メトロノームの代わりにしたろうかい、とまでは行かない。

私は不完全な相対音感だけを持っているのだが
――つまり、ドとかソとか基準の音を聞かせて貰えば、
その他の音が、基準音からどのくらい音程が隔たっているか、
だいたい間違えないで言える、という程度なのだが――、
絶対音感のある人は、日常生活が結構苦しいこともあるのではないか、
と、このF音の工事のせいで、つい想像してしまった。
今の私は、ピアノを弾いているときしか、この音を気にしないが、
もし優れた絶対音感の持ち主だったなら、Fが不定期に鳴るだけでも
日常生活で耳についてイライラさせられるのではないだろうか。
なにしろ工事の音だから、厳密には音程が常に正しいとも言えないだろうし。

私の友人の中に、エレクトーンがプロ並みに巧い人がいて、
彼女は幼い頃から訓練して絶対音感を持っていたが、
二十代のある日のこと、風邪をひいて咳止めを内科で貰って飲んだら、
副作用で音がほぼ半音ずつ下がって聞こえるようになり、困った、と言っていた。
電話の受話器を上げたときの音も、家のピンポーン♪も、電子レンジのチーン♪も
どれもこれも、普段彼女が認識している音より半音ずつ低くなり、
うそっ!低い!違う!と彼女は何か音がするたびに神経がとがり、
気が狂いそうになった、ということだった。

飲んだ薬の副作用だったので、三時間ほどでなおったらしいが、
あのときは、一生このままかと絶望したと言っていた。
絶対音感というひとつの能力が損なわれたことを悩んだのではなく、
このあと生涯、自分にとってのズレた音を聞いて暮らすのか、
と考えたら、その気色の悪さに耐え難い思いになったのだ、と。
つくづく懲りて、その咳止めは止めた、ということだった。
絶対音感などない私なら、半音下がったくらいだとなんともないが、
彼女にとっては、世の中がすべて歪んだくらいの苦痛だったそうだ。
『わかる』ために、普通の人の気づかぬ箇所で苦しむことになった、
という、優秀な感覚を持つ人ならではの逸話だ。

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