転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



きょうはさすがにだるかった。舅が、ではなく私が(^_^;)。
しかし、一夜あけてどうなったかと心配だったので、
とりあえず午前中から病院のほうに行ってみた。

舅は、もう酸素マスクも心電図モニターも外れ、
ベッドの上に起きあがっていたが、昨日より痛いと言っていた。
夕べは痛いので眠れず、夜勤の看護師さんには巧く話が通じず、
今朝まで悶々として過ごしたのだそうだ。
また、麻酔後なので痰が多く、これを出そうと咳き込めば傷に響くので、
「痛いし息は出来んし、もう、おだぶつかと思うた」
と珍しく弱気なことを言っていた(^_^;)。

看護師さんに私が尋ねてみたところ、舅は血圧が低すぎるので(上が75)、
痛み止めを増量するのを控えている、という説明だった。
普段から上が100行かないほど低い人ではあるのだが、
手術中はそれが70を切ったそうで、ちょっと気を付けているのだという。

主治医の話では、切除したものはやはり扁平上皮癌で、
これが食道癌からの転移なのか、新しい肺癌として始まったものなのかは、
このあと、二週間ほどかけて病理のほうで調べる、とのことだった。
「ばっちり行きましたからね!あとは元気になりましょう!」
と主治医はどこまでも明るい先生で、頑張れば今週末には退院ですよ、
と励まして下さっていたが、これには舅のほうが、
「そりゃ無理よのぅ」
と顔をしかめていた。

ところで今日は、私の実家の父が、舅を見舞うと言うので、一緒に行った。
見舞いそのものは和やかだったが、舅を疲れさせてはいけないということで、
父は小一時間もしないうちに帰ることになった。

大学病院の玄関まで来たとき、父が唐突に、言った。
父「わしは・・・・」
私「うん?」
父「わしは、ここで、おうた」
私「・・・・・・・・・・・?」
父「原爆に、おうた
私「こ、ここで、かっっ(^_^;)」
父「そうだ」

大学病院入院棟玄関向かって右手付近が、私の父が被爆した「現場」だった(爆)。

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