転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



昼前、家族で買い物に行こうと外に出て、
ついでだから広島城公園を通り抜けて行くことになった。
天守閣まで行くのは面倒だったので(^_^;)、
二の丸表御門を抜けて行こうとしたら、ちょうど、
手前の二の丸表御門脇櫓が無料開放されていて、
討入り関連の展示をやっていたので、入ってみた。

高校教諭をしている友人の話では、今時の高校生は、
『忠臣蔵』を全然知らないという子が多いらしい。
ドラマかどこかで観たことがないか?と尋ねても、
「知らん」と答える子がほとんどだということだ。
私は、『峠の群像』での伊丹十三の名演が忘れられないが、
あれも二十年前のことなんだな(^_^;。
ちなみに、その高校生らは『国定忠治』も『一心太助』も、
ただの一度も聞いたことがないと言い切るそうだ。

ということで、娘には一応ニホンジンとして、やっぱり、
赤穂浪士の討ち入りの話くらい知っておいて貰いたいと思い、
展示を見ながら彼女の知識を試したところ、
彼女は、あっぱれなことに、知っていた。

が、それは、『クレヨンしんちゃん』に基づいた理解で、

「江戸城で、ぶりざえに意地悪されて、風間君が斬りつけて、
切腹させられて、キョウカタビラを着た幽霊になって、
しんちゃんやねねちゃん、まさおくんにぼーちゃんが、
ぶりざえをやっつけて、かたきをとろうとするんだよ。
ぶりざえの家来は、アクション仮面とカンタムロボ」

というものだった。
『江戸城』以外の固有名詞が、なんとかならんか(^_^;。

さて展示によると、広島城は、毛利・福島と城主が変わり、
1619年からは紀伊和歌山の浅野長晟(ながあきら)が入城し、
以後、明治維新まで浅野家が12代続いたそうだ。
この浅野家が、討ち入りで有名な赤穂浅野家の本家、
という関係になる。
赤穂浅野家は、討ち入りの件では本家に累が及ばないよう、
大変気を遣ったとのことだった。

ところで、我が家の「生活笑百科」主人の解説によると、
史実としては、どうして吉良上野介が、
浅野内匠頭から斬りつけられることになったのか、
その理由は、よくわからないらしい。

吉良上野介が浅野内匠頭にイケズをしたとかいう話は、
芝居としての「討ち入り」を面白くするために、
あとから設定された部分なのだそうで、
当時、面識もないに等しかった吉良上野介を恨んだのは、
浅野内匠頭の頭がおかしかったからではないか、
という説さえあるそうだ。

風間君の「肩の上のヒト」が何か言ったから、
彼は、関係ないぶりざえに襲いかかった、
という可能性もあるのね。
ぶりざえってば、災難だったのね・・・。

Trackback ( 0 )