転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



本日4月1日は母の誕生日であった。95歳になった。
母も私同様、花が好きな人なので、
4月の誕生花アルストロメリアのアレンジメントを贈るよう手配し、
私自身も夕方、神社の仕事の帰りに、母のいるサ高住に寄った。

母は昼寝から起きてロビーに出てきたところで、
スタッフさんから、カップに入れたお茶を貰っていた。
私を見て「誰?」と言うので、マスクを外して「よしこ!」と言ったら
「ああ(^^)」とすぐわかってくれた。良かった(^_^;。

私「きょう、誕生日やろ」
母「ほんまあ?」
私「ハッピー・バースデーや。おめでとう」
母「ありがとう(^^)」
私「いくつになったか、覚えとぉ?」
母「さぁてねぇ」
私「95や」
母「95!そんなんなるかいねえ。90になったんは覚えとってんけど」
私「ほうなんか」
母「90んなってからの1年1年は、あっという間やったねぇ。
 このぶんやと、すぐ100になるわ」
私「ほうやな(^_^;」
母「長いこと生きてきたねぇ。いろんなことがあった……」

と母は笑顔でしみじみしていた。
しかし、その『いろんなこと』の大半は、
父とともに過ごしてきた事柄の筈だったが、
母はどういう訳か、「お父さん、どないしとぉ?」とは全く尋ねなかった。

母「子供がおって、良かったわぁ」
私「ほうか(^_^;」
母「あんたがおりゃこそ、こんなこともしてくれる。
 ほかに誰が来てくれようかいね」
私「……(おとーさんは、どこ(^_^;)」

今、母の誕生日を祝うこの場に、母と私だけが居る、
というのを、母自身はどういう設定として理解しているのか。
もし、父について何か訊かれたら、
「お父さんは、去年の秋に、あの世へ行きはったやろ?」
と言おうと思っていたのだが、全く質問は無かった(^_^;。

ともあれ、特に体がどうこうもなく、心が波立つこともないようで、
母が穏やかに過ごしているのがわかり、有り難く思った。
母は、認知症がごく軽度だった間は、常に何かを心配し、
些細なことも不満に思い、他人の不行き届きをたびたび責めていたが、
ここ数年はホド良くボケて(汗)、ふんわりと機嫌の良い人になった。
先行きを思い煩うことが皆無ではないかもしれないが、
どのような思いも、今の母には、長く続くことがない。
長生きのご褒美というものだろうか。感謝すべきことであった。


追記(4月3日):いい感じだと褒めた途端に、母、2日の夜に発熱(汗)。
解熱剤で3日朝、下がりはしたが、誤嚥性肺炎や尿路感染症の既往があるので
早速にサ高住の階下の病院を3日午前中に受診。
コロナとインフルは陰性とのことで、抗生剤の点滴で様子を見ることに。
高齢ゆえにいつ何があってもおかしくないが、
蘇生措置等は希望しないと前々から申し出てある件、担当医から確認。
家族として「本人が最もラクに過ごせることを最優先に」と再度、お願いした。
検査や治療を特に頑張らなくても、本人が辛くなく過ごせているならそれで良いし、
年齢的に何も不足はないので、一日でも長く、などとも望んでいない。

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