転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



10日(金)から昨日16日(木)まで何かと忙しかったが、
きょうは完全な休日だ。
台風14号がこのあと九州北部に上陸、明日にかけて西日本から東日本へ、
との予報が出ており、外は昼から雨模様だ。
外に出かける用事が入っていなくて本当に幸運だった。
居間のソファに寝そべり、怪談本を読みながらうたた寝していたら、
スマホが鳴って、見たら2か月ぶりくらい?で実家母からの電話だった。

母は特に変わったというほどではなかったが、
話の内容は前にもまして荒唐無稽で、同じ事柄の反復に終始しており、
「いろんなことがようわからんようになって、自信を失った」
「90過ぎたと気がついて、ドっと絶望して」
「あんたの番号だけは大きいに書いてここに貼ってあるので、かけた」
「電話のかけかたもわからんようになって、ここの人にやってもろた」
という主旨のことを38分間に渡って繰り返し語った。
話の中身が本当なら、自分が92歳でそれゆえに老いたということに
どうやら今朝か数日前くらいに気付いたのだそうで、
絶望が深く、到底受け入れ難い、みたいなことだった。

「残念ではあろうが、トシを取るのは当然で、自然なことだ」
「私がじきに還暦なんだから、おかーさんが老人になったのも当たり前だ」
と言い聞かせたが、脳に浸透したかどうかは不明だった(^_^;。
「体は老いても、頭だけは70代くらいのまま衰えないと信じていた」そうで、
自分が老人であることも理解できないほど、トシを取った様子であった。
母の姑(パンスーの祖母)が90代になったとき、どんな状態だったか覚えているだろう、
と私が言ったら、「私ならああはならんと思うとったのに」とも言っていた。
こういう人は、いつか天寿を全うしても、
そんな馬鹿な、自分だけは死ぬ筈がない、納得できない
と言って現世をうろうろしそうだな。(←読んでいた怪談本の影響)

しかし、ものごといちいち悲観的で大袈裟なのは、母の性格で、
その点は90過ぎても全く変わっていないということも感じた。
私の知る限り、母は若い頃から、何に出会っても何があっても、
ノーテンキに楽しむ、ということがほぼ無い人で、
いつも真剣に詳細に考え、ネガティブな側面を重視して悩むタイプだった。
ちなみに母に訊いたら、今、父のほうは何かを思い煩うこともない様子で、
暇さえあれば、テレビを観ながら昼寝しているそうだ。
今の生活で「暇でない」のは、食事や入浴、ちょっとした買い物に病院受診、
などの用事のときくらいなので、つまるところ1日の大半は暇であるワケだが。

老化するのが素晴らしく愉快でワクワクすること、では通常あるまいが、
しかし90過ぎまで夫婦ともに、大病もせず、生活にも困らず、
家業の心配も要らなくなって、昨日も今日も変わらずに暮らしているなんて、
客観的にはかなり幸せな部類ではないかなと思うのだが、
主観的には老いたことが無念なばかりで、「絶望」しか無いものなのねぇ(^_^;。
母の「絶望」を救うには、少なくとも20年くらい若返るしかないが、
しかし70代のときの母は、健康不安と先行きの心配に苛まれ、
日々、せねばならないことにがんじがらめにされ、
もうゆったり隠居生活して良いトシなのに、なぜ私は解放されないのかと、
毎日、言い暮らしていたのだ。
今こそ「ゆったり隠居生活」の真っ最中なのに、今度は「絶望」かい(^_^;。
無いものねだりもたいがいにするものだ、と思うが、
こういうワケのわかんなさが、つまり「老化した」ということなのだね。

「いつまでも、なんもかんもが頭から消えてくれんかったら、シンドいで?
忘れたいことも、たんとあったやろ?忘れたんは、良いことやで?」
と私が言ったら、それは気に入った様子で、
「ほうやね!イヤなことをいろいろ忘れたから、90過ぎても生きとれるんやね!」
と最後にちょっと良いことも言っていた。やれやれ ┐(´д`)┌

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