転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



続・胃炎なヒト

「だいたい、良ぅなった。今朝は、痛ぅない」
と主人は起きて来るなり言ったが、私は全く信用せず、
近所の内科を受診するようにと強く言った。
私の機嫌の悪化を恐れて、主人は健康保険証を取り出した。
「行って、なんて言えばええかね?」
ったく、誰の体の話だよ!?

「『一昨日から、みぞおちがきりきりと断続的に痛みます。
ゲップも多いです。昨日はガスターを二度飲みました』。」
私の教えた台詞を覚えてから、主人は出かけた。
一時間ほどで帰ってきて言うことには、
「『ほう、ついにご主人が来られましたか』と言われた」。
その内科は私が既に患者で、娘も行ったことがあるので、
とうとう真打ち登場と相成ったのだった。先生にとって。
肝心の診断は、やはり急性胃炎の可能性が高い、とのことで、
胃薬を一週間分貰って来た。


カタコト英会話!

ちょっと前、海外の音楽の掲示板でクロアチアの青年と知り合った。
彼は大学生で、イーヴォ・ポゴレリチを神のごとく尊敬しており、
昨年暮れのザグレブでの協奏曲にも深く感じ入ったのだそうで、
『彼はクロアチアの国家的な英雄だ。心から誇りに思う』
と大変な心酔の仕方だった(国家的な英雄のヒトの写真は、こちら)。
余談だが2004年以降、私が知り合った海外の熱心なポゴ・ファンは、
これまで複数いるのだが、なぜか誰も彼も例外なく男性である。

私は、相手がクロアチア人だと知って色めき立った。
あの、Gloriaその他、ワケのわからぬクロアチア雑誌の記事を、
今こそ、この男の子に読んで貰おうではないか!!

それで昨夜、私は彼へのメールの中で、記事のURLを貼り、
『逐語訳などでなくていい、概略でいいから内容を教えて』
と書いてみた。返事はすぐに来た。
『いかにも、僕はこれらの記事を読むことができます。
ただ、僕の英語は大変グレートであるとは言えません。
けどヨシコ安心して。アナタは僕の英訳を手にすることができる』。

私自身、英語がかなりいい加減なので、
このクロアチア青年の英語がうまいかどうかが判断できていなかったが、
彼はどうも、英語は自由自在とまでは行かなかったようだ。
それでも訳してくれると言う。有り難いことだ。感謝せねば。
・・・にしても、私たちが今までやりとりした英文メールって、
きっと恐るべきカタコトの応酬だったのね(たらり)。

Trackback ( 0 )




YOSHIKI重症!世界ツアー無期限延期 (SANSPO)
『人気ロックバンド、X JAPANがパリ、台北、ニューヨークなどを回る世界ツアーを無期限延期することが8日、分かった。リーダー、YOSHIKIが持病の頸椎椎間板(けいついついかんばん)ヘルニアとけんしょう炎を悪化させたため、ドクターストップがかかった』『3月の東京ドーム3夜連続公演でも、医師からコルセット装着を忠告されたが、ファンに元気な姿を見せようと装着せずに激しいドラムプレーを敢行。初日には、機材トラブルで開演が2時間以上遅れたことや、準備で多忙を極めたことでストレスが溜まったのか、自らドラムセットに飛び込み、下半身が血だらけになるけがも負った。』

もしこれが普通の社会人だったら、
「自制心がなさ過ぎる、或いは健康管理が出来なさすぎるために、
契約を履行できなくなった」
という評価になり、周囲の信用をなくすだけだと思うのだが、
ミュージシャンとかアーティストとなると話は別で
自分で自分の身体を徹底的に痛めつけるのは、
純粋な情熱を表現する、美しい行為のように見えるから不思議だ。

ネットで見た範囲では、前者の感覚でYOSHIKI氏を責める感想もあり、
体あっての音楽活動なんだから優先順位を間違えてはいけない、
という意見は、ファンの間からも出ていた。
私も勿論、その通りだと思うので、
私人としてのYOSHIKI氏の行動を全肯定する気には、ちょっとなれないが、
しかし、こういう、判断力が破壊されているような人間だからこそ、
尋常でない音楽を創造することができるのだろう、とも思っている。
その、あまりにも普通でない行動、我々の理解を超えた方向性を
凡人である我々は、ときに鮮烈なものとして肯定したくなるのだ。

常識の枠を遙かに超えた人間だからこそ、尋常でない芸術をやるのだ。
常識内の人間には、常識内のものしか創造できないことが多く、
それは芸術とは呼び難い凡庸なものであることがほとんどだと私は思う。
「疲れるから、このへんで、やめとこう」とか
「このあと○○があるから、きょうはセーブしよう」などと
ごく普通の次元で管理ができるような人間は、多くの場合、
ごく普通の感性しか持っていないわけで、
ごく普通の次元の音楽しか奏でられないとしても無理はない。

勿論、素晴らしい常識人で決してヒトに迷惑をかけず、
どこから見てもお手本のような社会常識を備えたアーティスト、
というものも、絶対に存在しないなどとは言わない。
また、芸術家としての特異な感性が、
必ずしも生活のすべての面で発揮されるわけではないから、
見た目はごくごく普通の人が、芸術の場でだけ非凡、
というのもあり得ないことではないだろう。
芸術家であるためには、まず奇人変人であることが前提、
などと言うつもりではない。

しかし、わが道楽人生を振り返ってみると、
少なくとも、私がこれまで心惹かれた芸術家たちのうちで、
行動が少しも変でないヒト、というのは、どうも思いつかない(逃)。
もともと、おかしな(爆)素因がありそれゆえにユニークなヒトが、
芸術などという危険で異常なものを見つめる日常を過ごしているために、
相乗効果でよけいにヘンになる、というのもあるのではと思う。

ともあれ、どうかこの先も、YOSHIKI氏の破格の感覚に、
彼の体が、ちゃんとついて来られますように、と陰なら祈っている。

Trackback ( 0 )