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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



1月7日に筋腫の手術をして以来、
私の体調にひとつ、明らかな変化があった。
それは、明け方の夢を覚えているようになった、ということだ。
手術と関係あるかどうかなんて本当はよくわからないのだが、
退院を境にこうなったのは確かなことだ。
眠れなくなった、というのとは違う。
相変わらず寝付きは良いし、中途覚醒も全くない。
ただ、目覚める直前の夢がはっきりするようになったのだ。

入院以前~入院中の私は、滅多に夢を見なかった。
よくネットなどで見かける、お医者さんの解説では、
人間は実は一晩に幾度も夢を見ていて、
そのうち最後のものだけを記憶しているに過ぎない、ということだが、
その言い方に従うなら、前の私は夢を覚えていないことが多かった。
それが最近は、目覚めると必ず、さきほどまで見ていた夢の光景が
頭の中に残っていて、人に説明することさえできるようになった。

例えば、今朝は、山小屋にいる自分の夢で、
私は夜、寝袋にくるまってぬくぬくしながら、
空を見上げて、流れ星を数えていた。
綺麗だな~、とうっとりしていたとき、
突然、串団子のようにみっつ並んだ流れ星が、
どどどどーーーん!と私の真横に落下した。
びっくりした~、直撃やったらどないすんねん(涙)、
と思った夢だった。

数日前に見た夢はもっとストーリー性があった。
今住んでいるマンションに、主人と娘と私で暮らしているのだが、
娘は小学生なので、時期的には少し以前の設定のようだった。
マンションの間取りは今のような感じだが、
居間のガラス窓の向こうはベランダではなく、海だった。
ある日、その海に、たくさんの船がやってきた。
そして、マンションの住人たちの多くが、それに乗り込んだ。
聞けば、彼らは実はフィリピン出身で、
この船が迎えに来たので、これから生まれ故郷に帰るのだ、
という話だった。

娘のところにも、それまで一緒に学校にいっていたお友達から、
お別れの手紙が届いていた(←なぜか手渡しではなく郵送だった)。
「みーちゃん、楽しかったよ。ありがとう。
フィリピンにも遊びに来てね」
来てね、ったって外国だ。フタツ返事で行けるとこと違う。
と思うのだが、でも我々だってよく言ったもんだ、
「神戸での三年間、いろいろありがとう。四国にも遊びに来てね」
淡路島のあっちまで瀬戸内海越えて来い、
と、こともなげに言うとは、えらい自己中だった、考えてみれば。

ともあれ、無数の船が、うちのマンションの眼下に広がる海を
船出して、一路、東南アジアに向かって、去っていった
(税関とか出国手続きとかは???)。
マンションの住人の半分くらいが行ってしまい、
急に、がらんとなった廊下に出て、
私は、夏の夕暮れの風に吹かれながら、
「一緒に行きたかったなぁ」
などと考えていた。

という話をしたら、娘は、
バス停に「アフガニスタン行き」のバスが来た夢を見た、
と言っていた。
そんなとてつもないものに、たくさんの人が、
普通に乗り込んでいくので、娘は悩んだそうだ。
次に来た「日本人行き」というバスに、娘は乗った、
日本ならなんとかなると思った、と語っていた。

フロイトだか誰だかが書いていたと思うのだが、
夢には、自分自身による検閲みたいなものが自動的に働いていて、
人間は、本当に見た夢があまりにもひどい内容や極端な絵だったときは
それを適当にトーンダウンして、もう少し穏やかなものとして
記憶しているのだそうだ。
そうだとすると、もしかして串団子の流れ星や、大量に船出する人々、
って、ホントは人様に言えないような設定だったんだろうか(汗)。
アフガニスタン行き、って(大汗)。

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