美術品の真贋に関して、科学分析の重要性は、大事ですが、陶磁器(骨董)の世界では、最終的に
「真贋」を決めるのは、業界の有力な団体です。
その団体が「真」と見なさなければ、業界では通用しない様です。
2) 佐野乾山事件
第2の「永仁の壺」事件か、といわれたのが、「佐野乾山」です。
① 発端: 江戸時代の陶芸家、尾形乾山が、栃木県佐野市に、一年三ヶ月滞在した事実から、
乾山の作品(真作)が、数点存在する事は、以前から知られていました。
昭和35(1960)年頃から、佐野乾山なるものが、多数出回り始めます。
昭和37(1962)年1月、朝日新聞に、来日中のバーナード・リーチ(英国人)が、訪れた森川勇宅で、
80点余りの、佐野乾山を鑑賞し、「本物」であり、素晴らしいと、絶賛した事が、報じられます。
森川氏は、当時市場に、出回っていた作品、200余点の佐野乾山を蒐集しており、
その存在が、明るみに出ます。
② 佐野乾山の、真贋論争が繰り広げられる。
これが本物とすれば、重要文化財級の、大変貴重な発見と、成ります。
新聞、雑誌や、テレビの公開討論も行われました。佐野乾山と同時に、発見された、乾山の覚書
「佐野手控帖」の真贋も、議論の的となります。
(手控帖は今で言う、手帳の事で、40種類以上が、発見されているそうです。)
・ 陶磁研究者や、美術史家達が、おおむね真作派、古美術商、陶芸家が、贋作派となって、
対立しました。
③ 真贋に関りなく、これらの作品の、美学的評価についての、意見も、述べれる様に、成ります。
)小林秀雄氏は、「偽物には、偽物の臭いがする物だが、これらには、そんな臭いは感じられない。
魅力のある皿だ」と語ったと、伝えられています。
)画家の、岡本太郎氏は、展覧会と見て、真贋の判定などどうでもいい、「例え、偽物だって、
これだけ豊かな「ファンタジー」の、盛上がりがあれば、本物より更に本物だ」と記しています。
以上のように、これらの作品は、見事な出来栄えと、言えるものです。
④ その出所は、一向に明らかにされず、内容的にも、乾山の時代の物としては、おかしい点が多く
認められて、否定論が、次第に強くなっていきます。
蒐集家の森川氏の依頼で、「蛍光 x 線分析器」で、分析しましたが、その結果は、
森川氏の願いで、マスコミには、公表されませんでした。
昭和38(1963)年になると、次第に論争が、下火になり、僅かに翌年のバーナード・リーチによる
「佐野乾山」の本物を、主張する投稿と、昭和49(1974)年の、芸術新潮に載せられた、関係者に
対し奮起を促した記事が、みられる程度で、論争は風化し、解決をみないまま現在に至っています。
決着は今だついていませんが、おおむね「黒に近いグレー」と、言うところの様です。
⑤ 現在でも、3000点以上の、乾山の偽物が、骨董市場に、出回っているそうです。
巧みに作られた、佐野乾山は、プロの鑑定家でも、真偽は非常に難しいとの事です。
偽作の物に関して、その犯人は、ほとんど判っていません。
以下次回に続きます。
佐野乾山事件
「真贋」を決めるのは、業界の有力な団体です。
その団体が「真」と見なさなければ、業界では通用しない様です。
2) 佐野乾山事件
第2の「永仁の壺」事件か、といわれたのが、「佐野乾山」です。
① 発端: 江戸時代の陶芸家、尾形乾山が、栃木県佐野市に、一年三ヶ月滞在した事実から、
乾山の作品(真作)が、数点存在する事は、以前から知られていました。
昭和35(1960)年頃から、佐野乾山なるものが、多数出回り始めます。
昭和37(1962)年1月、朝日新聞に、来日中のバーナード・リーチ(英国人)が、訪れた森川勇宅で、
80点余りの、佐野乾山を鑑賞し、「本物」であり、素晴らしいと、絶賛した事が、報じられます。
森川氏は、当時市場に、出回っていた作品、200余点の佐野乾山を蒐集しており、
その存在が、明るみに出ます。
② 佐野乾山の、真贋論争が繰り広げられる。
これが本物とすれば、重要文化財級の、大変貴重な発見と、成ります。
新聞、雑誌や、テレビの公開討論も行われました。佐野乾山と同時に、発見された、乾山の覚書
「佐野手控帖」の真贋も、議論の的となります。
(手控帖は今で言う、手帳の事で、40種類以上が、発見されているそうです。)
・ 陶磁研究者や、美術史家達が、おおむね真作派、古美術商、陶芸家が、贋作派となって、
対立しました。
③ 真贋に関りなく、これらの作品の、美学的評価についての、意見も、述べれる様に、成ります。
)小林秀雄氏は、「偽物には、偽物の臭いがする物だが、これらには、そんな臭いは感じられない。
魅力のある皿だ」と語ったと、伝えられています。
)画家の、岡本太郎氏は、展覧会と見て、真贋の判定などどうでもいい、「例え、偽物だって、
これだけ豊かな「ファンタジー」の、盛上がりがあれば、本物より更に本物だ」と記しています。
以上のように、これらの作品は、見事な出来栄えと、言えるものです。
④ その出所は、一向に明らかにされず、内容的にも、乾山の時代の物としては、おかしい点が多く
認められて、否定論が、次第に強くなっていきます。
蒐集家の森川氏の依頼で、「蛍光 x 線分析器」で、分析しましたが、その結果は、
森川氏の願いで、マスコミには、公表されませんでした。
昭和38(1963)年になると、次第に論争が、下火になり、僅かに翌年のバーナード・リーチによる
「佐野乾山」の本物を、主張する投稿と、昭和49(1974)年の、芸術新潮に載せられた、関係者に
対し奮起を促した記事が、みられる程度で、論争は風化し、解決をみないまま現在に至っています。
決着は今だついていませんが、おおむね「黒に近いグレー」と、言うところの様です。
⑤ 現在でも、3000点以上の、乾山の偽物が、骨董市場に、出回っているそうです。
巧みに作られた、佐野乾山は、プロの鑑定家でも、真偽は非常に難しいとの事です。
偽作の物に関して、その犯人は、ほとんど判っていません。
以下次回に続きます。
佐野乾山事件
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