わ! かった陶芸 (明窓窯)

 作陶や技術的方法、疑問、質問など陶芸全般 
 特に電動轆轤技法、各種装飾方法、釉薬などについてお話します。

現代陶芸49(谷口良三)

2012-02-17 21:50:40 | 現代陶芸と工芸家達
青や緑色の釉を使い、蝋抜きによる技法で複雑な文様を表現している陶芸家に、京都清水焼の

谷口良三氏がいます。

1) 谷口良三(たにぐち りょうぞう): 1926年(大正15) ~ 1996年(平成8)

  ① 経歴

   ) 京都市東山区五条坂で、陶磁器卸問屋「谷寛」を営む、谷口寛三郎の次男として生まれます。

   ) 終戦の翌年(1946年)兵役除隊後、本格的に陶芸を行う様になります。

     1948年 宇野三吾、清水卯一、木村盛数らと「四耕会」を結成しますが、翌年には清水、木村と

     共に脱会し、新たに三人で「緑陶会」を創り、京都高島屋で展覧会を開きます。

     同年 清水六兵衛が主宰する「京都陶芸クラブ」に参加し会員になります。

   )1951年 第七回日展で「黒釉渦文大皿」で初入選を果たします。

     1956年 第五回現代陶芸展(朝日新聞社主催)で「白釉線花瓶」が一席を受賞します。

     1961年 第四回新日展で「線花器」が特選北斗賞を受賞し、主に日展で活躍します。

     日展以外に、現代工芸美術展、現代陶芸の新世代展(京都近代美術館主催)などに出品し、

     数々の賞を受けます。1970年には、京都府立陶工訓練校の校長に任命されています。

     翌年には日展の審査員となり、日展評議員を歴任します。

     平成7年 第27回日展には内閣総理大臣賞を受賞しています。

   ) 1962年 京都府より美術工芸の研究の為、欧州や中近東を視察します。

 ② 谷口良三の陶芸

  ) 彼の作品の器形は、おおむね、口縁が広く「U字状」をした形の物が多いです。

     作品名前に「壷」や「花瓶」などが少ない為、使用目的は判断できません。

  ) 「碧釉(へきゆ)」・「碧彩(へきさい)」と言われる釉や文様が特徴です。

     初期の頃は、赤褐色の釉肌の作品を多く手掛けていましたが、やがて青色の虜(とりこ)に

     成ってゆきます。

     碧釉とは、彼独自の釉で、三段階の濃さの青(又は緑)色があり、銅やコバルトを呈色剤に

     使い、酸化焼成する事により、発色させています。

  ) 信楽の白い土を使い、素焼き後に薄い釉碧釉から、順に三種類を吹き掛で施釉しています。

     濃さに応じて流れ易さに差を付けている様です。その為、焼成中に一部の釉が移動し

     流れ落ち、様々な景色(文様)を作り出します。

     作品としては、「樹映(じゅえい)」(1981年)、「樹光(じゅこう)」(1981)等があります。

  ) 碧彩は、碧釉を施釉した後に、蝋抜きの技法で文様を描き、その上に鉄分の多い褐色の釉を

     吹き付けたりします。更にその上に濃い碧釉を重ね掛ける場合も有ります。

     こうする事により、青や緑の色が美しく発色し、山波や樹木が表現されます。

     作品としては。「陽光」(1982)、「翔」(1981)、「対話」(1981)、「碧彩壷・華」(1983)

     「碧の道」(1983)等があります。

  ) 盃や茶碗なども作っています。釉は玻玳(たいひ)天目と呼ばれる釉で、黒地に鼈甲(べっこう)

     色の斑点の出る釉です。(この釉は中国の宋代で使われていました。)

     その他、油滴天目盃(銀油滴天目)、鳳凰天目盃などの釉や酒器等も手掛けています。


次回(十三代中里太郎右衛門)に続きます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする