日本民藝美術館設立趣意書の発端
1) 民藝の発見
大正13年1月、柳宗は、山梨県甲府の池田村で、偶然木喰仏(もくじきぶつ)に出会います。
① 木喰は、甲府丸畑出の江戸後期の僧侶で、行道(明満)上人の事です。全国を行脚しながら、
千体を超す木造の仏像を、刻んでいます。
当時は、誰も素晴らしく価値ある仏像とは、思ってもいなかった物です。
柳はこの像に、純粋の美しさを認め、江戸時代にこれ程の、天才彫刻家が居た事を、世に
伝えます。
② 柳自身も、この木喰像を求めて、明満上人の足跡を追って、日本各地に行脚する事になります。
③ その旅の途中、各地で民衆が日常に使っている用具に、日本民族の美、即ち工芸美を発見します。
「日常の実用品として、製作されたもの。何らの美の理論なくして、無心に作られたもの。
貧しい農家や、片田舎の仕事場から生まれたもの。一言でいえば、極めて地方的な郷土的な
民間的なもの。自然の中から、湧き上がる作為なき製品」と位置付け、これらの物を
「民藝」と呼ぶ様になります。(大正13年12月28日の事)
④ 大正15年正月、柳は木喰仏との縁で知り合った、陶芸家の河井寛次郎、寛次郎の親友の
濱田庄司の3人は、紀州への調査の帰路、高野山の宿坊「西禅院」で、一夜を共にし、
「民藝」に付いて、語り明かします。蒐集した作品を展示する、美術館を設立する事になり、
一夜の内に「日本民藝美術館設立趣意書」の草稿を、書き上げます。
(尚、日本民藝美術館は、昭和11年10月24日に、大原孫三郎などの援助を受け、
開館します。)
2) 陶磁器の美に付いて
① 柳の器の蒐集品の内で、陶磁器の作品が一番多いです。
親交の有った、陶芸家が多かった為と考えられます。
② 「器は実際に用いる為の物であるが、真に良き器とは、同時に美しき器でなければいけない」
「我々の生活により多く関っている陶磁器の美は、『親しさ』の美である」と説いています。
③ 陶磁器の美を形成する要素として、「形」や「素地(きじ)」、「釉薬」や「色」、「模様」
「流れる線」「触致(しょくち)」を揚げ、それらの性質を通して、全体の「味」がつくられ、
隠れた内なる味わいに成ると、述べています。
④ その器には、自然の背景や民族の心、時代の文化が反映しています。
3) 見ること(=直観)
柳にとって、その存在価値は、見る事によって、決定されます。
物の良し悪しは、その物を直に見る事から始まります。
① 「直観」とは、見る眼と見られる物との間に、一物も介さない事で、概念を後にして、先ず
素直な心で自由に見る事です。更に、「直観」は即刻であると説きます。
美しさへの理解は、この「直観」が是非とも必要だと、述べています。
4) 「茶道を想う」 柳と茶道
茶道が生活の中で、美しい器物を活かそうとした事を、大いに評価しています。
そして、人々に器物への関心を、呼び起こしたのは、茶道であると述べ、日本人の美的感覚を養い、
「渋さ」と言う美の標準を作ってきた功績を、讃えます。
「大名物」と称される井戸茶碗などは、朝鮮で作られた数多くの雑器で、飯茶碗や汁碗であり、
室町時代の茶人達が、それら日常の民具から美を見出し、茶器として用いものです。
更に、彼の関心は茶室を越えて広がってゆきます。
以下次回に続きます。
1) 民藝の発見
大正13年1月、柳宗は、山梨県甲府の池田村で、偶然木喰仏(もくじきぶつ)に出会います。
① 木喰は、甲府丸畑出の江戸後期の僧侶で、行道(明満)上人の事です。全国を行脚しながら、
千体を超す木造の仏像を、刻んでいます。
当時は、誰も素晴らしく価値ある仏像とは、思ってもいなかった物です。
柳はこの像に、純粋の美しさを認め、江戸時代にこれ程の、天才彫刻家が居た事を、世に
伝えます。
② 柳自身も、この木喰像を求めて、明満上人の足跡を追って、日本各地に行脚する事になります。
③ その旅の途中、各地で民衆が日常に使っている用具に、日本民族の美、即ち工芸美を発見します。
「日常の実用品として、製作されたもの。何らの美の理論なくして、無心に作られたもの。
貧しい農家や、片田舎の仕事場から生まれたもの。一言でいえば、極めて地方的な郷土的な
民間的なもの。自然の中から、湧き上がる作為なき製品」と位置付け、これらの物を
「民藝」と呼ぶ様になります。(大正13年12月28日の事)
④ 大正15年正月、柳は木喰仏との縁で知り合った、陶芸家の河井寛次郎、寛次郎の親友の
濱田庄司の3人は、紀州への調査の帰路、高野山の宿坊「西禅院」で、一夜を共にし、
「民藝」に付いて、語り明かします。蒐集した作品を展示する、美術館を設立する事になり、
一夜の内に「日本民藝美術館設立趣意書」の草稿を、書き上げます。
(尚、日本民藝美術館は、昭和11年10月24日に、大原孫三郎などの援助を受け、
開館します。)
2) 陶磁器の美に付いて
① 柳の器の蒐集品の内で、陶磁器の作品が一番多いです。
親交の有った、陶芸家が多かった為と考えられます。
② 「器は実際に用いる為の物であるが、真に良き器とは、同時に美しき器でなければいけない」
「我々の生活により多く関っている陶磁器の美は、『親しさ』の美である」と説いています。
③ 陶磁器の美を形成する要素として、「形」や「素地(きじ)」、「釉薬」や「色」、「模様」
「流れる線」「触致(しょくち)」を揚げ、それらの性質を通して、全体の「味」がつくられ、
隠れた内なる味わいに成ると、述べています。
④ その器には、自然の背景や民族の心、時代の文化が反映しています。
3) 見ること(=直観)
柳にとって、その存在価値は、見る事によって、決定されます。
物の良し悪しは、その物を直に見る事から始まります。
① 「直観」とは、見る眼と見られる物との間に、一物も介さない事で、概念を後にして、先ず
素直な心で自由に見る事です。更に、「直観」は即刻であると説きます。
美しさへの理解は、この「直観」が是非とも必要だと、述べています。
4) 「茶道を想う」 柳と茶道
茶道が生活の中で、美しい器物を活かそうとした事を、大いに評価しています。
そして、人々に器物への関心を、呼び起こしたのは、茶道であると述べ、日本人の美的感覚を養い、
「渋さ」と言う美の標準を作ってきた功績を、讃えます。
「大名物」と称される井戸茶碗などは、朝鮮で作られた数多くの雑器で、飯茶碗や汁碗であり、
室町時代の茶人達が、それら日常の民具から美を見出し、茶器として用いものです。
更に、彼の関心は茶室を越えて広がってゆきます。
以下次回に続きます。