言葉の使い方は、とても大切で発せられる言葉によって、普段は隠れているその人の考え方が、現れてきます。 普段どんなに優しい話し方をされている方でも、ふとした言葉から根底にある価値観や哲学が、表現されてしまうのです。
特に させる とか させられると云う言葉は、私は好きな言葉ではありません。 この言葉は、上から目線の言葉に感じるからです。
先日も小学校の恩師の米田健治先生から電話があり、駆けつけてみると級友の神田くんが、新聞の私の履歴書というコラムの1月4日号で、小学校時代のことが書いてあり、3年の時の米田健治先生と4年から6年まで習った柿沼正悦先生が出てきています。
その文章中に、させられたという言葉が出て来ていました。 普段は優しい声で歌を歌うものの、クラス会でも何故あのような発言をするのだろうかと、思わせてしまうので、やはり本質が表れてしまったのかと感じてしまいました。
私は寧ろ、させて頂く という言葉が好きです。 人間は、どんな場合でも対等であって、誰にでも変わらぬ言葉使いをするように、普段から心がけております。 人によって言葉使いを変えることは疲れます。 言葉使いを変えない方が、楽だからでもあるのですが。