ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

させる とか させられると云う言葉は使いたくないので

2016-01-10 03:21:01 | 文化

 言葉の使い方は、とても大切で発せられる言葉によって、普段は隠れているその人の考え方が、現れてきます。 普段どんなに優しい話し方をされている方でも、ふとした言葉から根底にある価値観や哲学が、表現されてしまうのです。

特に させる とか させられると云う言葉は、私は好きな言葉ではありません。 この言葉は、上から目線の言葉に感じるからです。

先日も小学校の恩師の米田健治先生から電話があり、駆けつけてみると級友の神田くんが、新聞の私の履歴書というコラムの1月4日号で、小学校時代のことが書いてあり、3年の時の米田健治先生と4年から6年まで習った柿沼正悦先生が出てきています。

その文章中に、させられたという言葉が出て来ていました。 普段は優しい声で歌を歌うものの、クラス会でも何故あのような発言をするのだろうかと、思わせてしまうので、やはり本質が表れてしまったのかと感じてしまいました。

私は寧ろ、させて頂く という言葉が好きです。 人間は、どんな場合でも対等であって、誰にでも変わらぬ言葉使いをするように、普段から心がけております。 人によって言葉使いを変えることは疲れます。 言葉使いを変えない方が、楽だからでもあるのですが。