私は大学の級友の呼びかけで、生まれて初めて胡座を組んで、静かに真っ暗闇の中で1時間、静かに座り続けたのが、もう既に20数年経ちました。
気功の静かな功である静功が、初めての胡座を組んでの取り組みでした。 普通の胡座を組んで、両手も膝の上で重ね合うようにして、深呼吸の要領で大きく息を吸ってから、出来るだけゆっくりと長く吐く呼吸を行うようにだけして、座っておりました。
禅宗の呼吸法のことも作法も何も知りませんでした。 いま思えば、禅宗のことを何も知らなかったことが、幸いでした。
静功の会の参加は2ヶ月間しか、ありませんでしたが、生まれて初めて胡座を組んで座ってからは、自宅で毎晩、1時間、隣室で家族がテレビを観ている音が、洩れ聴こえる中で、真っ暗闇の中で座り続けておりました。
胡座を組んで静かに座り続けることを、お釈迦さまの姿を瞑想と云い、禅宗のお坊さんの姿を坐禅と云うようですが、仏教の始まりは、お釈迦さまの悟りから始まったのです。
禅宗のお坊さんによっては、座禅は瞑想とは違いますと云われることがありますが、私から言わせて頂ければ、そのようなことは重要なことでは無いのです。
肩の力を抜いて、上半身を頭のてっぺんを、天から引っ張られているように維持し、静かに座り続けることを日常的に行うことが、大切なことなのです。 時として杓子定規に作法の大切さを強調してしまうことがありますが。