ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

吐く息をはじめ息音をたて慣れたら静かに吐くー座禅で

2009-07-31 06:47:02 | 座禅
 息を体の中へ吐くということに慣れていない人は、出来るだけイメージで体の中へ吐く息は、自分自身で体の中へ息が入って行くのを実感するため、わざと息音が聞こえるようにゆっくり吐いていきます。 はじめから静かに行うよりは、息音をたてて吐いていったほうが、よいのです。

 私自身は空手のときの息を吐くときに、呼気が聞こえるように吐いているのを映画で見ていましたので、誰から教わることもなく、ごく自然に息音をたてながら、体の中へ息を吐いていました。 級友からの声かけではじめた静功会ー座禅会では、ぼうじゃく無人に息音をたてながら座禅を行っていましたので、3回目の座禅会が終わった帰りに、もう少し静かに座禅をしろよと云われたほどです。 次回から出来るだけ息音をたてないように、座禅をすることになりました。 

 私のそうした経験から体の中へ吐く息は、体の中へ息が入っていくのを、自分自身が実感できるまでは、また体の中へ息を吐くことに慣れるまでは、息音が聞こえるように吐いたほうがよいということです。 

 体の中へ息を吐くことに慣れたら、今度は出来るだけ息音が聞こえないように、出来るだけ静かに息を、ゆっくりと吐きます。 息を吐いているかどうか分からないように、息をすっているかどうか分からないように、行うようにします。

 出来るだけ静かに呼吸を行うことに慣れたら、空気を吸うということではなく、宇宙の気を吸う感覚になってくるはずです。 そうです。 殆んど息をしているかどうか分からないまで、静かに呼吸ができるようになってきますと、息を吸っている感覚がなくなってくるのです。 また息を吐いている感覚がなくなってくるのです。

 このような感覚になるには、日常的に1時間以上の座禅を行うことが、必要と思われます。 30分程度の座禅時間で、このような感覚になりたいと思っても、それは無理ではないかと思います。

 何をも求めず、ひたすら座禅を行う。 そのような姿勢から、思わぬものをいただけるのではないかと思っています。 先ずは座禅を楽しんでください。

座禅は頭で理解するのではなく感得するものなのです

2009-07-30 11:19:16 | 座禅
 私は只管打座ーひたすら座禅 という言葉が好きです。 昔から何かを考えて行動するのではなく、行動をしてから考えるほうです。 何事もやって見なければ分からないと、思うからなのですが。

 また人から何かを教わるというのも苦手です。 座禅は、姿勢を正して座り、呼吸を整え、意識を集中するという単純なことを守るだけで、自分の意思さえあれば出来るので、自分にぴったり合っていたのかも知れません。

 生来行ってきた胸式肺呼吸を、ただひたすら吐く息を出来るだけ長く、無理をせずに体の中へ吐くだけでよいのです。 私は座禅をはじめて間もなく、下腹にある臍下丹田を意識しました。 体の中に息を吐くときには、どこに臍下丹田があるのか、具体的には分かりませんでしたが、丹田が活性化するように念じながら、息を吐いていました。

 自発動を通じて臍下丹田が活性化し、心臓のように鼓動を始めたのですが、いつもその丹田がどこにあるのか分からずに、どこだどこだと思いながら、体の中へ息を吐いていました。 

 現在では、具体的に臍下丹田がどこにあるかは、いつも動いておりますので分かりますが、当時は皆目丹田とは何か、どんなものなのかなど分からないままに、ひたすら息をゆっくり吐きながら、座禅を1時間は行っていました。 下腹をイメージで上のほうから見てみたりしました。 

 私は、臍下丹田が動いたり、胎息という肺呼吸を伴わない気の呼吸が、できるようになりましたが、そのこと自体は特別なこととは、考えていません。 私達はお母さんのお腹の中にいたときに行っていたことを、吐く息をゆっくり吐くことによって、遡って本来持っていた機能を、取り戻したに過ぎないと思っています。

 ひたすら吐く息をゆっくり吐きながら、座禅を行っていけば、早晩、誰もが感じ、感得できて来ることなのです。 意識を集中して1時間の座禅を、継続的に続けられるかどうか、決まってくることなのです。

アトピーは治るのか

2009-07-29 07:18:42 | 
 私が親しくしている友人の娘さんが、子供のときからアトピーで、大きくなっても風呂上りは、いつもすっぽんぽんで家の中を歩き回っていたという話を聞き、アトピーの病状を知るきっかけにもなりました。

 ステロイド系の外用剤を塗るというのが、一般的な治療方法のようですが、なかなか根治できない病でもあるようです。

 私がいつも座禅で行う逆腹式呼吸法は、気の通りをよくして経穴の気の調節も良くし、結果的に自己免疫力を付けていきますが、体全体をも正常化するように、もっていってくれるのではないかと、いつも感じております。

 アトピーはある種の物質に、過剰反応して発疹やかゆみを、皮膚に表します。 恒常的に逆腹式呼吸を行うことによって、少しずつ時間はかかっても、体の異常反応を改善し、正常化してくれるのではないかと、深夜の座禅の時の雑念の中で、感じるのです。

 原因が特定できないものに対しては、宇宙のエネルギーである気の力を利用して、ひたすら座禅をしながら、息をゆっくり吐くことは、決して無駄なこととは思えません。 

 自分でその意思さえあれば、ただで出来る逆腹式呼吸や座禅は、目には見えませんが、きっと私達に素晴らしいものを与えてくれるのではないかと、いつも思うのです。

何故、出前の座禅会に前向きなのか

2009-07-28 17:12:15 | 座禅
 私自身が静功ー静かな功(座禅と同じと考えていますが)を行い、自分ひとりで夜に朝方に、深夜にと行っていたときに、体の中の気が先行して動いてしまい、なんだろうと思いながら本屋に行っては、本を買い込み読んでいました。 必ずしもこれといった本はなかなかありませんでした。

 私がブログという形で自分の感じたこと、思っていることを表現するようになったのは、少しでも座禅を行っている方々の参考になればとの思いからです。 出前の座禅会は、実際に呼吸の仕方などを実践することで、参加される方の一助になれば尚のことよいと思うからです。

 生まれてこの方行ってきた胸式肺呼吸を、吐く息だけ出来るだけ長く(苦しくならないようにします)、吐く息をイメージで体の中へ吐き、体の中へ入っていく息を追うようにして、その吐く息だけに意識を集中します。 そのような胸式肺呼吸を行うことによって、結果的にその呼吸法は、逆腹式呼吸法になっていきます。

 逆腹式呼吸はイメージで息を体の中へ吐くのですが、イメージすることによって、体の中へ気が動いていくのを感じていくのです。 

 吐く息が体の中へ入っていくのを実感するために、わざと息音をたてるのです。 そのことによって又、意識を吐く息に集中できるのです。 座禅を一緒に始める前に、そのような呼吸を見てもらいます。

 本来、体の中へ吐く息に意識は集中できるのですが、体調が悪いときや疲れているときには、無理をせずにさっさと寝てしまいます。 寝るときにも胸式肺呼吸で、吐く息をゆっくりと体の中へ吐く呼吸だけは行います。 目を瞑り口を閉じ、鼻だけで息をします。 両手はそっとお腹の上におきます。 ゆっくりと体の中へ吐いていくうちに、自然と寝てしまいます。

 そんな呼吸を行っていますと、不思議なことに翌日、目が覚めるとすっきりとしているはずです。 決して無理はしないことです。 自然の動きを大切にし、自然の動きに任せます。 また座禅を行っていく上で、とても大切なことは、自然の摂理に委ねるということです。

座禅は脳と心のエクササイズー6

2009-07-27 06:30:40 | 座禅
 意識したことがなかった呼吸を意識し、吐く息を出来るだけ長く吐き、吐く息を体の中へイメージで吐き、吐く息だけに意識を集中することによって、体の中を流れる気の通り道ー経絡の通りがよくなり、1時間の座禅を継続的に続けていけば、体に微妙な変化を表し、脳の疲れを癒し、私達に崇高な至福感を与えてくれるのです。

 自分で脳波を調べたことがありませんが、通常β波である脳波が、呼吸法を行いながら座禅を行いますと、安定的なα波に変化すると云われています。 私は座禅の深化の過程で、脳波はα波からθ(シーター)波に変化するときがあります。 θ波になりますと、宇宙の叡智とのふれあいが可能ではないかと、いつも日常的な座禅の雑念で、感じることではあります。

 胡坐を組んだ座禅を通して、上半身は主要な気の循環ー小周天を行いますが、神経が集中する脳だけではなく、目の中心部の奥にある上丹田をも、刺激します。 上丹田には、元気の力ー生命体があるとされていますが、小周天を恒常的に行うことによって、生命力が付加されていくようにも感じます。

 また胸の中心部の奥にある中丹田をも、刺激することになります。 中丹田には感情や情緒に関係する心が、あるように考えられていますが、小周天を行うことによって、心をも刺激し、何らかの変化を及ぼしているのではないかと、考えています。

 座禅は胡坐を組んで静かに息をゆっくり吐くだけですが、体を動かす運動ではないにもかかわらず、体内の気ははじめは激しく動き、時間の経過とともに滑らかさを増し、体を動かす以上の影響力を、私達に与えてくれているように思います。

 ここに、座禅は脳と心のエクササイズであるという、根拠にもなっているのです。 ただただ胡坐を組んで座禅をするだけのことを、楽しむことができるようになれば、すべてのことを楽しむことが出来るはずです。 先ずは、呼吸法を楽しんでください、座禅を楽しんでください。

座禅は脳と心のエクササイズー5

2009-07-25 08:33:14 | 座禅
 私の友人でいつも座禅をやっている方がいましたが、いつも30分の座禅の後、30分お経を暗誦(読経)していました。 その友人にいつも30分の座禅では、肩慣らしでしかないので、1時間は続けてくださいと、会うたびに話していました。 

 その後、何ヶ月も過ぎないうちに電話があり、体に劇的な変化があったということの、連絡がありました。 少しは私の話を聞いてくれたらしく、1時間以上に座禅を行ったとのこと。 結果的に、後頭部にある玉沈関が、心臓のように鼓動を始めたという話でした。

 その後間もなく、頭のてっぺんにある百会が、同じように鼓動を始めたということでした。 私はそのうちに下腹にある臍下丹田が、活性化して心臓のように鼓動をするのも、時間の問題ではないかと、心待ちにしておりましたが、友人は何を思ったのか、また30分の座禅時間に、戻ってしまいました。

 吐く息を出来るだけゆっくりと吐き、吐く息をイメージで体の中へ吐き、吐く息だけに意識を集中することによって、吐く息が深まるにつれ、眠っていた経絡の通りがよくなってきます。 その結果、経絡を通る気が神経を刺激し、その刺激の仕方が時間の経過とともに、優しさを増してくるのです。 脳を優しく刺激することが、私達に全ての悩みから解放する至福感を、与えてくれるのです。

 座禅の本髄の一つは、ここにあると私自身は思っております。

 


座禅は脳と心のエクササイズー4

2009-07-24 07:24:31 | 座禅
 座禅は何故、脳と心のエクササイズと言えるのでしょうか。 口を閉じ鼻だけで息をし、吐く息を出来るだけゆっくりと吐くことによって、吐く息をイメージで体の中へ吐くことによって、眠っていた経絡(気の通る道)の通りがよくなり、体中を気が循環し始め、経絡と絡み合うよう網羅されている神経の線を、刺激していくのです。

 禅宗では、舌を上の歯の付け根に付けて、呼吸法を行い座禅をしなさいといいます。 どういうわけか禅宗では、宇宙の気の記述は一切ありません。 舌を上の歯にそっとつけておくのは、体の中を流れる気の上半身の主要な気の流れのなかで、下腹にある臍下丹田から発した気が、体の後ろ側の督脈を上昇し、百会を通り体の前面の任脈へと流れるときに、舌を通して体の前面に流れていくのです。

 したがって胸式肺呼吸→逆腹式呼吸を行ないながら座禅を行うときには、とても大切なことなのです。 禅宗では舌をつけるとともに、上の歯と下の歯を、軽くつけるとの記述もありますが、これはつけないほうがよいのです。

 舌を通してだけでなく、歯を通しても気は流れて行きます。 顔面が硬直化しやすくなり、また意識が集中できなくなりやすいのです。 決して歯はつけないようにしましょう。

 深くゆっくりと体の中へ息を吐くことによって、イメージで息を吐いているのですが、深化の過程で息が体の中へ入っていくのではなく、気が体の中の経絡のなかを入っていくのです。 したがって深く息を吐くほどに、その到達長さが長くなっていきます。 

 微細な神経が一番集中する脳へも到達し、脳をも刺激し始めます。 座禅に集中し深まれば深まるほど、脳への刺激も滑らかになってきます。 はじめ堅かった刺激も次第に優しくなってきます。 その時間が45分から1時間なのです。 1時間の座禅時間が必要な理由は、ここにあるのです。

 30分ほどの座禅ですと、野球で言えば肩慣らしでしかないのです。 本格的な練習をこれからしようというときに、やめてしまうのと同じなのです。 

 肩の力を抜きリラックスし、静かに座禅を行っていますと、体の中を流れる気の動きを感じるようになるのです。 分からないまでも、気の動きが微妙に体に変化を与えるのは、感じるはずです。

座禅は脳と心のエクササイズー3

2009-07-23 07:23:35 | 座禅
 吐く息を出来るだけ長く吐き、吐く息をイメージで体の中へ吐く、また吐く息だけに意識を集中することによって、体に微妙な変化を表します。 吐く息は出来るだけ長く吐くものの、決して無理をしてはいけません。 ぎりぎりのちょっと手前で、また大きく息を吸います。 その呼吸の繰り返しでよいのです。

 生来、意識しなかった呼吸を意識することによって、何かが変わってくるのです。 私達は、喧騒とした日常生活から、なかなか離れることは出来ません。 したがって上記の胸式肺呼吸を行いながら座禅を行っても、そう簡単には無心、無欲になれるわけはありません。

 肩の力を抜いて筋力がかからないように姿勢を正し、呼吸を整え意識を集中することが、座禅の基本です。 姿勢は基本的には、注意点だけを気をつければ、すぐに出来ます。 呼吸も普段行っている胸式肺呼吸を、上記のように口を閉じ、鼻だけで呼吸を日常的に行えば、自然と長く出来るようになります。 普段行うときには、目を瞑って行うことが大切です。 半眼にする必要はありません。

 よくお寺の和尚さんが、半眼にするのは眠くなったり、妄想を抱くからということを話しますが、本来はそのような消極的な理由ではなく、半眼にするのではなく、半眼になるが正しい姿なのです。 力を抜いた座禅を行っていきますと、究極的に半眼になるのです。 したがって日常的に呼吸を練習するときは、目を瞑るほうが、呼吸に集中できるのです。

 座禅で一番難しいのは、意識を一点に集中することなのです。 無心になれとお寺の和尚さんは話されますが、そう簡単に無心になれるわけはないのです。 意識を集中するために、吐く息が体の中へ入っていくのを追うようにして、吐く息だけに集中するのです。 これは息をゆっくり吐きながら行えば、結構出来ます。

 大きく吸い、出来るだけ長く体の中へ吐いていく、そのことだけに意識を集中します。 然しながら、日常生活の様々な問題解決しなければならない事柄が、頭に浮かんできます。 それを吹き払うことはありません。 それを静かに呼吸法をお子兄ながら座禅を行っているときに浮かぶ雑念は、静かであればあるほど意外と問題解決のヒントのようなものが、浮かんでくるのです。 私は、宇宙の叡智がサジェスチョンしてくれていると、いつも感じております。

 

 

座禅は脳と心のエクササイズー2

2009-07-22 13:35:24 | 座禅
 生来、意識しなかった呼吸を意識し、吐く息を出来るだけゆっくり長く吐き、吐く息をイメージで体の中へ吐き、吐く息だけに意識を集中する呼吸。 ただ胡坐を組んでひたすら座禅をしながら、呼吸する。 単純な呼吸を繰り返し行うだけで、今までに感じなかったものが、感じるようになるのです。

 私達には見えない、またまだ解明されていない気、鍼とか灸ではある程度理解されてはいるものの、体の中へイメージでゆっくり息を吐くことによって、気の通り道である経絡が、目を覚まし気の通りをよくするようになるのです。

 息をゆっくり吐きながらイメージしますと、イメージするままに宇宙の気や体の中の気が動くのです。 

 禅宗でいう息を吐くときに下腹の丹田から吐き出してしまうと(順腹式呼吸といいます)、経絡を通して体外に出て行ってしまうため、必ずしも逆腹式呼吸から比べると、気の通りがよくなるということは、余りないように感じます。

 逆腹式呼吸では、吐く息とともに入った気は、径絡を通して鍼とか灸のツボから殆んどが体外に出て行きます。 そのことを通じて気の通りを良くし、免疫力がついてくるのです。

 経絡は神経の線に沿って、体中に張り巡らされていると言われており、吐く息をゆっくり吐くことを通して、経絡の通りがよくなり、したがって神経をも刺激します。 私達がこの呼吸を行って初めて感じるのは、脳の周辺です。 

 脳は繊細で微細な神経が張り巡らされていて、一番感じやすいのです。 呼吸を始めた最初の時間は、力強く堅く感じるのですが、時間の経過とともに、その刺激は緩やかに滑らかになってきます。 45分から1時間もすれば、脳への刺激は更に優しくなり、座禅の本髄である至福感を、私達に与えてくれるのです。

 

座禅は脳と心のエクササイズー1

2009-07-21 06:32:43 | 座禅
 座禅とは何か、自分自身が実際に座禅(静功ー静かな功)を行うまでは、鈴木大拙氏の本を読んだりしましたが、座禅を哲学的に考証していて、私にはちんぷんかんぷんで何も分かりませんでした。

 大学の級友からの声かけで、静功を週に1回3時間の座禅を開始した時にも、当時、心臓に何となく違和感を感じていましたので、静功を通してカテーテルを体内に入れなくて済めばよい、という程度ではじめたのです。

 はじめる前に本屋に行って、気功の本を買って読み、吐く息をゆっくり吐くことだけを、頭の中に入れて初日に臨みました。 普段行っている胸式肺呼吸で、大きく吸ってゆっくり吐くことだけを、心がけたのです。

 大山倍達の「空手バカ一」の映画を見ていたのを思い出し、吐く息を体の中へ吐くような息音をたてて、自然と息をゆっくり吐いていたのです。 座禅時間は和室で真っ暗にしての1時間でした。 無我夢中で、大きく息を吸い出来るだけゆっくりと長く、息音が自分自身でも聴こえるように、行っていました。

 すると、終了間際に頭のてっぺんの百会が中心になって、頭全体が電子の輪が出来たような感覚になっていました。 後で考えてみますと、百会が活性化していたのです。 人によって気を感じやすい人と、感じにくい人があるようですが、私の場合は感じやすかったのかもしれません。