先生から、生徒さんや父兄の方々からの反応の電話やら、こちらから送ったメールに対して色々なお話を聞くことができました。 先生には私たち級友にも伝えたいので、面倒でも先生たちのご意見も添えて、メールで送っていただけないかとお願いをしました。 とりあえず交流会後の私たちのメールのやり取りを、ここで載せていただきます。
10月17日の黒門小学校の3年生との交流を終えて(PCのメールのやり取りの一部を記載しました)平成27年10月27日
当日は黒門小学校が学校公開日で、昔で云えば父兄参観日になっています。 授業は3時限で終了ですが、その3時限目の時間を利用して、体育館で3年生2クラス61人が6つのグループに分かれて、「黒門小学校と自分」という主題で、Sくん、Yくん、Iくん、KOくん、KAくん夫妻、私で、それぞれ輪になって話をして、10時40分から11時25分まで過ごしました。 米田健治先生も参観され、カメラマンはSKさんが勤めました。
UMIさま KABさま
昨日は、3年生の子どもたちとの交流会を、ありがとうございました。 私たち参加者は、全員が楽しかったと午後からの東天紅でのクラス会で話が出ておりました。 早速、下記のようなコメントが、Yくんからも届きました。 本当にありがとうございました。 後は3年生の子どもたちからの評価と、先生たちからの評価、コメントを お待ちしております。 3年生の天真爛漫な姿を見て、改めて自分たちは、どのような振舞い方を当時していただろうかと、想い起こすばかりです。 改めて、校長先生や、副校長先生、育ての会の役員さんに、よろしくお伝え下さい。 蛇足ながら、東天紅では、1学年上の私の姉の6年1組のクラス会があり、ひさし振りで姉の姿も見ることができました。重ねて、ありがとうございました。(O記述)
昨日は貴兄の綿密な企画大成功!元気な子供たちとの対話:
久方の心踊るひとときでした。教員たちからの丁寧な教室、防空壕への案内そしてお礼の言葉は逆にお返ししたいくらい、先生方にお礼をいわなければと感じました。幹事お世話様でしたそして、ありがとうございました。
両恩師が昨年より静かになられ、さびしく思いますが、いずれ私たちにも
訪れることですね!本当にありがとうございました。(Yくん記述)
黒門小学校校内の見学はとても楽しみにしていましたので、実現できて嬉しかったです。先生の好意でよく入り浸っていた理科室やなぜか好きだった音楽室、そして思い入れの強い工作室は時間の関係で見れなかったけれど、伝説の防空壕まで見れたりして、エモーショナルなあまり泣きそうになりました。
子供たちとの出会いも素敵でした。現役時代は年に数回長時間の講演会などをこなしていた時期もありましたが、子供の前でお話しすることは初めてでしたので、心が通じ合えたのかどうか、正直反省しきりです。できることなら子供たちの感想などそっと聞いてみたいものです。質問の時の子供たちのキラキラした目がとても新鮮で、おもわず答えるのが惜しい、と感じてしまったほどでした。また恥ずかしながらこの時初めて小学校の先生がとても羨ましく思われました。大人が失ってしまった大切な時間を彼らは今、生きているですね。
最後に、サポートしていただいた校長先生や担任の方々には深く感謝いたしますとともに、案内など親身にお世話いただいた新保様を始めとする黒門小学校育ての会の方々に厚く御礼申し上げます。昔も今も続く父兄の学校への惜しみない援助と子供たちへの愛情こそが、よき黒門の伝統と素晴らしい小学教育を支えていたことをあらためて悟った次第です。(KOくん記述)
まずは御礼まで、
昨日、帰宅後メールを開けようとしたのですが・・・・、遅くなりました。
O君やご担当の周到なアレンジ、黒門小の先生方初め”育てる会”(でしたね)の皆様のご協力で、現代に触れると共に、防空壕の実物・本物を目にする事が出来、有益な一日でした。有り難う御座いました。
何時もながらの蛇足ですが、防空壕として沖縄旅行時に”ひめゆりの塔”近くの壕(ガマ)を見ましたが、人工の防空壕は初見でした。”実用されなかった”と聞き、”安心して”見る事が出来ましたが、壕の中に(換気)窓を見ると、”ガス攻撃には大丈夫か?”・”火は回り込まないか?”等と聊か無用な疑問も湧きました。これらは、新しく加えられた設備なのでしょうね・・・・。
米田先生とは、話し合い会前にO君が出席者のレス文を紹介している場所に同席していた(一寸早めに着いたので)のですが、小学校(教育)の現状を心配されている様子が心に残りました。
柿沼正悦先生とは、背中合わせの席だったので・・・・。御嬢さんがお元気そうで、”良かった”ですね。
来年も、両先生がお元気な内に、お会いしたいですね。
御担当の皆様ご苦労様でした。(Iくん記述)
昨日は、色々有り難う御座いました。楽しい1日を過ごす事が出来ました。
また、O君の姉上とも会う事が出来、本当にビックリでしたが、良い機会を与えて頂き、有り難う御座いました。
当方の姉が生きている時は、生活に・勉学に全て姉主導の生活でした。ですから、当方がクラスでトラブルが有った際(確か、当方が”登校したくない”と姉に云ったのが起点だったかと)、姉上が当方の姉と一緒にクラスに来てくれて女性部隊を指導した(?)事が(子細は霧の中ですが・・・)思い出されます。あの出来事が、結局その後の当方の勉学への起点だったかと思います。今でも、姉上には感謝しています。
<この話を、昨日の”話し合い会”でしようと思ったのですが、ネガティブな面・見方も有ると思い、カットしました>
姉上にも宜しくお伝え下さい。(Iくん記述)
昨日貴兄から頂いた”出欠席のコメント”コピーを手にし、”ファイルが有るから捨てよう”と思い、捨てる前に何人参加したのか確認してから、と数字を見たら、”DOさんが急遽欠席”との記載が有ります。そう云えば会場で彼女の顔を見なかった!と納得しました。
目をコピー先頭に戻し、欠席者の便りに目を向けると、何となく雰囲気が違う!おかしい!?と文章を読み始めると(今迄はパターン認識でした)、当初”Hさんが心臓手術で欠席”の連絡だったのが、経過が良かったのか、後日出席に変更されたらしい事が推測されました(出席者の方にもメイル文がありますが手術への言及は有りませんね)。
これは大変な経験をされたようですね。この文章を読むまで全く気が付きませんでした(ファイルを戴いても読んで居ませんでした。済みません・・・)。彼女とはあまり話した事は有りませんが(多分)、今回は話を伺うと言うか、声を掛けるべきでは無かったのかと、反省している次第です。
この年になると、皆さん色々とありますね。TUさんとは”孫が出来ない”話題を蒸し返しましたが・・・。雑文まで(Iくん記述)
早速のレス、有り難う御座います。
背景を理解しました;でも、Hさんは心臓手術をして後、お元気に過されているようで良かったですね。もう、大丈夫でしょうね。安心しました。
しかし、Y君の記憶力は凄いですね!まだ、ボケには早すぎる齢のようですね。当方など、既に60年以上前の事、と言うか、前回の柿の実会の内容は霧の中では有ります。それでは(Iくん記述)
黒門小三年生との”話し合い会”で頂戴したお礼の折り紙の写真を撮ろうと折り紙の裏を見たら、”今日は黒門小のことをいろいろおしえていただき・・・”との書き込みが有るのに気が付きました。UMI先生の事前メイルに有る通り、この話し合い会の目的・趣旨は、矢張り、(我々が経験した)近現代史を黒門小をメインテーマとして語る会だった事を改めて確認しました。
先にも書きましたが、当方の半世紀前のメモリーは略完全にロスト状態であり、皆さん方の期待に沿えなかったと思われます。図書券も対価として貰ってしまいましたが・・・・。
当方の愚話では、物事の本質を考える基本の一例として、”n進法”を紹介しました(n=10,12,2等):鉛筆を数える単位のダースは12進数とか・・・・;生徒の数人は、興味を抱いたようですので、これが現役三年生が物事を考える基礎に少しでもなれば良かった、と思うのですが・・・・。
でも、皆様のお陰で、滅多に経験できない・良い経験をさせて頂きました。有り難う御座いました。(Iくん記述)
興味ある話題ですね、面白そう!;
当方の理解では、母親の胎内に近いほど、”生きてゆくため”に、本能的に母(の匂い、温度、動き、言葉等で)を嗅ぎ分けるのでしょうね。でも貴兄が書かれている”長く吐く呼吸を続けることによって、その能力を回復”との記述だと、この理解(本能起源説)では無さそうですので、間違えているようで・・・・!
”5歳児の正解0%”は、小学校入学が6歳から(誤差を含め1年余裕を見て)の基盤かも知れませんね。
面白い実験を紹介頂き、有り難う御座いました。
PS. 上記を書きながら、母親でなく、父親ではどうだったか、知りたくなりました。多分、略全員0%でしょうね・・・・?(Iくん記述)
私は、幼児開発研究所での実験の話をしました。
3歳、4歳 5歳 の子どもたちを100人集めて、なおかつ、それぞれのお母さんを100人ずつ集まってもらっての実験です。
先ず3歳の子どもとお母さんが100人ずつ集まり、子どもは目隠しをして、自分のお母さんを探り当てるという実験です。
4歳、5歳の子どもたちにも、同じように実験をします。
さて、3歳児は何%当てることが出来たでしょうか。 4歳児は、5歳児はと訊ねました。
答えは、3歳児は100%、4歳児は50%、5歳児は0%でした。
幼ければ幼いほど、本来持っている機能を失くさないのです。
(もっと遡れば、お母さんのお腹の中にいる胎児は、もっと感じる能力を持っているのです)
(長く吐く呼吸を続けることによって、その能力を回復することが出来るのですが)
(そこまでは話は出来ませんでした)
上記のようなことから話を進めましたが、結果的の子どもたちは何かを感じてもらったでしょうか。(O記述)