ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

近い将来日本が石油の生産国になるのかー藻から石油が出来る

2011-05-31 10:15:11 | 社会・経済

 先日のテレビの夢の扉で、藻から石油が出来るという話を、取り上げていました。 学生の頃から藻の研究一筋でこられた渡辺信(まこと)さんが、藻が体内に有機物を取り込んで、燃えるエネルギーの石油を作りあげることを見つけたのです。

 研究一筋できましたので、奥さんが働き生活を支えたということです。 渡辺さんは資源のない国が、藻から石油を生成することで、早く皆が喜ぶ姿を見たいということが、顔の表情に表れていました。

 世のため人のために何かを行おうという方は、いつも輝いて見えるのは、私だけでしょうか。 楽しい映像を見せて頂き、嬉しくなってしまいました。

永平寺のお坊さんがテレビで大悟したという話をしていましたが

2011-05-30 06:17:39 | 座禅

 10数年前に、NHK教育テレビの日曜日の早朝の「こころの時代」という番組で、曹洞宗の総本山の永平寺のお坊さんが出てこられて、話をされていました。

 外国人が禅を教えてほしいと門を敲かれたのですが、先ず日本語を習ってからもう一度来なさいと、門前払いをした話を得意気に話されていました。 ちょっと呆れて見ていたら、今度は自分は「光を見た」「大悟した」という話をしていました。

 自分はそれなりに感得した人間であるということを、公共のテレビを使って言いたかったのでしょうが、私はそれを見て、そういうものではないのではないかと感じたのでした。

 翌週は黄檗宗のお坊さんが、出てこられました。 このときのお坊さんの話は、訥々と話をされるのですが、その話の内容に奥深いものを感じたのです。 特に偉そうにするわけでもなく、日常的な話をする中で、成る程なあと思わせるものがあったのです。

 それに比べて前週の永平寺のお坊さんのみすぼらしく見えたのは、云うまでもありませんでした。 改めて、自分が見性したとか、大悟したとか云うのは、慎まなければならないと、思ったのです。 直接、「大悟した」という言葉を発しなくても、自然と周りの人は分かってくるようでなければならないと思うのです。

脳を癒し生命力を高め心を磨くー座禅では3

2011-05-27 11:39:56 | 座禅

情緒に関係する心は、胸の中心にある中丹田にあるとされています。 静かに暗闇の中で胎息で座禅を行っていますと、時々ふーっと胸の中心が、何かを感じることがあります。 何となく体の中の気が小周天するときに、中丹田が刺激を受けているんだなあと思うのです。

 音楽や演劇を見たり聴いたりするときに、胸が痛くなるときがあります。 また若い頃に、人を恋したときに胸が痛くなったことが、思い出されます。 キュンと痛くなるのは、胸の中心(両乳首の間)です。 

 1時間の静かに行う座禅を通して、日々、大切なものは何かを感じながら、心を磨いているのかも知れません。 改めて云いますが、座禅は楽しいものなのです。

脳を癒し生命力を高め心を磨くー座禅では2

2011-05-26 07:14:34 | 座禅
 
 私たちの生命体は、目の中心の奥にある上丹田にあるとされています。 吐く息を出来るだけ長く吐く呼吸を、継続的に行うことによって、上丹田を刺激します。 体の中を流れる気の主要な督脈と任脈を小周天する時に、その通り道である上丹田を刺激するのです。

背中を通る督脈から上がって来た気は、頭皮のすぐ裏側を通り、おでこの中心部あたりから、眼の中心のすぐ裏側に入り込みます。 そこに上丹田があり、はじめは硬い力が働きます。 場合により眼の網膜あたりも、引っ張るような感じになります。

 座禅の時間の経過と共に、硬さもとれ滑らかな優しい刺激に変化して行きます。 その流れの滑らかさも、30分では無理で1時間ぐらいは必要なのです。
何事も刺激は強いよりも、静かに優しく刺激するほうが、良いのかも知れません。

脳を癒し生命力を高め心を磨くー座禅では1

2011-05-25 08:19:40 | 座禅

吐く息を出来るだけ長く吐き、吐く息だけに意識を集中し、吐く息をイメージで体の中へ吐き、吐く息が体の中へ入っていくのを追うようにして、呼吸を行いながら座禅を1時間続けていけば、きっと近い将来、誰もが日常的なストレスから解放され、セクシャルなエクスタシーをはるかに超える至福感を、得ることができるものと思っております。

 禅宗のお寺では、多くの座禅会で30分の座禅を、休憩を挟んで2回行う場合があるようですが(1回しか行わない場合もある)、途中休憩してしまうと、また一から始めることになってしまいます。

 座禅は如何に静かになるかが大切なのです。 表面的な静かではありません。 体の深層部、一つ一つの細胞が静かでなければ、意味がないのです。 1時間の呼吸法を伴いながらの座禅を通して、静かな状態をつくっていきます。 その先に脳への刺激も静かになり、優しく癒す感覚になっていくのです。

 吐く息をイメージで出来るだけ長く体の中へ吐くことによって、自分では分からないのですが、体の中を流れる経絡を刺激し、その気の通りをよくして行きます。 経絡は目には見えませんが、神経の腺に沿って流れていると云われ、微細な神経が集中する脳も、その影響を受けるのです。 

 脳を癒す至福感を感得出来ると、ますますただ坐っているだけの座禅が、楽しくなって来るから不思議です。 どこかのお寺の和尚さんが、結跏趺坐で胡座を組むのは逃げられないため等と、消極的な意見を述べていたのを思い出しますが、決して座禅は苦しいものではなく、楽しいものなのです。

 座禅を通して、ふと浮かぶ雑念のなかで考えることにより、自然とものの考え方が形成されて行くように感じています。 座禅を通して感得することを大切にしていくことが、とても重要ではないかとも思うのです。

下腹から吐き出す空の理念と無心無欲に還る胎息への道―3

2011-05-24 05:49:31 | 座禅

禅宗の呼吸法といってもHPを見ると、曹洞宗と臨済宗・黄檗宗とでは違うようです。 曹洞宗には呼吸法についての記述はなく、普通呼吸でよいとあります。 臨済宗・黄檗宗では、下腹の丹田を意識した丹田呼吸の記述があります。

 曹洞宗の座禅では、意識をどのようにして集中するかの記述はありませんが、眼を半眼にし、見開かず細めず、自然に開いて視線を1m前方の床面を見よとあります。 曹洞宗のお坊さんが、座禅の修行が嫌で嫌でしょうがなかったと、話すのを聞いたことがありますが、数息法でしか意識は集中できないのでは、ないのでしょうか。

 まだ臨済宗・黄檗宗のほうが、吐く息をゆっくりと吐く呼吸法ですので、意識は集中出来ると思います。 ただし、丹田呼吸であることが、私には理解のできないところです。

 ひたすら座禅を続けることにより、無心無欲の世界に旅をするのですが、私自身は座禅を行うのが日課になってしまっていますが、胡座を組んで吐く息をゆっくり吐きながら坐っているのが楽しいのです。 また楽しいから続けられるのでしょう。

 私は無我夢中で、吐く息を出来るだけ長く吐くことによって、吐く息をイメージで体の中へ吐くことによって(実は自然とそうなったのですが)、吐く息だけに意識を集中することによって、吐く息を体の中へ入っていくのを、追うようにして呼吸を行って、結果的に、それが逆複式呼吸になり、それが胎息という呼吸法につながっていったのです。

 胎息は、誰でもがお母さんのお腹のなかにいたときに行っていた気の呼吸ですので、呼吸の仕方さえ間違えなければ、出来るようになれると思っています。 胎息を行う理由は、無心無欲の胎児に還ることにあるからです。

下腹から吐き出す空の理念と無心無欲に還る胎息への道―2

2011-05-23 05:53:38 | 座禅

下腹にある丹田の呼吸の仕方は、息をゆっくり吐く時に丹田は(気を)吸うのが、正しいあり方ではないかと、いつも座禅の雑念の中で考えていることです。 胸にある肺の動きと下腹の丹田との関係は、一般常識では考えられないものがあるとも感じています。

 下腹の丹田は宇宙に無尽蔵にあるとされる気の心臓部です。 これは目には見えませんし、それなりの呼吸法を熟達した人しか、感じえないものなのです。 丹田から息をゆっくり吐き出すことは(イメージで)、息を吸う時に胸を狭め、息を吐く時に胸を拡げるようなことをしているようにしか、思えないのです。

 私は禅宗の呼吸法から入ったわけではありません。 たまたま初めて行った静功の会(静かな功―座禅と同じように胡座を組んで静かに座る)で、指導者から教わった訳でもなく、無我夢中で真っ暗闇の中で、吐く息をゆっくり吐いていたのです。 ただそれだけの呼吸を行いながら1時間坐っていたら、頭のてっぺんにある百会が活性化し、電子の輪のような帽子を被ったような感覚になったのです。

 それまでの意識しなかった呼吸を意識し、出来るだけ長く吐く呼吸を、日常的なあらゆる時間を使って、練習しておりました。 勿論、夜または深夜、早朝の1時間の座禅は続けておりました。

 そんな生活を送りながら1ヶ月半経ったときに、突然、自発動という形で下腹の丹田が、心臓のように鼓動を始めたのです。 更に、ある時、本を読んでいたら「胎息」という言葉に出会い、本にも詳しいことは書いてはありませんでした。

 毎日の座禅のときに、長く吐く息が殆んどしているかどうか分らない雰囲気にあることに気づき、ひょっとしたら息を止めることが出来るのではなか、「胎息」とはお母さんのお腹のなかにいたときに行っていた気の呼吸ではないかと、感じたりしたのです。 結果的には「胎息」とは、肺呼吸を伴わない気の呼吸であることが自覚出来たのでした。

下腹から吐き出す空の理念と無心無欲に還る胎息への道―1

2011-05-22 08:55:33 | 座禅
禅宗の呼吸は下腹にある丹田から、先ずゆっくりと息を吐くことから始まると云われています。 イメージとしては息が下腹から出ていくわけですから、下腹は凹むのです。 また息は実際には肺から出て行きますので、肺も小さくなるはずです。 息を吸うときには、下腹は元に戻り肺は大きく膨らむはずです。

 私自身はこのような禅宗の呼吸を行ったことがありませんので、何とも云えないのですが、私達が普段行っている呼吸と比べると、極めて不自然な動きをしていると感じてしまうのです。

 体操の時に行う深呼吸を思い出せば、大きく息を吸うときには、肺は拡がり下腹は凹むのです。 息を吐く時には肺も下腹も元に戻ります。 そんな呼吸に慣れている私達にとっては、何とも不自然な動きをする呼吸法ではないかと感じるのです。

 もっと遡れば、私達がお母さんのお腹から生まれてから、肺呼吸に至る過程で、腹式呼吸を行っていたのですが、下腹の動きが大きいのに比べ、肺呼吸の肺の動きは未だ大きく動かなかっただけに過ぎなかったのではないか思われます。 然しながら下腹の動きと肺の動きには、不自然な動きはなく、ごく普通に肺呼吸に変化して行ったのでなないかと推察されます。

吐く息に意識を集中すれば眠くはなりませんー座禅の時

2011-05-21 07:19:19 | 座禅

座禅の時に、よく眠くなるという話を聞きます。 ゆっくり吐く呼吸に意識を集中しさえすれば、決して眠くなることはありません。

 その日の体の調子で、ちょっと疲れているときには無理をせず、すぐ寝てしまうに限ります。 一眠りしてから深夜や早朝に起きて、座禅を行えばよいのです。 何も一度決めたからといって、その通りに実践することもないのです。
自分の体に聞きながら、自分の好きな時間にできるのが、ひとり座禅の良いところなのですから。

 肩の力を抜き頭のてっぺんが、天から引っ張られているような感じで、上体を維持します。 口を閉じ鼻だけで呼吸を行います。 ラジオ体操で深呼吸をしたことを思い出し、大きく息を吸ってゆっくり息を吐きます。 出来るだけ長く息を吐きます。

 吐く時にイメージで体の中へ吐くようにし、吐く息だけに意識を集中し、吐く息が体の中へ入っていくのを追うようにして吐きます。 全部吐き切ろうとすると苦しくなりますので、そのちょっと手前で軽くすーっと息を止め、また大きく息を吸います。 この呼吸がスムーズに、自然に流れるようになるようにします。 1分間で吸う吐くの呼吸が3回になるように行います。

 呼吸に慣れてくると、更に吐く呼吸は長くなります。 ちなみに私は2分間に5回位でした。

 私はいつも座禅を暗闇の中で行っていますが、全ての体の力を抜くということを、大切であると考えています。 眼も同じ考えで、力を抜くという感じで、目を瞑ることもなく、目を開けることもなく、自然と眼は半眼になるのです。 ただし、部屋は真っ暗闇ですので、その感覚は分かりにくいのですが、意識はそのようにもつことが大切です。

 私の母の看護を通して、眼を開けるということも力がいることですし、眼を瞑ることも力がいるということを、知ったのです。

朝歩きで栗の花などの匂いを楽しむ

2011-05-20 08:06:20 | 健康

今朝はいつもより早く、家を5時に出て朝歩きです。 中央公園の木々の間から、栗の花やその他の花の匂いが立ち込め、何とも言えぬ感じがしました。

昨日は前夜の深酒の関係で、体力を回復するのに時間がかかり、また午前中は集中してかからなければならない仕事があり、午後は静かに椅子に坐って、体力を回復するようにしました。

そのためか今朝は体調も元に戻り、新鮮な雰囲気で新緑を楽しみました。