ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

精神的にリッチになれば

2005-07-31 11:03:42 | 自分
 独立して間もないころ、仕事ももないのに朝早くからテニスをし始めたことがあります。 貯金もなくなり母から借りたりして生活をしておりましたが、あえて近所のかたがたが通勤している時間に、テニス三昧の生活を3年間続けました。
 学生のころ、自分ではなかなか取りまとめることができなかった計画に(先人のものを真似るということに不得手であった)対して、面白いデザインを提案してきたものがいて、どうしてあの人はそのようなデザインが考え付くのかな と思ったときに そうかあいつはどうも経済的にリッチだから精神的にもリッチになれ、面白い発想ができるのだ という結論に達しました。
 よし、私は経済的には不リッチでも精神的にはリッチになれるはずだ と思いそれからあえて精神な余裕を作るために、早朝テニスを始めた次第です。
当時は自分で計画をたて、手探りの中で直接オーナーの所へ行って提案し、計画の是非を問う というスタイルをとっていました。
 初めてお伺いした後、次に行く日はいつにしようかと あせる気持ちを抑えてあえて間隔をあけてお伺いしたりしておりました。 何故、仕事もないのに朝からテニスばかりやっているんですかと 連れ合いから厳しく言われたりしましたが、いずれ分かってもらえるという信念から、明日の天気が気になるくらいに雨が降らない限り、早朝テニスをやっておりました。 幸いにも自営で仕事をやっておられる方がいて(親友となりました)、へとへとになるまで6時から9時ごろまで続けておりました。
 子供の学費補助も受けたりいたしましたが、皆さんの支援により何とかこれまで仕事もさせていただき、一つ一つの建物を通して街づくりをしたいという当初の気持ちを、少しは実現させていただいております。

気が合う合わないはありますね

2005-07-30 11:12:42 | 家族
 ジョルジュサンドのお母さん猫のエル(白のヒマラヤン)が1歳になるまで、いつも私と一緒に過ごしていました。 木に登ったり潅木の中にもぐって出てこなかったり、私の仕事の机の上に寝そべって私の作業をストップさせたりしていました。
 ところが1歳になってお父さん猫をほしがってもだえるようになってから、私の娘になつくようになり、いくら散歩に連れて行ってご機嫌伺いをしても一生だめでした。 そのことを通して人間と猫がこのように気が合う合わないがあるのですから、ましてや人間同士なら当然合って当たり前だという確信に似たものを感じるようになりました。 
 お見合いもしたりしたのですが、猫はメスがオスを選ぶということも知りました。 結局オスの子猫を買うことになりジュンという名前が付けられ、1年経つか経たないかの内、いつの間にか押入れの中で猫の鳴き声がするのでなにかなと思ったらいつの間にか子猫が生まれていました。
 エルは子猫の首を口でくわえて得意そうに私たちの周りを回って見せては、また押入れの寝床に戻るということを何度もしておりました。 エルは4,5ヶ月お母さんに育てられましたので、子供にもきちんと最低限のしつけをしていたようですが、ジュンは早くから猫の本の作家の家に引き取られ、そのような子猫ばかりの集まりの中で育ったせいか、下々のしつけが余りよくありませんでした。
 貰われて又すぐ戻ってきた子猫の龍之介は、たびたびお父さんのジュンにケンカをしかけ、仲裁に入るエルはいつもジュンを叱り飛ばしていました。
 昨年に龍之介が最後で今はもう3匹ともおりません。 今は龍之介は私のメールアドレスとなって残っております。  
  

燃えるがごとくがん細胞を焼きつくす

2005-07-29 12:46:32 | 友人
 燃えるがごとくガン細胞を焼き尽くす というタイトルで3年間で7回の大手術に挑戦し、女性建築家としての仕事をしながらガンと戦った記録をまとめ、出版をしてから丁度1年後の平成10年の7月に他界された長尾宣子さん。
 前の事務所の後輩で私と対面して設計作業をしていた関係もあり、事務所をやめた後でもなんとなく連絡のやり取りがあり、我が家からヒマラヤンのジョルジュサンド(メスの猫)が行ったりして、親戚のような感じでお付き合いをさせてもらっていました。
 美人で気がおけない人でしたので、みんなから愛されご主人と一緒に独立してからも数多くの仕事に恵まれ、横行結腸がんと宣告されたときは丁度、お台場の日航ホテルの計画の最中でした。
 私は大学の同級生の勧めもあって平成10年の1月から座禅(静功)をはじめたばかりでしたが、初日に百会が活性化し、教えられることもなく逆腹式呼吸をしていました(後に本で読んでこれが逆腹式呼吸かと思ったりしました)。
 彼女がガンになっているということは風の便りで聞いてはおりましたので、早速電話をして状況を聞いたりしました。 我が家の子猫が行った親戚(みたい)ということもあり、その日から彼女の病気の回復を願い夜中の3時間ぐらいを集中して念じました。
 そのような経緯の中で座禅を始めて1ヵ月半になって気が充実した結果、自発動により臍下丹田が心臓のように動き始め新しい一歩が始まりました。 早速、彼女にも連絡して きっとあなたのことを守るようにいわれているのかも知れないね ということで意見が一致しました。
 それからお見舞いかたがた様子を見に行き、家へ帰ってからは又夜中にひたすら回復を祈ったりしました。 ゲルソン療法のこともお話をさせていただきましたが、抗がん剤の知識は豊富でちょっとまずいなと(私自身は抗がん剤は腫瘍マーカーを一時的に低下させても又しばらくすれば元に戻ると思っていましたからー抗がん剤は健康な細胞までも殺してしまうので、一時的にがん細胞は少なくなったとしても体が衰弱しているのでまた増殖してしまうため)思いましたがそれ以上のことは本人にも言えませんでした。
 遠くにいる人へ病が回復するように念じるということは、気を送ることになり通常でないことですので、結果的にそのことが天目を開く原因になったと後から考えるとそうなります。

自発動に驚かないために 自然に従う気持ちを

2005-07-28 09:27:21 | 臍下丹田
 静かに座禅(静功)を逆腹式呼吸を行いながら暗い中でひたすら集中します。
はじめは呼吸に集中します。 息を体の中へ咽頭部から胸、お腹へさらに臍下の臍下丹田が活性化するように念じながら吐いていきます。 
 臍下丹田といっても言葉では分かっても、実際どこにあるのかは私自身も分かりませんでした。 逆腹式呼吸をすると、息をイメージで体の中へ吐く時に、実際は体の中に気が入っていきますが殆んどの気は経穴(鍼,灸のツボ)から出て行きますが、わずかずつでもたまっていく可能性もあるようです(今から考えると)。
 それがたまってくると(気が充実してくると)自発動という現象が現れます。
自分の意思に関係なく勝手に気が動き始めますが、びっくりしないように普段から肩の力を抜いて、いつも自然に従う気持ちを持っていることが大切です。
 私自身は臍下丹田を座禅をしながらイメージで下腹部を視覚的に上のほうから見たり、宇宙の中でぽつんと一人そこにいるようなイメージを重ねたりしていたときに、自発動(私の場合は丹田が心臓にように鼓動をはじめました)が起こったように記憶をしております。 かなずしも形にこだわる必要はありませんが、座禅の姿が一番楽です。 ただし、椅子に座っても、立っていても寝ながらでも、できますので気長にやってみてください。

天地の祈りは自然をも動かす

2005-07-27 08:48:54 | 
 今から18年前に中国とソ連(当時)の国境の大興安嶺という巨大な山脈があり、5月8日に発生した山火事に手を焼いた中国政府は、厳新氏(西洋医学と東洋医学を学んだ医師で気功家でもあるー現在はアメリカ在住)に降雨を依頼しました。  
 15日に実験を始めた厳新氏は2日後には準備ができたと告げられましたが、そのときには雲ひとつなかったそうです。 ところが10分後にはどこから来たのか満天を雲が覆い、その10分後には突然大雨が降り始め、48分間降って雨はぴたりとやみ、火は消え、雲もなくなっておりました。
 厳新氏は自分の力だけでこれを成し遂げたのではなく、あらゆるエネルギーが降雨のために集まり、彼はその集積の核になったに過ぎなかったのです。 降雨の実験を始める前に、彼は皆で雨が降るように祈ってくださいと注文し、又できるだけ多くの人が真剣にとお願いをしておりました。

先ずは半身浴から 無理をせず

2005-07-26 09:52:38 | 半身浴
 毎日入るお風呂で臍のちょっと上にお湯の面がくるように入る半身浴は、心臓に負担がかからないので今では首までつかるということはありません。 お風呂に入りながら肩から頭のてっぺんまで汗でびっしょりになります。 
 汗をかくということは血流の循環が良くなり、新陳代謝もよく体の細胞が活性化するということになります。 下半身が温まるとしばらくその温かさは持続します。 私の知人のなかには、朝早くおきてお風呂で半身浴をし、仕事に出かけられる方が複数おられますが、特に冬などには効果がてきめんです。
 夜半身浴の後には、布団の上でパジャマ姿で座禅(静功)を電気を消して静かに行います。 隣室で家族がテレビを見ていても気にすることもなく(気持ちを集中すればあまり気にならなくなります)逆腹式呼吸をしながら座禅に集中します。
 体が温まり血流の流れもスムーズな状態になれば、常識的には気の流れもスムーズになると思われます。 あまり無理をすることもなく、眠くなったら上をむいて寝ながら手の親指を臍の上において逆腹式呼吸をします。
 朝まで寝てしまえば、それはそれで頭もすっきりしますが、途中、夜中にでも目を覚ましたら、又布団の上で座禅をします。 座禅というと改まってきちんと着替えてお寺でしなければという考え方が一般的ですが、私自身の経験からでは、いかに座禅を(座禅する気持ちを)日常生活の中で取り入れていけるかが大切ではないかと思っております。 形にこだわるよりも、そのような生活習慣を付けてしまうことのほうが重要ではないかと考えています。 

地球は生きている

2005-07-25 10:27:46 | 自然
 23日夕方の地震はたまたま外へ出ておりましたので、そのすごさを体感できませんでしたが、ビルのエレベーターが地震管制装置によって(震度4以上で対応)ストップし、メンテナンス会社に電話連絡してもつながらず、階段の上り下りに汗だくだくでした。 関西にいる親戚からも電話があり、改めてテレビ報道を通じての大変さも分かったしだいです。
 震度4強でこのくらいですから、それよりもっと大きい地震が来ることも考えられますので、そのパニックさは現実問題となったときには、想像をはるかに超えることにもなります。
 神戸の震災後に知人と2人で現況をつぶさに歩いてみてきましたし、昨年末の新潟中越地震についても山古志村の現況を見る機会にあって、その自然の力の大きさに驚きもいたしました。 大陸プレートのちょっとした跳ね返りが、私たちに大きな災害を及ぼすわけですから、改めて地球は生きている、動いていると感じることとなります。
 先日テレビで雲の形によって地震を予知できるそうですが(何日ごろ、どこの辺りまで特定できるとのこと。そのほかにも予測方法があり当たるとのこと)、事前にその予測を発表するということは、混乱を招きかねず難しいとの事でしたが、近い将来はその予知も的確にみんなに広報されるのも間近いかもしれません。

よく噛むことからはじめましょう

2005-07-24 11:24:14 | 健康
 毎日繰り返し行う生活習慣をちょっと視点を変えて生活することによって、自分の体も心も変わってきます。 先ず食べることから考えてみましょう。
 東洋医学では、唾液のことを津液(しんえき-神液)とよび何よりも大切にしております。
噛むリズムが胃腸のリズムとなり、体のリズムにつながってきます。 唇と歯肉の動きが胃の働きにつながり、下の歯茎が大腸に、舌の働きは脾臓に、こめかみが小腸と胆嚢の働きにつながりがあるといわれています。
 アメリカのある大富豪が常に慢性病に悩まされ、体重が90キロ,40歳で髪も白髪であらゆる名医をたずねましたが一向に良くなりませんでしたが、ある人から「とにかく徹底的によく噛んで食べなさい」と教えられ、その日から忠実に徹底したそうです。 肉食大好き人間でしたが、それもひと口600~800回も噛んで食べたところ、不思議なことに次第にやせてきて30キロも減少しました。
 慢性病もいつの間にか消え、そして食べ物の嗜好も肉食から穀物、菜食へと自然と変わってきたということです。 その後、その方はこの教訓を生かして「よく噛むことは健康になる」と私財をなげうって講演活動を行うようになったそうです。 この運動は「フレッチャーイズム」と呼ばれ今でも有名です。
 

樹木でも多年心をそそげば話し合える関係になる

2005-07-23 18:52:14 | 
 90歳になって再びペンをとって書き下ろした芹沢光冶良さんの「神の微笑み」にはご自分が体験された不思議なことが、たんたんと綴られています。
 80何歳かであったとき、視力と聴力の衰えでなんとなく悲哀を感じていたとき、偶然庭の老泰木に話しかけられているのに気づき驚かれました。本当かうそか庭のほかの木にも何度も試みて実験してみた結果、樹木と対話ができることを発見したそうです。
 近所の道路沿いの老ケヤキにも試したところ(終戦直後の焼け跡に残った幹の根元から出たケヤキのこずえにいつも声をかけていたとのこと)、いままでの見聞した街の歴史を語ってくれたそうです。
 そのような経緯の中で89歳のときに大自然の力が、地球上に生物を生み、人間を作った親神であるとして、その親心を直接に語りかけ芹沢さんに作品をかけと急き立てられ、4ヶ月でこの「神の微笑み」を書かれたそうです。 書き終えたときには、過労で倒れることもなく、腰痛もなくなり蘇生したような爽快感でいっぱいだったそうです。
 座禅(静功)を深めていくと大自然の中に気がいっぱいあることを感じ、樹木にも動物にもあることが分かってくるはずです。

命を預かる救急体制にびっくりと感謝

2005-07-22 09:26:16 | 
 女の子が2人生まれたら、奥さんと直ぐわかれて男の手一つでやっと高校進学まで育てたという友人が、娘二人のことでストレス症状になってしまい、アルコールに頼る毎日が続く友人を元気づけようと夕方、私のところへ友と2人で呼んだところ、事務所の前で息苦しくなり、救急車のお世話になることになってしまいました。
 友は今日は仮の妻ということで、病院まで一緒にいくこととなりました。 救急車の中で本人が息も絶え絶えの中で、救急隊員のかたが、症状について聞いておりましたが、私たち2人は近辺の救急病院の中でも行ってもらいたくないところは避けるように発言しましたが、そのことが結果的に救急病院での当直医師との軋轢に(隊員と)つながってしまいました。
 救急車に乗り込みますと、車を止めてまず症状から判断して近隣の病院へ、電話連絡をして当直医師と何科に診てもらうのかよいか、話し合いをします。 今回は本人からの聞き取りが不十分だったため(私たち2人は本人の健康状態については把握はしていたのですが、現場に居合わせた友人ということで私たちによく聞くこともなく、息も絶え絶えの本人だけにかすかに聞き取っただけであった)当直医師は相当まじめに救急隊員に怒っておられました。 
 そのときは何で怒るのだろうと不思議な感じがしましたが、よく考えてみると初期の対応によっては命に関わることですから、逆にそこまで一所懸命に私たちのことを考えてくれているのだと友と2人で感心もさせら、感謝の気持ちでいっぱいになりました。
 幸いにも友人は、2時間ほどの対応と処置によって少し元気を取り戻し、一人ではほっとけないということで3人で友の家で泊まり、今朝一番でかかりつけの病院へ行くことになっております。