ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

18年植物人間になってしまった方の告別式に参列して

2009-06-29 12:52:42 | 
 知人の奥さんが18年以上前から、公立病院に子宮頸がんの検査入院して、点滴を受けた状態でトイレに行き、そのまま意識を失い、発見が遅れて脳に酸素がいかない状況になってしまい、それ以来植物人間化してしまいました。 私は入院してすぐに見舞いに行きました。 まったく動かず、ご主人が手や足を動かしたり擦ったり、話しかけたりしていました。

 その後4年後ぐらいに、またお見舞いに行きました。 脳が活動することがありませんので、顔は赤子のようなほっぺったが赤くなっていました。 もともと秋田の生まれで肌は白い方でした。 足や手は少し硬直化しかけているようでしたが、話しかけると、少し嬉しいような顔つきになる雰囲気がありました。

 その後、ご主人に会うたびに、奥さんはどうですかと尋ねました。 以前よりは、手足をさすったり話しかけたりすると、はっきりと分かるように笑顔になるとも聞いておりました。 ご主人は毎日のように療養型の病院に通い、奥さんと会話をされていたようでした。 

 私は、人間は例え脳が活動停止し、植物人間化したとしても、赤ちゃんがお母さんの胎内で気を通して感じていたように、感じていたのではないかと、呼吸法や座禅を通して思っておりました。 多分そうであったように確信しています。 

 その方が亡くなったという知らせを聞き、ご苦労さん、もういいですよ、私は天に還ります、と旅立たれたように感じます。 

 私は葬儀があったときには、できるだけ告別式に参列し、最後のお別れをし、家族から生前の話を聞き、改めて故人の弔いをしたいと思っています。 儀礼的な通夜だけの参列だけはしたくないと、心がけています。



早朝にいつも会っていた方に久しぶりに会うことができ

2009-06-28 18:58:22 | 友人
 早朝のいつも決まった時間に事務所まで出かけるときに、何回も会っていた方に、ある時から声を掛け、そのうちにもう少し多くのことを聞いたりして、次第に親しくなっていくものです。

 そんな方がしばらく会わなくなっていて、一緒に出かける息子とも、どうしたんだろう、この間ちょっと体調が悪いといっていたからなあ、といっては心配をしておりました。 昨日、普段と違う時間に歩いていたら、あちらから来られる方が、その方でした。

 久しぶりです。心配していたんですよ。どうされていたんですか。 
 家内が脳溢血で倒れ、病院から退院したものの、半身不随になってしまったので、その世話や食    
事を作ったりしているんですよ。

 そういえば、奥さんは健康診断をしたことがないと話していたなあ、と思い出しました。 糖尿病であることは知っていましたが、半身不随になっていたことは,聞いてはおりませんでした。

 おはようございます、との挨拶から始まりから、少しづつ人とのつながりが、できて来るものなのです。 改めて早朝の挨拶の大切さを、感じました。 最近ではもうひとり早朝に出会い、遠くから手を振る関係のご婦人とも、挨拶をすることになり、いつも会えるのを楽しみにしています。 

体の変化を楽しむのが座禅を継続できるコツ

2009-06-27 06:46:59 | 座禅
 今まで意識したことがなかった呼吸を、意識することによって私たちの体に、微妙な変化をもたらします。 口を閉じ鼻だけで呼吸します。 大きく吸って出来るだけゆっくり吐きます。 吐く息をイメージで体の中へ吐きます。 意識を体の中へ吐く息だけに、集中します。 

 この呼吸法は昼間でも、立ちながらでも、イスに座りながらでも行います。 従って目はつむって行います。 禅宗での呼吸法は、先ず息を吐いてから吸いなさいと、指導されることが多いのですが、禅宗の呼吸法では、なかなか体の微妙な変化は、残念ながら望めません。 勿論,禅宗でいう半眼にすることもありません。

 日常的に私の呼吸法を行おうとするときには、いかに意識を体の中へ吐くことに集中できるかが、とても大切なのです。 どんな状況下でも意識を集中しようとすれば、目はつむって行うのが正しいのです。 

 私の経験から、生来行ってきた胸式肺呼吸を行い、ただ,大きく胸一杯に息を吸い、ゆっくりと鼻から息を吐くことを忘れ、ひたすらイメージで体の中へ息を吐く、このことだけを行っていれば、静かに座禅を行っていると、体には微妙な変化を与えてくれるものなのです。

 思い立って座禅をはじめようとしたならば、途中で挫折してはしょうがありません。 意識した呼吸法や,座禅の良さを知ったならば、多くの方は継続的に座禅を行うことでしょう。 私自身が,大学の級友からの声かけではじめた座禅=静功を、10数年も続けて来られたのも、体に暮妙な変化をもたらせてくれたせいかも知れません。

 息を吐きながらイメージを行うと、私たちの体の中の気は、自分が思うように動いてくれることを、座禅の中で感じるのです。 吐く息を体の中へゆっくり吐くとき、私たちが本来持っていた気感(気の通る道ー経絡)が眠りから覚め、次第にその経絡の通りを良くしてくれるのです。 そのためにも、座禅は1時間が必要なのですが。

 

水泳で潜水したときの感覚になるー座禅では

2009-06-26 06:54:58 | 座禅
 胡坐を組んだ座禅で、今まで意識したことがなかった呼吸を、吐く息をできるだけゆっくり吐き、吐く息をイメージで体の中へ吐き、吐く息だけに意識を集中することによって、深化の過程で私達が水泳で潜水したときに、脳がシーンとなる感覚になります。

 何故、潜水したときに脳がシーンとなるかは、よく分かりませんが、生理学的には脳波がβ波からα波になるのではないかと、想像できます。 

 私自身は日常的にいつも脳波は、α波になっているようにも感じます。 いつも脳の状態がシーンとなっております。 多分、日常的に体の中を気が小周天をし、脳を刺激しているからかも知れません。

 脳細胞は、生まれてからある一定年齢(幼少時ではないかと記憶しているが)になったときから、毎日10数万個の数で死滅すると云われています。 早い年齢から呼吸法を通して、脳細胞を刺激することにより、死滅の速度を遅くすることは勿論のこと、脳の開発率を高めることが、とても大切なことのように思います。

 私のように高齢になってからでは、遅すぎた感があります。 自分が座禅を通して感得したものを、若い人たちに伝えることが、責務ではないかといつも感じているのです。 ブログを通してお話をさせていただいているのも、そのためでもあります。

力を抜き上体を直立させるー座禅の姿勢

2009-06-25 09:20:27 | 座禅
 肩の力を抜き全身をリラックスさせながら、上体を真っ直ぐ直立させるのが、座禅の基本姿勢です。 力を抜くという行為をしながら、上体を直立させるという矛盾があります。

 胡坐を組みますが、出来るだけ足には力を分散させず、頭のてっぺんが天から引っ張られ、なおかつ上体は直下のお尻の中心(お尻全体で)で受け止めます。 上体は姿勢をよくしようとして、反らせては筋力が働き、長く座禅を続けることは出来ません。

 普段の日常生活から、肩の力をいつも抜くように心がけ、姿勢も直立させるように、意識します。 意外と座禅の時には姿勢はよくても、普段の生活になると悪い意味でリラックスし、猫背になってしまったりする人を見かけます。 立っているときでも、椅子に座っているときでも、胡坐を描いているときでも、いつも肩の力を抜き、上体を天から引っ張られているような感覚で、いるように心がけたいものです。

 力を抜くという意味は、全身のあらゆる部分で、力が入ってはいけないことを示しています。 例えば両手を法界定印という手印を組んで、座禅を行いますが、両親指の先がかすかに、触れ合うように維持するのですが、その指先も力が入ってはいけないのです。

 力を抜きながら座禅の姿勢を保つことが、ごく自然に出来るようになれば、しめたものです。 私自身は、座禅の途中で、時々姿勢がいつも正しい姿勢であるかを、チェックします。 上体を真っ直ぐにしながら、お尻を支点にして、前に上体を倒し、それを戻した姿勢が、正しい姿なのです。 

 力を抜いた究極の姿は、目が半眼になるのです。 目は半眼にするのではなく、半眼になるのです。

スポーツ施設の解体に想う

2009-06-24 07:56:44 | 文化
 30年前に企画・計画して建てられたスポーツ施設が、解体されるという話が舞い込んできました。 一つ造られてから、またその隣に上階が共同住宅のスポーツ施設も、10年後に計画し造られました。

 同じグループの施設であったのですが、少子化と高齢化の変動の中で、経営的に厳しくなったのが、原因のようでもあります。 またプール施設の鉄骨構造の腐食も、遠因になったようです。

 小学校の低学年であった我が娘と息子も、ご多分に漏れずスイミングスクールに通い、その送り迎えでいつも、その泳ぐ姿を見ていたのを、ふと思い出されます。 当時の施設側の担当者も既に会社にはおらず、唯一私がその歴史をしるひとりとなってしまったようです。

 前の事務所を8年務めて辞め、自分の住んでいるまちで、何か自分が出来ないかと思い、あちらこちらの空いている土地の所有者を調べては計画し、実現できたのがそのスポーツ施設でした。

 私は大学は建築の勉強をしましたが、ある時期からは建築の勉強した者の責務として、建物をデザインするだけでなく、お金にはならないかもしれないが、地域社会をつくる手伝いをするのが、とても大切な仕事ではないかと、想うようになっていました。

 ましてや自分が住むまちで、そのまちの街づくりのお手伝いが出来れば、もっと最高ではないかとも、思うようになっていました。 非力ながら一つ一つの建物づくりを通して、まちづくりが出来ればいいなあ、と漠然と感じていました。

 そんな思いを思い出しながら、建物の解体にタッチしていくことが、何とも言えず複雑な想いが、出てきてしまうのです。

宇宙の清新なエネルギーを取り入れるー座禅で

2009-06-23 07:52:29 | 座禅
 吐く息をゆっくり吐き、吐く息に意識を集中しながら行う座禅は、結果的に宇宙の清新なエネルギーを、体に取り入れることになります。

 私達が普段行っている肺呼吸では、空気の酸素を取り入れるだけですが、そんな普通呼吸をやめ、口を閉じ鼻だけで呼吸し、吐く息を出来るだけゆっくり吐き、吐く息をイメージで体の中へ吐き、吐く息だけに意識を集中することによって、酸素を取り入れるだけでなく、宇宙に無尽蔵にあるエネルギーを取り入れるように、体を変化させてくれるのです。

 深夜や早朝に行う座禅は、宇宙のエネルギーも清新なエネルギーが充満し、私達は自然と取り入れることになります。 私達のほんのひと握りの人だけが、そのようなものを獲得できるのではなく、誰もが生来持って生まれたものと、思っています。

 残念ながら宇宙エネルギーである気は、科学的に解明されてませんし、私達の目にも見えません。 自身が座禅を通して感得するものなのです。 本当の意味で無心、無欲の人は、他人の体の中を流れる気の動くが見え、体の調子が悪いときには、その部位に関係する経穴(気の流れを調節する弁)の流れが、よどんでいるのが見えるといいます。

 私自身も、そうなれればいいなあと思っておりますが、我欲から離れられない現状では、無理というほかはありません。 それでも毎日深夜に行う座禅は、生活習慣になってしまいました。 いつも座禅を通して、一日の疲れが癒されているようにも感じます。 また楽しみの一つでもあるのです。



天のその人の災いするは天まだその人を見捨てざるなり

2009-06-22 07:25:39 | 座禅
 月2回行く日曜日の普門庵での座禅会で、和尚さんが茶礼の席で、18歳の時に聞いた「天のその人の災いするは天まだその人を見捨てざるなり」という言葉を、話してくれました。

 私達は自分の周りでよいことが起きているときには、嬉しさで何も考えませんが、悪い状態になったときには、どうしようどうしようと考えるばかりで、ものごとを前向きに考えることが出来ないのが、普通です。

 私は若いころには、いつもそんな風にしか考えられませんでしたが、あるときを契機に、苦難をそのまま素直に受け入れ、それをどのように解決し、悪い状態をどのようによくすることが出来るだろうかと、考えるようになりました。

 それというのも、悪い状態をそのまま「困った、困った」と思っているだけですと、体をじわーっと変な分泌液が、支配するような感覚を感じたからです。 そのように感じるようになると、体そのものも余りよい状態とは言えず、精神的にもまずい状態になってしまうからです。

 したがって、困った状態になったときこそ、自分に与えられた試練ではないかと考え、マイナスの状態をどのようにしたら、逆にプラスに出来るかを考えるようになりました。 不思議なことに、前向きに明るく考えるようになった瞬間から、マイナスの分泌液はさーっと、糸を引くようになくなってしまい、通常の状態に戻ってしまうのです。

 現在では、日常的に行う座禅を通して、問題解決しなければならないような事柄については、ふと雑念の中で宇宙の叡智から、サジェスチョンを貰うようにしております。 そのように思えてきますと、嬉しいことは勿論のこと、嫌なことや困ったことに出会ったとしても、楽しめるように(楽しむように努力する)なってきました。 全てのことを楽しむ、そんな感覚です。

 

竹で作った風鈴の音を聴くーそこはかとなく味わい深い

2009-06-21 14:26:56 | 文化
 先日お伺いした家で、何となく聴こえてくる音に、何だろうなと尋ねたところ、甥っ子が海外旅行のお土産で買ってきたものだといいます。 その音色の素晴らしさは、例えようがないほどです。

 早速、竹細工の得意な方に連絡をし、竹の風鈴を作ってほしいと、願い出ました。 自分も一緒に作るならということで快諾を得、今朝、連絡の上、写真を撮ったり寸法を測ったりしました。

 親しくしている友人も誘って、一緒に行って来ました。 その音色はその場で聴いてもらわなければと、思ったからです。

 直径が2.2cmから3.2cm、長さ18cmから27cmぐらいの竹を6本直径11cmの球状のものからたらし、真ん中にある厚み2.5cm直径6cmの木部に、風で揺られた竹が優雅な音をかもし出すという仕組みです。

 大小6本の竹は、半分ぐらいの長さで下を削り取られることにより、振動を起こすということでしょうか。 スケッチを元に早急に竹の風鈴作りに、取り掛かることにしましょう。 この音は聞いて見なければ分からないのです。 

胎息しながらパイプオルガンの演奏を聴く

2009-06-20 16:25:38 | 文化
 パイプオルガンの酒井多賀志さんとアルトの奥野恵子さんとの競演、オルガンだけのソロをこじんまりしたホールで、聴いてきました。 バッハやメンデルスゾーンの曲を主に、何となく教会音楽を聴くような雰囲気でした。

 様々な長さのパイプが高く上に伸び、微妙な音が内壁を反射して、私の耳に届きます。 私は、静かにじっとしているときには、肺呼吸を伴わない気の呼吸である胎息で、音楽を楽しみます。 目を瞑り耳と体全体で、音の振動を楽しみます。

 胸の中心部にある中丹田で、その全てを感じ取ります。 情緒や感情を司るものが、中丹田にあるのを感じながら、楽しむのです。 特にオルガンのソロの音の響きが、深く中丹田を刺激します。

 目を瞑って静かにしているから、その微妙な変化を知るのです。 パイプオルガンを本格的に聴いたのは、初めてではなかったと思いますが、十分に楽しむことが出来ました。