ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

お昼はモスバーガーのお店を探しては食べます

2013-10-31 06:22:09 | 食べ物

 先日、テレビでハンバーガーの味を食べ物研究などの専門家たちの投票によって、ランキングの発表があったようです。 家族がテレビを見ている隣の部屋にいて、声だけが聴こえてきたからですが。

 私は、モスバーガーのお店を探しては、お昼をモスバーガーとチリドッグを食べるようにしています。 お水とスプーンを頼みます。 スプーンはモスバーガーのはみ出たものを、掬って食べるためです。

 ランキングの発表を聴いていても、なかなかモスバーガーは出てきませんでしたが、最後に1位という発表があり納得しました。 玉ねぎを細かく刻んだものに、トマトがスライスされたものが挟んであり、そこにモスのソース状のものが混じりあっています。 この味は独特のもので、その美味しさは格別です。

 またチリドッグも、ちょっとピリ辛味で、これにも玉ねぎの刻んだものが入っています。 

 昨日も立川に昼前後、用事があり、いつもだと「日高屋」の味噌ラーメンを食べるのですが、事前に探してモスバーガーを、食べにいきました。

 吉野家の280円の牛丼を、時々お昼に食べに行くのですが、いつも思うのは、どうしてもっと玉ねぎが多く入っていないのかなあ、と今朝、息子に話したところ、同じ値段で「ねぎだく」と注文すれば、玉ねぎを多く入れてくれることを、教えてもらいました。 「ねぎだくだく」というのもあるような雰囲気でしたが。


早朝の事務所での仕事は集中できます

2013-10-30 08:44:47 | 自分

 今朝は、深夜の1時過ぎに目が覚め、恒例の1時間の座禅を行い、そのまま起きてテレビをチラッと見ながら、朝食の準備をしました。 お湯を沸かし、お茶を入れて飲みます。 いつも2杯は飲みます。

 4時過ぎに玉ねぎを大雑把に切ってから、人参とピーマンを細きりにしたものを、はじめにオリーブオイルで炒めます。 少し炒めたら玉ねぎを追加して炒めます。 肉団子を半分に切ってから、汁と一緒に炒めます。

 今朝のおかずは、肉団子と野菜の炒め物です。 最近になって生姜昆布が店頭からなくなり、かつお昆布をふりかけて食べたりしています。 

 食後に半身浴でお風呂に入って、本を読みます。 ひと汗かいたら歯を磨きうがいをしてから、顔や体を簡単に石鹸をつけて洗います。

 今朝は家を出たのが5時15分です。 駅前の事務所には5時半には着きます。 パソコンを立ち上げ、昨日残っていた作業を行い、終わったのが8時過ぎでした。 

 いつもは、朝一番にブログを書くのですが、今朝は今になってしまいました。 朝の9時まで、集中して結構な仕事が出来ています。 夕方に暗くなってくると、何となく早く家に帰らなくちゃと思ってしまいます。  夜は余程のことがない限り、7時過ぎには寝てしまいます。


生まれ変わっても今の人と結婚したいと思われて

2013-10-29 07:00:06 | 家族

 先日、友人と会食して、昨年、天に還っていった奥さんのお母さんから、生前に娘(奥)さんが、生まれ変わっても今の人と結婚したいと、話を聞いていたんですよ、との話があった、ということを、涙を流しながら私に話してくれました。

 私も友人の奥さんが、私が住んでいた愛宕の「あたごの風」という歌の歌詞をつくり、その歌の発表会で初めてお会いしました。 とても素敵な雰囲気のある方でした。

 それ以上に、愛宕中学校の生徒たちが歌う「あたごの風」の歌詞を聴きながら、思わず涙が出てきてしまいました。 愛宕の情景が細やかな言葉の中で、表現されていたからです。 ですから友人の奥さんが、その容姿以上に素敵に見えたのです。

 話を自分に振り返ってみて、果たして自分も奥さんのような言葉が出てくるだろうかと反芻してみました。 すると、私の連れあいと出会った状況下では、やはり結婚する必然性があったと感じました。 例え現況が、当時とは違う雰囲気であったとしてもです。

 果たして連れあいは、どう思っているんでしょうか。


国立音大の先生方のヴェルディのオペラを聴いて

2013-10-28 08:01:47 | 文化

 昨日は玉川上水にある国立音楽大学講堂小ホールで開かれた、藤原歌劇団や二期会に所属する先生方による、ヴェルディのオペラを聴いてきました。 小ホールでのコンサートは2度目ですが、真四角に広がる空間での音楽は、身近に感じるだけに臨場感があります。

 真ん中の前から5番目の席で聴いていましたが、マクベスの「光は衰え」を歌った下原千恵子さんの声は、とても深みあるソプラノでした。 また椿姫の「さようなら過ぎ去った日よ」を歌った高橋薫子さんは、美人顔で美しい澄んだ声のソプラノでした。

 マクベスの「来たれ急いで」を歌ったソプラノの石上朋美さんは、ちょっと癖のある魅力的な声で、また振る舞いでした。 テノールの井ノ上了史さんと一緒に歌った仮面踊踏会の「あなたの傍に」での歌は、楽しい掛け合いの歌声でした。

 最後に歌ったバリトンの須藤慎吾さんを含めて高橋さん、石上さん、井ノ上さん4人で歌ったリゴレットの「美しい恋の乙女よ」は、オペラの一部でもあるにもかかわらず、その醍醐味を感じさせるものでした。

 大学の先生方が、このような形で表現する場を設けて、一般に開放して公開していることを、自分たちの大学でのあり方を、改めて想い起こさせるものがありました。 素晴らしい一日でした。 感謝いたします。


秋の七草を道端にもあるので覚えました

2013-10-25 08:46:29 | 自然

 家から駅前の事務所までの道端に、すすき、くず、おみなえしが、競うように生えています。 すすきと、おみなえしは、まだ残っているニュータウンの空き地に、群生しています。

 はぎ、ききょう、なでしこ、ふじばかまと、道端に生えている、すすき、くず、おみなえしを見ながら暗誦して、やっと覚えました。

 おみなえしの茎、葉の姿も、覚えることが出来ました。 くずの新芽をてんぷらにして食べると美味しいと聞いていたのですが、今年はとりあえず機会を失いました。

 5月の近隣の野山に入って採って、野草のてんぷらを食べる会では、抵抗なく食べることが出来たのですが、身近にある道端でのくずの新芽といえども、何となく遠慮してしまったのです。

 次なるは、春の七草を覚えることにしましょう。


座禅を通して世のため人のために何か出来ればと

2013-10-24 07:40:12 | 座禅

 私は、座禅(静功)を通して、体に微妙な変化をもたらし、はじめは脳への日常的な刺激を、うっとうしく感じたのですが、ああ自分の体への変化は、世のため人のために何かをしなさいということを、教えてくれているのかもしれないと考えたときに、そのうっとうしさはなくなってしまいました。

 下腹にある臍下丹田が活性化し、心臓のように鼓動を始めて、もう15年以上は経っているでしょうか。 脳は、常に刺激を受けて、水の中に潜ったときに感じる、シーンとした感じを持ちながら、毎日の生活を送っています。

 脳への刺激は勿論のこと、胸の中心部にある心をも常に刺激し、心を磨いていてくれるような気もいたします。

 したがって座禅を始める前以上に、微妙に、繊細に、様々な出来事に反応します。 クラッシック音楽を聴くときだけでなく、あらゆる出来事にも胸を刺激し痛めます。 そんな日常を楽しんではいます。

 深夜の1時間の座禅を通して、改めて座禅の素晴らしさや楽しさを感じ、それを一人でも良いから、ブログでどのように伝えたらよいかを、いつもふと浮かぶ雑念の中で考えるのが、普段の生活なのです。


台風27号よりも28号のほうがもっと凄く近づいてきて

2013-10-23 07:06:12 | 自然

 台風27号が速度10kmぐらいで進み、その規模も925hPa中心付近の風速が50m/secで最大瞬間風速が70m/secと云われていて、すごい台風が来るんだなあと思っていたら、今度は追いかけるように28号が、いつも間にか速度30kmで進み、現在は915hPaで風速55m/sec、最大瞬間風速は80m/secまで発達してきています。

 台風の中心が1000kmまで近づいてくると、どういう動きがしてくるか分からないといいます。

 今朝の台風の進路図を見ると、ますます近づいてきています。 いつでも気象庁のHPから、その動きが分かるというのも、なかなか、ある意味では面白くもあり、事前にその怖さを予感させるので、心の準備が出来るというものでしょうか。

 26日に予定したことも、早々に延期をしたほうが良いかもしれません。 27号台風が、28号台風に引っ張られるように引き寄せられ、日本の東海上遠くに、避けて頂けるように、願うのみです。


座禅の無・無心の概念から0・ゼロについて考える

2013-10-22 06:25:46 | 座禅

 座禅を行い始めて、改めて「無」とか「無心」について、考えてみたことがあります。 出来るだけ長く吐く呼吸を行いながら、広大な宇宙を想定し、その中で自分ひとりだけが存在するというイメージを行ったときです。

 大宇宙の中にいる自分の存在は、決してゼロではないかもしれないが、限りなくゼロに近いと考えたのです。

 多分、0の概念が考え出されたときにも、1or0の存在するかしないかの概念ではなく、限りなく0に近いという考え方が、あったのではないかと改めて感じたのです。

 衛星から地球を眺める映像を思い出し、青く見える海や茶色い大地と白い雲が見えます。 そこから次第に離れていって、地球も大きなバスケットボールぐらいの大きさに見えます。 更に離れていくとソフトボールの大きさになるぐらいまでになります。 更に離れていくと、地球はピンポン球ぐらいの大きさになっていきます。 更に離れていくと殆ど点でしか見えません。 更に離れていくと殆ど何も見えなくなりました。 気が付くと広大な宇宙にぽつんと自分ひとりがいるのに気が付きます。

 すると水の中に潜ったときに感じる、耳がキーン(シーン)としてきます。 

 意識を一点に集中するときには、作為もなくなり、限りなく「無」や「無心」に近づくのではないかと感じたのです。

 0・ゼロとは、逆説的に無限大に近づくとも感じたのです。


コバケンのベルリオーズの幻想交響曲を聴いて

2013-10-21 06:59:35 | 文化

 18日に小林研一郎指揮で読売交響楽団演奏による、ベルリオーズの「幻想交響曲」を聴いてきました。 演奏が始まる30分前に、評論家の奥田佳道さんの前置きの話があり、ちょこっと指揮者のコバケンさんが顔を出し、ベルリオーズについての自分の思いを語ってくれました。

 序曲「ローマの謝肉祭」を演奏の後に、「幻想交響曲」を演奏してくれました。 2曲とも初めて聴くような感じでしたが、とても新鮮さがありました。

 「ローマの謝肉祭」は、華々しい雰囲気の曲目でした。 席は前から4番目の真ん中の席で、いつもは目を軽く瞑って、胎息状態で聴くのですが、コバケンさんの指揮ぶりは、身振り手振りの感じが、とても楽しく感じられるので、時々目を開けては聴いておりました。

 指揮者の真後ろにいたせいか、感極まったときに出るコバケンさんのうなり声は、わずかにしか聴けませんでしたが、それも楽しみの一つではあります。

 いつものように、疲れきってアンコールはありませんと最後の挨拶があって、終了しました。 楽しいひと時でした。


半身浴と座禅と臍下丹田の関連は何か

2013-10-19 07:58:53 | 座禅

 私が生まれて初めて、胡坐を組んで座禅(静功)を行ったのは、今から15年前ほどでしたが、たまたま、その1年ぐらい前から半身浴を行っていました。

 従っていつも、お風呂に入って半身浴をして、汗をいっぱいかいてから、寝る前に座禅を行っていました。 隣の部屋では、家族がテレビを見ていましたが、真っ暗闇の中で、ひたすら長く吐く呼吸に、体の中へ吐く呼吸に、体の中へ入っていく息を追うようにして、そのことだけに意識を集中して、1時間座っていました。

 私の我流の逆腹式呼吸は、一般的な呼吸法とは違います。 深呼吸の要領で大きく息を吸ってから、出来るだけ長く吐く呼吸です。 呼吸法には様々な方法があるようですが、どういう訳か上記のような呼吸を、自然と行っていました。

 後から考えてみると、一般的な腹式呼吸は、肺の動きと下腹の動きを一緒に同期させるようにしますが、私は同期するのは体の生理的な自然の動きではないと、感じております。

 「空」の理念で、はじめに肺からと下腹の丹田から、同時に吐きだします。 息を吸うときには下腹の丹田も吸います。 私は自分の体験から、肺で息を吸うときには丹田は気を吐き、息を吐くときには丹田は気を吸うと思っております。 胸の動きと下腹の動き、でっこみひっこみを見れば、よく分かります。

 私は半身浴を行って、十分に下腹の丹田を温めてから、いつも逆腹式呼吸を伴いながら、座禅を行っていたことになります。 体の中へ吐く息は、イメージで下腹の丹田に向けて吐いていました(丹田がどこにあるか分からないので、どこだどこだと思いながら)。

 半身浴で事前に丹田が温められ、活性化しやすい状況を作っていたのではないかと思われ、結果的に1ヶ月半で、自発動(気が充実し勝手に動くこと)を伴いながら、下腹の臍下丹田が活性化し、心臓のように鼓動を始めたのではないかとも思っております。

 人によって気を感じやすい、感じにくいということがあるようですが、上記のようなことを実践していけば、誰でもが臍下丹田は活性化してくるのではないかと思っております。 ただし、心を磨いていないと、そうはならないかもしれません。 決して私自身が清廉潔白というわけではありませんが、宇宙の叡智は、人となりを天から見ているような気がしてなりません。