ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

半眼での坐禅を始めてー中間報告

2008-09-30 16:44:19 | 坐禅
 私が初めて坐禅(静功)をはじめた時には、真っ暗闇の中で1時間胡坐を組んでの、ひと時でした。 当然のように目を閉じて、坐禅を行っていました。

 10年近く目を瞑って胡坐を組んでいた身にとって、半眼にしなさいとのお寺のお坊さんに言われたときには、ちょっと抵抗がありました。 目を瞑ることによって、吐く息だけに意識を集中していた者にとっては、目を半眼にすることにより、なかなか意識を集中できるものではありません。

 そうはいっても、禅宗の坐禅の作法では、半眼にしなさいという決まりごとがありますので、半眼にしなければならない理由について、自ら実践することによって、その意味を見出そうと、あえて半眼で座禅をしています。 禅宗のサイトを見ても、何故、半眼にしなければならないのか、示されてはいませんので。

 半眼で凝視するのではなく、目をうつろな状態にすれば、呼吸だけに意識を集中することは、可能なようです。 それでも坐禅をしながら、半眼の意味を雑念の中で考えている日々です。 半眼にすることを優先するのか、目を瞑り意識を集中することを優先するのか、まだまだ私には分かりません。

 今日は、目を瞑るとまぶたに力が入らないか、半眼にしたときにどのように意識を集中できるかなど、一人静かに坐禅をしながら、楽しんでいます。  

雑木林ー里山の保存を考える

2008-09-28 12:10:37 | 自然
 早朝のお寺での坐禅会のあとのお茶会で、薪でお湯を沸かすと、柔らかくなるという話がでました。 土鍋でご飯を炊く話も出ました。 その中で、薪ストーブを使っている方が、その調達の大変さを述べていました。

 お寺の裏山の雑木林の手入れが、結構大変だという話の過程で、雑木林は樹木の更新ー間引きをしていかないと、里山としての保存はできないという方丈さんの話。 それまで雑木林は、ほっとけばそのままで良いのではと思っていたので、結構その維持については、手間隙かかることを、改めて分かりました。

 大きくなった樹木の根元から切り倒し、また新たな芽が出るようにします。 ならやぶななどの雑木林の葉が、十分乾燥した上で堆肥になるように、日が当たるように間引きしなければならないとのこと。

 最近では、灯油の値段が上がってきたため、薪ストーブの需要が増えつつあるといいます。 でも、その調達には、いつも苦労しているとのことです。 お寺の裏山の雑木を、どうぞお使いくださいという話まで、発展していきました。 ちょっと涼しい朝の、さわやかなひと時でした。

チヨさんの蕎麦を食う会

2008-09-27 17:02:34 | 自然
 知人のお母さんが90数歳で亡くなったという知らせが、今朝連絡がありました。 私の母より数えも入れて2歳年上でした。 ちょっと前までは、誕生日の前後に、正月を過ぎた2月ごろに、チヨさんの蕎麦を食う会という名目で、関係者が集まり、最後には必ず蕎麦を食べるというのが、決まりごとでした。

 近所の方が2人で駅のそばに共同で建物を建て、2月にはチヨさんの蕎麦を食べ、夏の8月には、もう一軒の家でビールパーティーを開くというのが、恒例の行事になっていました。

 10数年続いたところで、高齢になったことや、準備や後片付けが大変だということで、現在は行われなくなりました。 チヨさんの蕎麦を食う会は、たいていの場合、朝方まで宴は行われることが多く、楽しみの一つでした。

 夕方の6時ごろから始まり、朝の4時から5時ごろまで続くことが多く、自分達が年を取るとともに、疲れが残るようになってきました。 チヨさんを中心にした家族の方々には、みんなを温かく受け入れる雰囲気があることも、みんなを引き寄せることになったようにも思います。

 ご飯を食べたり食べなかったりするようになったと聞いていましたが、高齢になるとご飯を食べることの意義が、改めて感じられます。 天に還って、きっと私達を、やさしく見つめているに違いありません。 合掌。

改めて寝ながらの逆腹式呼吸

2008-09-25 19:10:39 | 逆腹式呼吸
 低い枕を敷いて上を向いて寝ます。 両手は下腹にそっと置きます。 親指をお臍の上になるようにして。 目を瞑り口を閉じて、鼻だけで呼吸をします。 大きく吸って、ゆっくり10秒以上かけて吐きます。 吐くときには鼻で息を吐くことを忘れ、体の中へ吐くようなイメージで、吐いていきます。

 胸式肺呼吸で肺に入った息を、体を通して足の裏から吐き出すようにして、吐いていきます。 全部吐ききりつもりで吐いていきますが、全部吐ききると苦しくなりますので、そのちょっと手前で、また息を大きく吸います。 できれば、足の裏から吸うようなイメージです。

 
 大きく吸って、ゆっくり吐く、その呼吸の繰り返しでよいのです。 足の裏から吐き出したり、吸ったりする感覚を実感するために、足を布団から出して行うと、比較的感じやすくなると思います。 このところ、少し涼しくなってきましたので、足をそっくり出してしまうと、冷えてしまいますので、足の裏だけが布団外の空気に触れるようにしたほうが、よいかもしれません。

 息を吐くときには、息が体の中へ入っていくのを実感するために、息音を立てるようにして、息を吐いていくのがコツです。 何度もこの呼吸を行っているうちに、いつの間にか眠ってしまいます。

 坐禅の時の呼吸に慣れるためにも、寝ながらの逆腹式呼吸を、毎日行うように癖をつけてしまいましょう。

 私自身は、今では寝ながら胎息(肺呼吸を伴わない気の呼吸)を行い、もっぱら足の裏から宇宙の気を吸って、楽しんでいます。 足を丸々出していると、どうもトイレに通う回数が増えてしまうようです。 冷えてしまってです。

自己免疫力がつくのは分かっているんですがー逆腹式呼吸

2008-09-24 16:00:30 | 逆腹式呼吸
 胸式肺呼吸から逆腹式呼吸へ、逆腹式呼吸から胎息へ呼吸法が変化するにつれ、逆腹式呼吸や胎息が、自己免疫力を高めるのは、自然と理解してきます。 私達が体の調子が悪くなると、何故、鍼とか灸をやるのかが、分かってくるからです。

 体のある部分の調子が悪くなると、その部位に関係する経穴(気の通りを調節する弁)-ツボに、鍼とか灸を施術して、刺激を与えその気の通りをよくする事によって、関係する部位の調子をよくする関係が、分かってくるからです。

 逆腹式呼吸を行うことによって、自然と体は改善の方向に向かっていきます。 呼吸法を伴いながら坐禅を行い、体の仕組みも自然と理解できるようになります。 そんな良い逆腹式呼吸を、体の具合の悪い方にお話をし、お金もかからないし、自分の意思があれば、自己免疫力がつきますよ、といったところで、宇宙の気は目には見えませんし、素粒子としての気は、まだまだ解明されてないことばかりです。

 それをいきなり、逆腹式呼吸をやって見ませんか、といったところで、話された相手も、ああそうですか、と聞くだけで終わってしまうのが常です。

 今の西洋医学は、ガンなどの医療方法についても、抗がん剤はガンには効かないと分かっていても、とりあえずの対症療法ないために、仕方なく抗がん剤の使用を続けているとしか思えません。 

 私からもらえれば、病院食をゲルソン療法の食事療法にしてしまえば、どれだけガンに対して効果があるか分かりません。 けれども、保険点数の関係で、認められず、普通の食事しか出せません。 あくまで栄養学からだけの食事です。 今の医学界では、食事の仕方でガンが治るなどという発想はありません。 

 私自身は、ガンの対策とひとつとして、ゲルソン療法は有効な方法だと、確信しております。 自分でよいと思っても、なかなか多くの人の認知は、難しいものがあります。 それは、病気になればお医者さんに頼り、手術をし薬を飲めば治ると思っている方が、大部分だからです。

 何故、そのような病気になったのか、その原因を突き止め、その原因である生活習慣、食習慣などを直そうと、努力しないからです。 病気になったときに、謙虚に反省し、その病気に向き合おうとしない限り、人から何かを言われても、なかなか素直に聞けない人が、多いのかも知れません。 

 いつも悔しい思いをしています。 一声がなかなか、かけられないからです。

ひたすら坐禅をしながら汗をかく

2008-09-23 13:24:50 | 座禅
 毎日、坐禅をする時間は、決まりかけています。 一眠りした夜中の1時ごろに、目が覚めます。 秋の涼しさを感じる季節になってきています。

 トイレで用を済ませた後で、布団の枕をお尻に敷いて、早速坐禅です。 半跏趺坐で座り、手は法界定印で手を組みます。 目は瞑ったほうがよいのですが、月に2回参加するお寺のお坊さんから、半眼にしなさいと言われて以来、極力、半眼にするようにしていますが、周りは暗くても意識は集中しにくく感じています。

 呼吸法は、逆腹式呼吸ではなく、肺呼吸を伴わない胎息という気の呼吸です。 体の中を駆け巡る気の動きを楽しみながら、ひたすら坐禅です。 特に脳を刺激する気の動きを、楽しんでいます。 このブログでは、坐禅時間を45分から1時間の坐禅時間が必要と話していますが、私も1時間は相変わらず続けています。

 脳を刺激すると同時に、脳の状態がシーンとするような雰囲気になってきます。 体は坐禅の姿で静かにしておりますが、体の中の気は臍下丹田から発した気は、上体を1周する小周天を、繰り返しています。 上体の経穴(気のツボ)は開きます。 

 すると、ひんやりと涼しいはずなのに、汗をかきはじめます。 特に後頭部の襟足あたりが、びっしょりと汗でぬれます。 そんな毎日を楽しんでいます。 

食べ物を何故自己生産自己消費しないのか

2008-09-22 09:09:20 | 社会・経済
 中国で生産された粉ミルクのなかに、含有たんぱく質を増やすために、有害なメラミンを混ぜて売っていたという。 中国国内で、乳幼児が飲んだために、死亡者までが出る騒ぎになっている。

 びっくりしたのは、私達日本にも輸入され、使われていたということです。 さまざまな加工食品に使われていました。 最近の中国を見ていると、食品の安全については、なんでもありということが、感じられます。 

 農薬汚染がひどい野菜類は、最近になって安いからといって、飛びつかなくなりましたが、餃子のような加工食品は、どこで何が混入されているか分からない状態になっています。

 30数年前に参加していた消費者運動の時には、消費者と生産者の顔の見える関係で、取引をしようということに取り組んでいました。 今でこそ、食品スーパーの売り場で、生産者の顔が掲示されていますが、お互いの信頼関係のなかで、さまざまな取引をすることが大切です。

 儲かれば何でも有りの社会情勢の中で、改めて基本に立ち戻る必要を感じます。
私達の食べるものは、自分達で生産し、自分達で消費するということです。

父は31年、母は2年経ってます

2008-09-21 08:27:15 | 家族
 昨日は娘を入れて3人で秩父まで、両親のお墓参りに行ってきました。 墓石を洗いながら、改めて父がいなくなってから31年経っていることを知りました。 最低でも62回は、お墓参りをしていることになります。

 最近では、子供達もよほど早くから、予定を言っておかないと一緒には行けませんが、それでもお墓参りは行くものだと思っているようです。

 ワンカップのお酒を置いて、お花を途中の道の駅で買ってきて、お墓を清掃してから、お線香をあげてから火が消えるまで、墓石の前で過ごします。 火が消えるとまたきれいに清掃してから、一礼して帰ります。 1時間ぐらいはそこで過ごします。

 31年前に見た秩父の山は、石灰を切り出すために、だいぶ削られてしまっています。 墓石のそばの百日紅の木も大きく育ち、山の斜面の梅の木も、大きく育ってきています。 いつも間にか、彼岸花の群生も見られるようになりました。

 お墓参りも、自分の生活サイクルに組み込まれています。 子供達も知らぬ間に、受け継いでくれるかしらとも思います。

知人から気功を教えて欲しいと申し出があり

2008-09-19 19:09:11 | 座禅
 先日、何かと私を支援してくれる知人から、仕事の打合せの後で、気功を教えて欲しいと依頼がありました。 勿論、すぐにいいですよとの返事。 私の座禅は、元々は気功の静功からの出発です。 気功であっても、禅宗であっても、座禅には代わりはありません。

 吐く息をゆっくり吐きながら、呼吸をリズムよく、滑らかに出来るようにし、意識を呼吸だけに集中しながら、静かに座禅を行う。 この過程で私たちが本来持っていた気感を取り戻し、体の中を循環する気を感じることにより、様々なことを感得するのです。

 初めが肝心で、座禅時間は1時間行います。 お線香が消える時間でと、お寺ではよく言われますが、私には何故30分なのか、理解に苦しみます。 ほんとに座禅のことが、分かっているのかしらと、思うことがあります。

 45分から1時間しないと、体の中の気は滑らかになりません。 30分では肩慣らしでしかないのです。 座禅仲間の友人には、いつもそのようにいって、1時間の座禅時間を勧めてきました。 座禅仲間のひとりは、その甲斐あってか、玉沈関と百会が心臓のように鼓動を始め、活性化しました。 私が話す前は、いつも30分で止めていたのです。 脳を優しく癒してくれる感覚も、感得出来たようです。

 気を感じる気感は特別なものではなく、吐く息をゆっくり吐き、無意識に行っていた呼吸を、意識することによって、本来の機能を取り戻したに過ぎないのです。 私たちは、お母さんのお腹の中にいたときには、みんなが気を感じ、胎息という気の呼吸を行っていたのです。

 ものの本によれば、呼吸法のやり方は、師から弟子へ口承により伝えられてきました。 私はあえて、自分自身が座禅する中で、感じたことや呼吸の仕方、座禅のやり方について、ひとりでもよいから伝えたいという願いを持って、このブログを書いてきました。 呼吸を、座禅を楽しんでください。

あらゆることを楽しむ、楽しもうとする

2008-09-18 21:06:19 | 自分
 今朝6時に家を出て、3時間車に乗って、蓼科まで仕事で行ってきました。 あいにくの雨模様で、緑や空気を一杯に満喫することは出来ませんでしたが、鹿がごそごそ出てくるような雰囲気のある所でした。

 取り立ての生まれて初めて食べる生のブルーベリーを、ご馳走になり、とても幸せな気分になってしまい、帰りには楽しい一時をありがとうございましたと、挨拶をして帰りました。 そんな姿を見て、相手先からブルーベリーのお土産を頂きました。

 私は、いつも何事にも、楽しもうとするように心がけています。 嬉しいことであれば、自然と笑みがこぼれてくるものですが、困難な、苦しいことであっても、それをあえて楽しむように、心がけてきました。 いやなことは、本音としては避けたい所ですが、逃げていては問題解決にはなりません。 その困難さを楽しむのです。

 いつも、どんなことでも楽しもうとしていると、大抵のことは、受け止められ、楽しむことが出来、最後は感謝の言葉が出てきます。 ありがとうと。 

 いやな話は、誰が聞いても面白くは感じません。 苦しさや困難さは、自分の生活サイクルの中で、吸収してしまうのです。 私自身は、ストレス等というものは、感じたことがありません。 いつも明るく前向きにしていれば、物事はいつの日か好転するものです。 悪くなるときもあれば、必ずや良くなることもあるのです。

 どんなことでも楽しもうと努力していれば、何ものも怖いものが無くなります。 いつも楽しんでいれば、感謝の気持ちが自然と沸いてくるのです。 楽しんでください。