ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

下腹にある臍下丹田が動くとき

2010-10-30 08:44:16 | 座禅

 私は10数年前に座禅(静功)を行うまで、臍下丹田と言う言葉すら、知りませんでした。 吐く息を無我夢中で、何も分らないままに、ひたすら暗闇なの中で、1時間体の中へ吐いていました。

 ものの本により、下腹あたりに臍下丹田があるようだ、としか分かりませんでした。 吐く息を体の中へ吐きながら、下腹のどこにあるのだろうと思いながら、ひたすら出来るだけ長く息を吐いていました。

 生まれて初めて座禅を行ってから、1ヶ月半位経った頃に、第3者的に上斜めから下腹を凝視するイメージをしながら(相変わらず臍下丹田が何処にあるのか分らないままに)、吐く息を長く体の中へ吐いていた時、突然、下腹の臍下丹田が、自発動という形で心臓のように、鼓動を始めたのです。 自発動(気が勝手に動いてしまう様)は体の気が充実したときに、突然起こるようです。

 びっくりするもの、普段から気の動きに任せ、自然の摂理に従う気持ちを持つように心がけていましたので、ゆっくりと胡座の姿勢を解き、布団の上で静かに上を向いて寝て、その動きの感触を楽しみました。

 30分以上続いた後、今度は足の太ももに鼓動する箇所が移り、また暫くすると足のかかとに鼓動は移って行ったのです。 それ以来、下腹の臍下丹田はいつも鼓動は続けています。 心臓の鼓動は感じなくとも、臍下丹田の鼓動はいつも感じるのです。

日常的に肩の力を抜く

2010-10-29 09:33:23 | 座禅

 座禅を始めてから一番最初に気をつけたことは、肩の力を抜くということです。 私達は自分でも気がないうちに、肩に力が入っている場合が多いのです。

 私は普段から肩に力が入ることは滅多にないのですが、話に夢中になっていると、気がつくと肩に力が入っていることがありました。 そんなときは、肩を震わせて力を抜くようにしました。

 肩に力が入ってしまって、肩が凝るということは、今まで殆んどありませんでしたが、座禅を始めてからは、いつも肩に力が入っていないかどうかを、気をつけるようになりました。

 肩の力を抜き、いつもリラックスしていることは、とても大切なことなのです。

座禅を楽しむー光に包まれ自らも光輝く

2010-10-27 09:45:33 | 座禅

 吐く息を出来るだけ長く吐きながら、光のイメージをしたときには、体に微妙な変化を与えることを知ります。 光は私達に特別なものを、感じさせてくれるようです。

 水平線から上る朝日を思い浮かべます。 穏やかな温かみのある光です。 そんな光をイメージしながら、吐く息をできるだけ長く吐きます。 その温かみのある日の光を浴びて、とても良い気分になります。

 しばらくしてから、その光のなかに自分自身が入っていき、光に包まれます。 光の放射を全身に浴び、とても気持ちがよくなります。 次に、今度は自分自身が自ら、光り輝くようにイメージします。

 このイメージを吐く息を出来るだけ長く吐きながら、何度も何度もくり返します。 私達はそこで微妙な体の変化を、感じることになります。

座禅を楽しむー蓮の花の上で胡座を組む

2010-10-26 09:50:31 | 座禅

 吐く息をできるだけ長く吐き、吐く息をイメージで体の中へ吐き、体の中へ入っていく息を追うようにして、意識を集中出来るようになったならば、そのような呼吸が当たり前のようにできるようになれば、今度はまた違ったことを、イメージしながら胡座を組んでみます。

 お寺でお釈迦様や観音様が、蓮の花の上で座っていたり、立っていたりするのを、見かけることが出来ます。 私達も思い切って蓮の花の上で、座禅をする姿をイメージしてみます。

先ず写真などで、淡いピンクの大きく咲く蓮の花をイメージします。 吐く息をできるだけ長く吐きながら、自分自身が蓮の花の上で、あぐらを組み座禅する姿を、思います。 息をゆっくり吐く度に、イメージします。

 何度も行っているうちに、自分自身の体に、微妙な変化が表れます。 何故、そうなるかはよく分かりませんが、泥の中から綺麗に咲く蓮の花に、何か意味があるようにも感じます。

座禅を楽しむー無になる・無になろうとする

2010-10-25 08:13:45 | 座禅

 意識を一点に集中することにより、雑念を忘れ「無」とか「無心」の状態をつくります。 数をひたすら数える、長く吐く息だけに意識を集中することでした。

 ここでは、ひたすらゼロに近づく「ゼロの概念」から、無になる、無になる境地をつくることを考えてみます。 

 私達はテレビの映像から、宇宙ステーションから見た地球を思い起こします。 大きく丸く見える地球。 青い海と茶色く見える大地、白く見える雲も見えます。 大きく見えた地球から次第に離れて行きます。

 あれほど大きく見えた地球も、バレーボールぐらいの大きさになりました。 更に離れていきソフトボールの大きさになりました。 更に離れて行きますとピンポン玉の大きさになりました。 更に離れて行きますと点にしか見えません。 更に離れて行きますと、もう殆んど何も見えず、気がついたら大宇宙の中で自分一人しかいません。

 繰り返し、そのように吐く息をできるだけ長く吐きながらイメージしていきますと、耳がキーンとしてきます。 広大な宇宙に、けし粒ほどの大きさしかない自分の存在は、殆んどゼロに近い存在にしか見えません。 これが無になる・無になろうとするイメージです。 また宇宙を感じるひとときでもあります。

座禅を楽しむー体の微妙な変化を楽しみながら

2010-10-23 10:22:20 | 座禅

 生来、意識しなかった呼吸を意識し、吐く息をできるだけ長く吐き、吐く息をイメージで体の中へ吐き、体の中へ入っていく息だけを追うようにして、意識を集中しますと。自然と体に微妙な変化を表します。

 あぐらを組み、静かに暗闇の中で、吐く息だけに意識を集中することによって、今までは感じられなかった感覚になります。 体の中へイメージで吐く息を吐くことによって、私達に目には見えませんが、鍼とか灸で知られるツボ(気の通る道にある気の調節の弁)の存在を知り、体の中を流れる気の感覚を知ることになります。

 イメージで吐く息を体の中へ吐くことによって、自分がイメージするように体の中に存在する気が動き、身体全体をコントロールすることを知るのです。 自分が悲観したり消極的な気持ちになれば、身体もそのように動くことを知ります。 ですから、決して後ろ向きな考えを持ってはいけない、いつも前向きに、明るく、建設的な気持ちでいることの、大切さを知るのです。

 イメージで体の中へ息を吐くことにより、皮膚のすぐ裏側に流れる気の動きを知ります。 気の通り道である経絡は、神経の線に沿って流れているといわれ、背中の背骨と皮膚が近接する部分や、頭皮と頭蓋骨が近接する部分で、私達は体に影響を与える気の動きを、感得するのです。

 その微妙な動きを静かに感じながら、ひたすら座禅を行うも、未だに私自身は、楽しいのです。 座禅を修行だというのは、お坊さんだけに任せて、私たち凡人は、座禅を楽しんだほうがよいのです。 事実、私は座禅が楽しいので、毎日そのひとときを楽しんでいるのです。 深夜の1時間の座禅を。

座禅を楽しむー自分の生活のリズムで行う

2010-10-22 15:18:41 | 座禅

 私はお寺で参禅するのは、あくまで座禅を行うきっかけであって、自宅で行うのが一番よいと思っています。 私達はいつも毎日同じような生活を送っているわけではなく、生活のリズムは違ってくるのが、一般的です。

 いつも決まった時間に座禅を行うということに、こだわることは一切ありません。 むしろ自分の生活のリズムのなかに、座禅を取りいれたほうが、楽ですし無理がありません。

 深酒をして家に帰るのが、午前0時を過ぎてしまいますと、さすがに座禅を行なうことは無理です。 お酒のアルコールが分解して、水とアセトアルデヒドになるのですが、そのアセトアルデヒドが体の内部で、悪さをしているようでもあります。 普通の体に回復するには、昼過ぎまでかかります。

 寝る前に座禅を行うときには、無理をせず眠たいなあと思ったら、さっさと止めます。 座禅を行う前には自分自身の体の調子は、わかるはずですので、一歩から胡座は組みません。

 決して無理をせず、自分の体調を考えて座禅を行うのが、長続きする元です。 長く吐く息に意識を集中できれば、もうこっちのものです。 眠くなったら、一眠りして行うか、朝早く起きて行うか、自分の判断で胡座は組めるのです。 自分の意思さえあれば。

座禅を楽しむー体のあらゆる部分の力を抜く

2010-10-21 07:45:52 | 座禅

 上体を直下のお尻で受け止め、両ヒザで転倒しない程度に床に接します。 禅宗ではお尻と両膝の3点で、上体を維持しなさいとありますが、私は3点で維持すると、両ヒザにも力がかかりますので、長く座禅を行おうとするときには、よくないと考えています。

 肩の力を抜き全身をリラックスさせます。 上体は天から引っ張られるような感じで維持します。 姿勢をよくしようとして、体を反らせると筋力が働きますので、よくはありません。

 手印は両手を上下に合わせてもよく、法界定印という親指を先端で合わせる手印の場合は、先端の親指にも力が入ってはいけません。 眼も力を抜く必要があります。 曹洞宗では眼を開けながら、力を抜いた状態にするという高等技術が必要です。 臨済宗・黄檗宗では、眼を薄めの状態で半眼にし、力を抜くことが必要です。

 私は長く暗闇の中で座禅を行っていましたので、半眼にするとか眼を開いた状態にするとかを、長い間、意識したことがありませんでした。 私自身は改めて力を抜くと観点から、力が抜けてくると自然と半眼になると思っております。 半眼にするのではなく、半眼になるという考えです。

 見える部分で力を抜くだけでなく、体の内部のあらゆる部分、細胞に至るまで力を抜く、抜いていくという感覚が、必要ではないかと思っております。

座禅を楽しむーより集中できる暗闇の中で行う

2010-10-20 14:20:50 | 座禅

 私はいつも座禅をする時間は、夜寝る前か、深夜か、早朝かのいずれかで行ってきました。 部屋を暗くして行なうことが多く、眼を半眼にするとか、目を開いた状態で胡座を組むということは、近くのお寺で参禅するまでは、意識することはありませんでした。

 隣の部屋で家族がテレビを見ていて、その音が聞こえる中でも、意識を集中すればよいという考え方で、座禅を行ってきました。 静かであることに越した事がありませんが、多少の音が聞こえたとしても、暗い中で行えば、意外と意識は集中できるものです。

 今では寝る前に行って、また早朝に胡座を組んだりします。 早朝といっても未だ暗い状態です。 カーテンさえしておけば、部屋の中は暗いです。

 坐禅は、いかに意識を集中できるかが、長続きするかの鍵になります。 足のしびれも首の凝りも、慣れてしまえば何のことはありません。 ただ坐っている座禅が楽しいのですから、他のどんなことでも楽しくなるはずです。

座禅を楽しむー先ず集中力を高める

2010-10-19 08:21:18 | 座禅

 坐禅というと誰もがすぐに、無心になるんですか、といいます。 無心、無欲に簡単になれれば、どうということはないのですが、そうは問屋がおろしません。 無心になる前提として、まず雑念が起きないように、意識を集中することが必要なのです。

 意識を集中する方法として、ひたすら数を数える数息法と、ひたすら吐く息に集中する方法があります。 友人は数を数えながら、ひたすら歩いたという方がおります。 私は数息法を行ったことがありませんので、ここでは吐く息に意識を集中するやり方を記述します。

 私達は生来、呼吸を意識することはありませんでしたが、特に吐く息を意識することによって、意識は集中できます。 吐く息をできるだけ長く吐きます。 全部吐ききろうとしますと苦しくなりますので、そのちょっと手前で止め、また大きく息を吸います。

 吐く息はイメージで体の中へ吐きます。 吐く息が体の中へ入っていくのを実感するために、息音が聞こえるように吐きます。 体の中へ入って行く息を追うようにして、意識を集中します。 喉から気管支を通ってお腹から下腹の臍下丹田にいく息を、追うようにしてゆっくり吐きます。 

 上記のようにやってみれば、意識は吐く息だけに集中できることが、確認できると思います。 実践してみてください。