ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

多摩センター駅前に巨大分譲マンションができる

2006-03-31 18:05:45 | 社会・経済
 多摩ニュータウンの玄関口である駅前の一等地に、民間の分譲マンションが出来ようとしています。 本来の計画では、住宅としてのマンションは建たないことになっているところです。
 景気の不透明感の中にあって、長い間、事業者の進出も無く業務用地として空き地になっていた一等地にです。 地元の市でも住民の高齢化による住民税等の市税の減少を食いとどめるべく、用地所有者の公団(都市再生機構)に対して、OKのサインを出したものと思えます。
 一応、低層階は事務所等の業務施設が入る格好を取っておりますが、どうも付け刃的な感じがしてしょうがありません。 いくら景気の動向が左右されるといっても、街の景観としては、それであれば初めから住宅と業務施設が、渾然一体となった計画をすべきではなかったのかなと、思えてなりません。
 1年前にもそごうの物流センター跡地に、巨大な分譲マンションが出来たばかりです。 新住法という法律に縛られていたそうですが、法律はいかようにも変えられたはずです。 何か、駅前の一等地にそびえる巨大マンションを見るにつけ、納得がいかないものを感じます。

いじめられながらも育つ桜の木

2006-03-30 09:07:42 | 自然
 いよいよ桜の花も満開になり始めました。 私達の周りにある桜の木は、川沿いにあるか駅前のとおりにあるかです。 川沿いにある桜の木は、狭い4m道路と河川管理道路(遊歩道)に囲まれ、巾が1mのところにあります。
 時々、道路も河川管理道路も補修工事をしますので、道路下に根を張った桜の木も、結果的にはいじめられることになります。 道路側には電線が走っていたり、建物などがありますので、東京電力などがきて時々、枝払いなどをしていますので、桜の枝は自然と川側に延びることになります。
 枝の先が、自然と水を求めて伸びていくのか、年々川側の下のほうに垂れ下がっていきます。 1mの巾の土が見えるところは、所狭しと精一杯、根を張って縁石をそこのけとばかりに、押しのけています。 このところ、ちょっと寒いですが、昼間はそぞろ歩きする方も、多くなってきている今日この頃です。
 

子離れしない親ばか

2006-03-29 19:03:59 | 自分
 私には、30歳を過ぎた子供がまだ我が家におります。 異性の友人がいるのか居ないのか分かりませんが、いまだに家に友人を連れてくる事もありません。
 自分自身は、23歳で結婚し28歳で長女が生まれ、2年後に長男が生まれました。 月並みにおしめの交換もしましたし、なかなか寝ないので、深夜におんぶをして寝付くまで散歩に出かけたこともあります。 どちらかというと猫可愛がりするところがあり、今でも顔をぺろぺろと舐めたくなったりします。
 親の姿を見て子供は育つといいますが、そんな気持ちでいつもいました。 ところが、肝心の自分を見てもらいたいときには、まだ子供も小さく、その後の自分のだらしなさを、大きくなった子供が見ることになってしまっています。
 今や、私は我が家ではダメ人間の典型になってしまい、安住できる居場所すらありません。 自分はいつもこうありたいと願うこともありますが、年とともに意欲が減退し、自分の意とは反対に、人様に迷惑をかけることが多くなってしまうのが現実です。
 生まれてから、変な影響を与えない限り、子供の表現力は素直でのびのびと豊かで、目を見張るものがあります。 自分の子供は、出来るだけそのように育つように心がけてきたつもりですが、いまだに素敵な伴侶が出来ないのは、とてもさびしいことと感じています。 出来ることなら、子供の家族も含め複数の家族が一緒になって暮らしたいなとも、思っている今日この頃ではあります。

桜の花が満開になりつつあります

2006-03-28 09:06:32 | 自然
 桜が咲く季節になると、いつも自然と口から出てくる言葉があります。 飛鳥山の桜がほころび、森羅万象、春の喜びが溢れている今日この頃、私達一年生が入学できましたことは、大変喜ばしいことであります。云々。
 都心の小学校から都北部の中学校に入学する時に、どういうわけか新入生を代表して挨拶をせよと、担任の先生から前日に言われ、どうしたものかと家に帰ってから母に相談したら、母が原稿を作るといい、それをそらんじて挨拶をしなさい ということでした。
 引っ越したばかりで友人もいなく、紙を見ながら読み上げればどうということはなかったのですが、たどたどしく文章の意味も分からないまま、挨拶をしました。 今になって、そのあいさつ文が鮮明によみがえり、はっきりといえるのです。
 咲き始めて1週間から10日ぐらいで、可愛らしい淡いピンクの花を咲かせて、散ってしまう桜の花は、日本らしさの季節感を表す一番ぴったりの花と感じます。

泳げなくてもダイビングはできる

2006-03-27 09:30:52 | 友人
 先日、15mも泳げない人が、スキューバーダイビングが好きで、沖縄の海や海外の海に潜るという話を聞きました。 海に浮くことは苦手だけど、沈むのは得意ですと言います。
 酸素ボンベを担いで、20数mをもぐると言います。 きれいな海に潜るというのは、なんとも言えぬ感覚があるようです。 考えてみれば、私達はこの世に生まれる前は、お母さんの胎内にいて羊水に包まれていたわけですので、水の中にもぐるという行為は、ごく自然なことなのかも知れません。
 海にもぐり潜水すると、耳がキーンとしてきます。 これが脳にいい影響を与えるようで、様々な発明をした中松義郎氏も、一日一回泳いで潜水し、発明のヒントがひらめくといいます。 泳げないながらもダイビングをしている方が、私に話してくれたのは、やはりダイビングすると耳がキーンとするということです。
 座禅(静功)を行う場合でも、暗い中、静かに呼吸しながら、無限の宇宙とか光とかをイメージしながら行うと、同じように耳がキーンとしてくるから面白いです。 耳がキーンとなる現象は、私達に何らかのよい影響を与えてくれているのかも知れません。 また、宇宙の何かに繋がるようなものが、脳に刺激を与えてくれているのかも知れません。

平和を我らに ジョン・レノン

2006-03-25 12:49:27 | 文化
 1969年5月に行われた平和は愛からのデモストレーション 平和のためのベットイン の最中にそこに集まった人たちが、ジョンがベッドで歌い始めた繰り返し続く歌を全員で歌った曲が、どのようにして出来たかをテレビで放映していました。
 ベトナム戦争反対を比ゆ的に、ベッドの中から(愛から)表現しようとして7日目に、大勢の人々が参集し、皆で歌を歌って平和を求めようと始めました。 どうせ歌を歌うなら録音しようとして始まった歌は、繰り返し繰り返し簡単な同じような言葉で続いていきました。
 ドアを足で蹴りながら拍子をとる者、手を叩く者、そこいらにあるもので手当たり次第に叩いて拍子をとり、歌を歌いました。 そこで集まった方たちも,回想しておりましたが、ひげぼうぼうのジョンを中心にして(キリストのような風貌であったといいます)画面を見ていても、なんともいえぬ感極まるものがあったように感じられました。
 その 平和を我らに はジョンの息子さんによって改めて現代版に改められ、造られたそうですが、聴いていてもオリジナルなものには、遠く及ばないと思いました。                                    
 

登 大遊さん 筑波大学3年生 のこと

2006-03-24 11:42:44 | 
 先日、テレビで筑波大学3年の登大遊(のぼりだいゆう)さんを紹介しておりました。 米国のビル ゲイツを凌ぐ人になるというナレーションでした。
 大学内で自らの研究室を持ち(公募型で他にももう一人いるという)、IT関連の会社を経営しているといいます。 ウィンドウズの基本ソフトに変わるソフトを開発中ということでした。 新築した秋葉原の駅前ビルで、記念講演もこなし既に、数十回の各地での講演活動もいているということでした。
 素顔を見ると、聡明な感じのする若者で、大学近くの4万円弱のワンルームの住まいから通っていて、大学での寝泊りも多いようでした。
 ITの技術開発は、日進月歩というより、秒単位で進んでいる印象を受けました。私自身は、数年前から少しパソコンをいじり始めたばかりで、図面作成と文章作成ぐらいでやっとです。 
 登さんは、24時間アイデアが浮かんだ瞬間に、忘れないようにすぐパソコンに入力し、記憶のベースを広げているようです。 自分とはかけ離れた存在に思えますが、頼もしくも感じたしだいです。

風による塵埃ー風塵でありました

2006-03-23 08:41:46 | 自然
 先日、強い風が吹き、中国大陸からくる黄砂が吹き舞うような現象(又は杉の花粉)起き、景色全体がなんとなく汚れたように見えた現象は、風塵という現象であったというのが分かったのは、翌日のことでした。
 始めは、目の錯覚かなと思ったのですが、改めて目を皿のようにしてみても見える景色は、変わりませんでした。 報道では、とても珍しい現象だと話しておりました。
 杉の花粉が飛び交うこの時季には、特に気をつけており、朝晩の食事が終わると歯を磨くと同時に、口をうがいし、尚且つうがいを2回はするように心がけています。 顔も朝は勿論のこと、夜も洗うようにして目に付いた花粉を、意識的に落とすようにしています。
 手には種々雑多な雑菌が付いており、病院などでの院内感染の原因を作るということもあるようですので、手も頻繁にお湯で洗うようには意識しています。

杉の花粉の漂う中のお彼岸

2006-03-22 19:00:03 | 文化
 私の父は、次男坊ですので先祖のお墓はありません。 改めて父が亡くなった後に、母が遠方の霊園を買い求め、母が元気なうちは母と我が家の家族が、お彼岸になると墓参りに行くこととなりました。
 ひとつ上の姉は、義母がいなくなりましたので、だんなのほうのお墓参りをいたしますが、5歳下の弟は今は殆んどお彼岸になっても、重い腰を上げようとはしません。
 私がいなくなったら、子供達は私がいつもその時期になれば当然行くものだと思っておりますので、私のお墓まで足を運んでくれるものと思いますが、弟の所では、子供達がお墓参りを見ていませんので、どうなっていくのかと思います。
 昨日は、先ず吉野梅郷の梅を見て、普段お世話になっている方々のお土産を、紅梅苑でゆず入りのお菓子 柚子籠 を買い、一路秩父にあるお墓まで名栗経由で山を越えて行きます。 途中、道の駅にて、お花を買ったり近在の農家の方が持ち込む野菜などを買い込みます。
 父のお墓の前ではお線香が消えるまでは、その前で過ごします。 時間によってはその場所でおにぎりを食べたりしますが、最近では近くのファミリーレストランで食事をするのが常です。 ちょっと前までは余裕があったのか、青梅の沢井にある豆腐の会席料理で有名な ままごとや で豆腐料理と新酒のお酒をいただきながら過ごしました。
 片道2時間ちょっとの道のりを行き返りするのが、我が家のお彼岸の過ごし方です。 お墓参りすることで、初心に帰る という感じがいつもしています。

スーパー銭湯は楽しい

2006-03-20 10:03:20 | 文化
 湯沸かし器の調子が悪いこともあって、我が家では時々スーパー銭湯に行きます。 私は半身浴しかいたしませんが、浴槽に入るとすぐ茹で上がってしまうので、最近ではサウナを主体に入っています。 
 先ず、足湯のようなところに入ってから、おもむろにテレビ付きのサウナに入って、8チャンネルにすればよいのにと思いながら、4チャンネルのテレビを見て汗びっしょりになるまで、入っています。
 しばらく汗をかいた後で、水を飲んでから次なる薬草サウナに入ります。 サウナから出た後は、何回もお湯を体全体にかけます。 いよいよ椅子に座って頭、体と洗っていきます。 もうこの頃になると臍下丹田が動き始めて、心臓のようにごんごんと激しく動いています。
 足首の周りや体のあちこちの垢が溜まりやすい箇所をこすり、垢落としをします。 また、サウナに入ってテレビを見てなんとなく過ごします。 息子も一緒に入る時がありますが、肩を洗ってもらおうと思っても、いやだといって拒否をされてしまいます。
 浴槽も色々な種類があって、これで 平日550円(会員価格)であれば安いものです。 公衆浴場(一般の銭湯)が400円であることを考えれば、サービス全般からいって安価であると思います。 地域のコミ二ュケーションの場としての銭湯が、核家族が進む中で、違った意味での支持が得られつつあるのだな というのが分かってきます。