ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

座禅の基本は調身 調息 調心であると云うのですが

2018-09-30 00:59:44 | 座禅

座禅の基本は、調身(身を整える) 調息(息を整える) 調心(心をととのえる)です。 

調身は、肩の力を抜きリラックスして、胡座を組んで座り、上半身を頭のてっぺんを天から引っ張られているように、維持します。 上半身を垂直に保ち上半身の重力が、床に垂直にもなるようにします。

そのことによって上半身の重心は、上半身の垂直上にあり、床からの反力が上半身の垂直上にあり、上半身には力がかららない抜けた状態になります。 胡座を組んだ両膝は転倒しないように床に付けるだけで良いのです。

禅宗のHPに記載されている作法では、お尻と両膝の三点で上半身を維持しなさいとありますが、この方法だと三点の中心に上半身の重心が移り、力がかかって長く座禅を行うことは難しいのです。 これは物理の問題です。

調息は、長く吐く呼吸に意識を集中することによって、無心 無欲の状態を作り出していきます。 息を長く吐こうと思えば、はじめに大きく息を吸うのが自然です。 然し乍ら禅宗の腹式呼吸では、無の理念ではじめに息を吐き出し、同時に下腹の丹田からも吐き出します。

私は幸いにも、禅宗の腹式呼吸を知りませんでした。 ラジオ体操の時に行っていた深呼吸の要領で、はじめに大きく息を吸ってから、出来るだけ長く息を吐きます。 と同時に吐く息を自分自身で息音が聴こえるように、イメージで体の中へ吐き入れます。

この呼吸のあり方が、肺と下腹の臍下丹田の自然な生理的な動きに、合致するのです。 残念ながら禅宗のはじめに息を吐き出す呼吸法は、体の自然な生理的な動きには、逆らうような呼吸なのです。 このことを指摘する文章は、殆んど見かけることはありません。

調心は、字の通り心を整えます。 長く吐く呼吸に意識を集中することによって、雑念は湧くことは殆んどありません。 然し乍ら、私たちは人間ですから意識を集中しながらも、ふと雑念は湧いて来ます。

禅宗では、雑念は払いなさいと云いますが、私は長く吐く呼吸に意識を集中している時に、ふと浮かぶ雑念は考えて良いと思っております。 その時には不思議と、こう考えたらどうですかとサジェスチョンが得られるのです。

その積み重ねで、何を大切にしたら良いか、ものの考え方が構築されて行くように感じるのですが。

 


何故 ひとり座禅をすすめ るのか

2018-09-29 01:58:16 | 座禅

私はクラス会で会った大学の級友からの声かけで、参加費が高額であったため迷った挙句に、思い切って週1回の静功の会という、氣功の静かな功−静かに座り続けるを、生まれて初めて真っ暗闇の中で1時間、行ったのでした。

中国からの留学生が指導者でしたが、私は何も分からずに指導されることとは関係なく、深呼吸の要領で大きく息を吸ってから、出来るだけ長く吐く呼吸を行いながら、1時間を過ごしました。

その日から私自身は、毎晩、自宅で半身浴で入浴後に、家族が隣室でテレビを見ていて、その音が漏れ聴こえてくる中で、部屋を真っ暗にして1時間座り続けました。

ひとり座禅の良い点は、自分の日常的なペースで座禅が行えることです。 また必ずしも座禅を指導してくれる和尚さんが、本当の意味で座禅そのものを習得し、人にその良さを教えてくれるのか疑問があります。

最初の静功の会の指導者は、子供の頃から意念派と呼ばれる気功を習得された方でしたが、人にその良さを教えることについては、不得手であったように感じます。 私は2ヶ月で退会しました。 何故か。 それは私自身が我流で1ヶ月半で、下腹の臍下丹田が心臓のように鼓動を始めてしまったことです。

当初はイメージを主体に長く吐く呼吸を行いながら、胡座を組んで座り続けましたが、次第に無心、無欲を探求する座禅に推移して行きました。

こんな素晴らしい座禅を毎日、行なっている禅宗のお寺はないかと、ネットで検索してみたら近くの稲城にあり、月に1回、日曜日の早朝に参禅するようになりました。

その和尚さんは人格的には素晴らしい方でしたが、残念ながら座禅に関しては修行の域を脱してはおられない雰囲気で、座禅が終わってからの参禅者からの質問に対する答えが、ちょっと可笑しいのではと思われる点があり、そのことを私のブログに記載したところ、参禅者の一人が見つけて和尚さんに告げたようです。

間もなく和尚さんから電話を貰い、参禅しないように言われました。 勿論、ブログにもコメントを寄せて、猛烈に私のことを批判されました。 匿名ですが理解出来ました。 

必ずしも何処かへ行って、皆と一緒に座禅を行うよりも、ひとりで座禅を行う方が良いと感じたのでした。 但し胡座を組んでの姿勢のあり方や、長く吐く呼吸に意識を集中する方法で、正しいあり方で行うことが大切です。残念ながら禅宗のHPに記載されている方法は、必ずしも正しいとは限らないのです。

また座禅を行う心構えとして、自然の流れに委ね自然の摂理に従う気持ちを持つことも、非常に大切なことです。


ゴミを拾うではなく運を拾うという感覚でグラウンドのゴミを拾う大谷翔平選手

2018-09-28 03:11:38 | 文化

先日ネットの記事で、米国のエンジェルスで活躍する大谷翔平選手が、野球場のグラウンドのゴミを当たり前のように拾う意味について、書かれておりました。

私たちは、ただ単にゴミを拾うという感覚でしかありませんが、大谷選手の場合は、運を拾うという感覚で拾うと云うのです。

この考えは、花巻東高校から日本ハムに入団して、プロ野球選手として活躍していた時に、稲葉篤紀コーチ(現在は監督)から教えて頂いたようです。

私自身は道端にゴミが落ちていても、ゴミ入れの袋を持ち合わせていない、ゴミ袋を持って長く歩くことも出来ないなどと考えたら、ゴミを拾うことなど考えたこともありません。

改めて大谷翔平選手の、ゴミを拾うのではなく運を拾うという感覚を、見つめ直してみたいと思います。


かけた情けは水に流せ 受けた恩は石に刻め が座右の銘だという尾畠春夫さん

2018-09-27 02:14:37 | 文化

山口県周防大島町で行方不明になった2歳の男の子を、捜索開始から30分で発見したスーパーボランティアと呼ばれている尾畠春夫さんのニュースが流れた時に、世の中にこのような素晴らしい方がいらっしゃるのだと感動致しました。

大分県で鮮魚店を開いていたものの、65歳で辞めてボランティア活動を始めるようになったという。 軽自動車で被災地に出かけ、被災地の方々に迷惑をかけないように車内で自給自足の生活を行いながら、ボランティア活動を行なっておられます。

そのようなテレビ報道を見ながら、先日、情熱大陸というテレビ番組で、尾畠さんのことが取り上げられるというので、観てみました。

その中で尾畠さんは、「かけた情けは水に流せ 受けた恩は石に刻め」という言葉を、座右の銘として生きていると話されました。 改めて自分自身のこととして、考えさせらる言葉でした。

また小学5年の時に亡くなった母親のことを思い、母に胸の骨が折れるほど抱き締めて貰いたいと嗚咽しながら、語っておられる姿を見て、小さい頃に親の愛を受けられず感じることが出来なかったことを、改めて天に還ったその時に、抱き締めて貰いたいという強い気持ちを感じました。

尾畠春夫さんの素晴らしく、美しい人間性を感じさせて頂きました。 胸が痛くなりました。


子供を産んだ女性は胎児が胎内で気の呼吸を行なっていたので気を感じやすいのだが

2018-09-26 02:33:57 | 胎児

私は胎息という胎児がお母さんの胎内で、気の呼吸を通して成長して来たのではないかとの推測から、子供を産んだ女性は、男性に比べれば気を感じやすいのではないかと思っております。

私が長く吐く呼吸を伴いながらの座禅をとおして、ごく自然に気の存在を感じ、肺呼吸を伴わない気の呼吸−胎息を感得するに至り、自分の身近な女性たちに声をかけたところ、私の連れ合いが下腹の臍下丹田が、胡座を組んで長く吐く呼吸を行いながら座禅を行なったら、動いているのを感じたというのです。 最近も時々 感じるそうです。

連れ合いの姉で現在92歳の方は、10数年前に話をした時に、何か分からないけど下腹が動き、気持ちが悪いと話してくれました。 今も姪っ子に言わせると少しボケたようですが、元気なようで近い内に会いに行こうと思っております。 臍下丹田が動いているので長命なのではないかとかんじております。

友人の奥さんにも声をかけたところ、同じように下腹が動くのを感じると言うのです。 私は子供さんを産んだお母さんの多くが、自分では何やら下腹が動いているのを認識しないまま、生活をされているような気が致します。

胎児が胎内で10月10日の間、胎息という気の呼吸を行いながら成長して来ているので、それだけ気を感じやすいのでしょう。 勿論、そのお母さんも自分が胎内にいた時に、気の呼吸を行いながら成長して来た事実があるのですから。


昨日はひとりで秩父までお墓参りに電車に乗って行って来ました

2018-09-25 02:15:10 | 文化

何時も家族何人かで車で、父母のお墓がある秩父まで、春と秋の2回は行っておりましたが、皆んなが都合が悪く私一人で、お墓参りに行って来ました。

加齢と共に何度も何処かに車をぶつけてしまい、メンテナンスをお願いしているオートバックスの方から、先日ぶつけたために右前の下の照明の修理依頼をしたところ、車前部のバンパーを修理する必要があり、15万円程かかると言われてしまいました。

つい先日もバッテリーやオイル交換もして、なおかつタイヤも交換したばかりでした。 24年間乗って来たホンダのアコードは、あちこちと具合が悪いところがあるものの、とても乗りごごちは良かったのですが、残念ながら乗り換えることになりました。

ホンダのフィットかトヨタのアクアにしようか迷った挙句、ホンダの車しか乗っておりませんでしたので、結局はフィットにしました。 以前に車を買った時には手続きは殆ど必要がなかった記憶でしたが、かなり面倒くさい書類が必要になったことを、痛感しました。

21日に新車が届いたばかりで、娘からも新車になったら運転はさせられないと、クギを刺されていた関係で、ひとりで秩父まで運転して行くことは、自主的に取りやめることにして、電車で秩父まで行くことになったのです。

久しぶりでのんびりと電車の窓から見える樹々の緑を楽しみながら、秩父へ行って来ました。 お墓の掃除をしてお花を添えて、お線香に火を付けて、お線香が消えるまでお墓の前におります。

我が家では何時もお墓の前で、お線香が消えるまでお喋りをしたり、飲食をしたりして過ごします。 昨日は父が好きなお酒と母が好きなお饅頭を買い忘れてしまいました。 それだけが心残りのお墓参りでした。

 


ある時期に胎息という言葉に出会ってふと浮かぶ雑念の中で考えましたが

2018-09-24 03:38:00 | 胎息

ある時期に「胎息」という言葉に出会いました。 どんな息の仕方なのかを、座禅の時のふと浮かぶ雑念の時に考えてみました。

当初はイメージで吐く息を体の中へ吐く息音が、自分自身で分かるように聴こえるように呼吸を行なっておりましたが、次第に息音が殆ど聴こえず、呼吸を行なっているかどうか分からないぐらいに、静かになっていました。

胎息とは、ひょっとすると肺呼吸を伴わない呼吸ではないかと考え、思い切って息を止めてみました。 するとかなり長い間、息を止めることが出来ました。

然し乍ら再び息を吸おうとした時に、とても息苦しくなったのです。 後に胎息とは、肺呼吸を伴わない気の呼吸ではないかと感じました。 気の呼吸から肺呼吸に切り替わる時には、息苦しく感じるものなのだと思ったのです。

私たちの誰でもが、お母さんの胎内にいる時には、気の呼吸をしながら成長し、生まれ出る時には気の呼吸から肺呼吸に変わり、その時点で息苦しさの中で「オギャー」と泣き声をたてて、生まれ出るのだと感じたのです。

それ以来、肺呼吸を伴わない気の呼吸−胎息で座禅を行ったり、クラッシック音楽を聴いたりするようになりました。 そのようなことも出来るのは、下腹の臍下丹田が活性化し、心臓のように鼓動をしているからなのかとも思うのですが。


病から食欲がなく食事が出来ないとますます弱って行くのだろうか

2018-09-23 00:14:34 | 

私は8月の18日から生まれて初めて食欲がなくなり、好きな鰻も食べれなくなりました。 胃も腸も悪くなくガンでもないのに、食欲がなくなって何も食べたくないのです。

自己診断で目の中心部の奥の視床下部にある神経の異常で、食欲が無くなったと判断し、脳神経外科の受診予約をしようと思っていた矢先に、友人と一緒に体育館のレストランでビーフシチューを食べてから、食欲が回復しました。 食欲不振は4日間で終わりました。

今朝、用事があって設計仲間の家に行った所、顔を見てビックリしてしまいました。 肺炎に罹って入院生活をして、体が弱っているところで元から持っていた肺の病が復活し、体力を奪っていったと云うのです。 然もすっかり食欲がなくなり、食べ物を食べれなくなったようです。 ここ1ヶ月の間に、げっそりと痩せてしまったとのこと。

大腸ガンの弟も治療前に、開腹手術後の退院から治療に備えて体力を回復しなければならないのに、食欲がなく食べ物が食べれないという。 同じようにすっかり痩せてしまっています。

私の親しくしている友人は、体の調子が悪いと直ぐに仕事を休んでしまいますが、食欲だけは無くならないといいます。 ちょっと目は弱々しい感じがするのですが、未だかつて入院するようなことはありません。


身篭った瞬間から夫婦で話しかけるように育てれば学習塾に通う必要はないと云う

2018-09-22 01:18:15 | 胎児

本屋さんで見かけた本で「胎児はみんな天才だ」を立ち読みして、胎息と云う言葉の意味を考えていた時期もあり、早速、買って読んで見ました。

日本人の平凡な奥さんが、ご主人に言われるままに、子供を身篭った瞬間から胎児に話しかけるように3人の女の子を育てました。 公園を散歩する時には、緑に覆われた情景を胎児に話しかけるように、説明します。

クラッシック音楽を聴いている時にも、その感じるままを胎児に話しかけます。 お母さんだけでなくお父さんも一緒に話しかけます。 胎児はその情景や感動を共に感じることが出来るのです。

胎児は胎内に居ながらにして、父母から受ける言葉を介して、あらゆる情報をインプットされるのです。 胎児の胎内での10月10日は、胎外で体験とは比べものにならないぐらい濃縮された情報として、インプットされるのでしょう。

本には、生まれた子供たちに特別なことは一切しなかったそうですが、3人とも3年も4年も飛び級して大学に進級していったそうです。

私は、胎児は気を通して、あらゆる胎外のことを感知し、それを情報として蓄積していったけっか、この世に生まれ出た時には、既に普通の子供たちとは違った形になっているということでしょうか。

この本を読んで理解した時に、私自身で実践してみようと思ったのですが、既に連れ合いは高齢になっており、では外で実践しようとも考えたのですが、何時も夫婦一緒に胎児に話しかける必要があり、連れ合いと別れなければ実践出来ずとなり、結局、これからの若い方に、それらのことを伝えて実践して貰えればということになったのですが。

 


腸に孔が空いて点滴のみで生活されていた友人が天に還ったという連絡があり

2018-09-21 00:44:11 | 

友人がガンの病で入院して治療をしながら自宅で療養生活をしていたら、腸に孔が空いてしまっていて、腹腔内に食べたものが漏れてしまいました。 それ以降、入院して食べ物を食べずに点滴のみで生活を余儀なくされてしまいました。

お見舞いに行って、寝ながら行う深呼吸の要領で行う長く吐く呼吸、イメージで吐く息を体の中へ吐く呼吸が、自己免疫力を高めるからと話して来ました。そんな友人が先日、奥さんから電話があり、8月25日に天に還られたと云うのです。

点滴はガンの治療も含めての入院生活でしたので、次第に体力が消耗されて行ったのではないかと想像出来ます。

定期の健康診断で4、5年前から血便が出ているにも関わらず、放置して来た弟が、2週間の便秘を通して腸閉塞になり、緊急入院して検査したら、なんと大腸ガンのステージⅣになっていた弟のことも、心配です。

深夜にそっと弟の病気が癒えるように、元気が出るように念じることに致しましょう。