ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

すい臓ガンに生きるを見て

2006-09-30 08:06:22 | 
 早朝のテレビ番組で、すい臓ガンに生きる というタイトルで60歳を過ぎた男性の闘病生活を、ドキュメンタリーで描かれていました。 今年の3月に娘さんが結婚するので、それまでは頑張って生きたいということで、東北大学医学部付属病院での治療を中心にして、ガンに対する日本の病院全体に対する閉鎖性(治療過程の経過の未公開)の中で、自分ながらに医師との対話を通して勉強していくのが見られました。
 何故ガンになってしまうのか、その原因が分からぬままに対症療法に頼らざるを得ない限界が、垣間見られました。 生まれながらの身体的欠陥によって、病気になってしまうのはやむ終えない面もありますが、大抵の場合は、生活習慣のなかから病気の原因を作り、がん細胞が少しずつ大きくなり、私達に突然衝撃を与えます。
 ガンを全身の代謝障害だといい、ゲルソン療法なる食事療法を考え出されたゲルソン博士の考え方を、今の医学界は認めたくないようにも思います。 必ずしもゲルソン療法が完全だとは思いませんが、現実にゲルソン療法を忠実に守って食事療法を実践した人は、治癒しているという事実は否定できません。
 何年か前の世界のガンに対する医学総会にて、やっと抗がん剤がある種の部位以外の治療には、余り有効ではないと結論づけたという報告がありました。 テレビで放映された方は、即席のカップラーメンを自分の体力をつけるためといって、食べていましたが、あららと思ってしまいました。 放映の最後に、9月25日に家族に見守れながら、お亡くなりになりましたと字幕が出て終了しました。

座禅のときの胡坐の組み方は

2006-09-29 11:54:09 | 座禅
 私自身は、右ひざの具合が悪いので、座禅の時の胡坐の組み方は、普通の組み方ですが、足の裏を天に向けての座り方もあります。 今まで何故足の裏を上にして座るかについて、深く考えもしませんでしたが、最近になって、座禅中の雑念の中で、そのことを考えてみました。
 足に裏は、どちらかというと宇宙や地のエネルギーである気を吸うことが多く、手のひらは気を放出することが多いようです。 座禅の時には足の裏を上に向けて座ることによって、宇宙の気を吸いやすくしているのではないかと、感じるようになりました。 意識を無心のイメージで集中した時には、体全体が宇宙の気と一体になる雰囲気になりますので、足の裏や百会は意識はされません。
 座禅の仕方の基本は、肩の力を抜いて頭のてっぺんが天から引っ張られているようなイメージで座るのが一番です。 姿勢をよくしようと反ってしまうと、筋力が働きますので、長く座禅をするには無理が生じます。 1時間も集中して座禅を行いますと、首が凝ってきます。 そのときには、そっと首をゆっくりと回します。 胡坐の状態がよいのは、長時間その状態が保たれるからです。 

歩くペースは人それぞれです

2006-09-28 11:44:58 | 自分
 尾瀬沼に家族と一緒にハイキングに行ったことがありますが、普通に歩いていても、置いてきぼりになり、後から来たお年よりのグループの方々にも、追い抜かれる始末です。 歩くのが遅いため帰りのバスに間に合わなくなり(遅い人がほかにいましたので、その人のエスコートをしたのですが)、一緒に行った人たちにも迷惑を掛けることになってしまったことがありました。
 若い頃はそんなこともなく、多分せかせかと歩いていたんではないかと思い出されます。 最近は周りの景色を見ながら、のんびりと歩くほうが疲れなくてすむからでしょうか。 健康のためには早足で20分以上は歩いたほうが良いようですが、私の場合は、歩きながらでも日常の疲れを取れるように、リズムをとっているのでしょうか。 
 毎日の生活の疲れを、自分の生活のリズムの中で、できるだけとるようにしている癖が、歩くという行為を通しても実践しているのかな、と改めて考えてみると感じてしまいます。 幸いなことに今まで、肩が凝ったことがありません。 あったとしても自覚症状としては、ありません。
 座禅(静功)を通して、余り息をしなくなっているせいなのかも知れません(自分だけがそう思っているのかもしれませんが)。 原生の生物は、元々はそれほど活動的ではなく、酸素の存在を持って、活動的な行動のため肺呼吸を始めたのではないかと、座禅中の雑念の中でふと考えたりします。

水だけで1万個の実をつけるトマトが教えるものは

2006-09-27 08:21:41 | 食べ物
 遺伝子工学の村上和雄さんによれば、わずか1粒の種から1万個以上の実をつけたトマトの巨木があるといいます。 遺伝子組み換えでできたのではなく、1本の根幹から何千もの枝が分かれて実を結びます。 太陽の光と、水と空気の恵みを受けて、土なしで育てるところに、その秘密があるといいます。
 水中の養分を補えば、根の部分を水中に浸しておくだけで栽培できるとのこと。 植物は、その成長能力を最大限に発揮する上では、土は不要ということのようです。 土は、植物が根を生やしているがために、その潜在的な成長能力を抑えているいう。
 それでは、みんなが水耕栽培をしたらどうかという議論になってきますが、自然界には、最適規模、最適値 という言葉があり、ある環境のもとでは、その最適規模を非常にうまく守っているということです。
 例えば、動物は、置かれた環境の中で数が増え過ぎると、その後、逆に減っていくという。 食べ物が足りなくなったり、ストレスが過度にたまり過ぎたりして、集団としての維持が不可能になっていくといいます。 自然界の生物は、みなそれぞれ最適値を持っているとのこと。 
 植物は、大地に根を生やし、成長して実をつける。 その樹液や花の蜜、木の実を食べて生きる虫や小動物がいる。 それを食べる動物もいる。 死んだ動物は土に戻り、微生物によって分解され、植物の養分となる。 こうして巧みな循環がなされているからこそ、自然界は過不足なく成り立つといいます。 

よそ見運転でバイクに追突してしまいました

2006-09-26 14:22:55 | 自分
 昼間、トイレに入っていたら、ふと気がつくと床やズボンに血が点々とついていました。 何故、血がついているんだろうと、あちこち見渡しましたが分かりません。 なんと右手の小指の付け根付近から血が出ていました。 救急箱がどこにあるかも分かりませんので、とりあえず紙をあてがい、セロテープで止めました。
 ズボンを履き替え、打ち合わせの時間が差し迫っていましたので、そそくさと車に乗って出かけました。 打ち合わせも終わり、ちょっと足を伸ばせば母のいる病院まで行けるな、と思い比較的込んでいる道路を進んでいきました。 半ドアになっているのに気づき、ちょっと右ドアに顔を向け閉めたところ、左前方に進んでいたバイクが止まっているのが見えた瞬間に(バイクの方は減速していたとのことですが)、追突してしまいました。
 車が混んで10~15キロぐらいで走行しておりましたので、バイクの荷台に乗っていた仕事道具を押し倒し、バイクのテールランプと排気筒を傷つけ、ブレーキも少しおかしくしたようです。 追突された方は、何故なんだという言葉で私に投げかけていました。 車をとりあえず歩道に乗り上げ、邪魔にならないようにしてから近寄り、体に異常がないかどうかを確かめ、110番しました。
 いつも感じることなのですが、そこはどこですか、どこの何番地ですかと聞かれても、電信柱にも表示がなく分かりません。 幸いなことに目の前のお店に入って住所を聞き、話をしました。 相手の方はこれから仕事でバイクに荷物を乗せ、お客さんのところへ向かうところでした。 
 母のところへ行くのも、車は混むので最近は電車で行くようにしておりましたので、なんとなくいつもより車の混んでいるな、と思っていた矢先の追突でした。 幸い、相手の方も、軽い追突のショックがあっただけで、体には異常がなかったようでしたので、良かったなというのが実感です。
 自宅に帰ってぶつけた私が、こんなにも疲れているのだから、ぶつけられたほうはもっと疲れているに違いないだろうな、と思いました。 今日は占いでは、そんなには悪い日ではなかったはずなのに、と思ったりしました。

腎臓結石の荒川先生がいなくなってしまって

2006-09-25 08:13:28 | 
 腎臓に結石ができてしまうと、石が腎臓から尿管への出口のところに入り込んでしまい、腎臓がポンプアップしようにもできずになってしまう病気が、腎臓結石です。 電気的ショックを与えて破砕する治療器を、日本でも比較的早くに取り入れて治療し、全国から患者が相模台病院に集まり、そこで相当数の治療を手がけた荒川尭(たかし)先生が、1年半ぶりに定期健診(遅れていかなかった)に先日行きましたら、辞められて新しい先生が、三田病院におられるから行かれるならどうぞ、と言ってくれました。
 18年間も見ていただいたので、引き続き見ていただいたほうが良いのですが、病院側の患者が少なくなるのを承知で、紹介をしていただいたので、結構です。これからもよろしくお願いいたします、と答えました。
 サンゴ状にあった結石も、もう全部出て行ってしまいましたが、男性の場合は前立腺肥大からガンに移行する可能性があるため、ありがたいことに結石が、またできないかどうかの検診にかこつけて、血液検査をしてRSA値の確認と触診をやっていただいておりました。
 膀胱と尿道口との間にある前立腺が肥大し、ゆくゆくはそこがガン化してしまうといいます。 何故、前立腺が肥大しガン化するかは、分かっていないようですが、ホルモンのバランスが崩れてくることが原因のようなことがいわれています。

私達のクラブの馬が今日は2勝しました

2006-09-24 17:52:50 | 文化
 競馬のG2の神戸新聞杯と平場で2頭出走して2頭とも優勝しました。 ドリームパスポートは今まで全て3着以内に入っており、G1の皐月賞は2着、G1のダービーは3着でした。 今日の騎手は、いつも調教のときに乗っている騎手で、この勝利で今年やっと3勝目だそうで、インタビューを聞いて、思わず涙を誘いました。
 親しくしている友人が、休みの日などに競馬をやっているのを見て、冷ややかな目で見ていたのですが、仕事仲間の競馬好きな人から、電話で1点10万で馬券を買ってきてくれ、と頼まれたのがきっかけで、私も競馬の道にはまりようになってしまいました。 競馬の買い方もよく分かりませんでしたので、ついていってもらいながら、どうせいくならと思いながら、自分でも買うようになってしまいました。
 友人に頼まれて買った馬券は、中山競馬場の1200mの芝かダートの一戦でしたが、買ったひとつの馬が出遅れてしまい、結果的には10万円が一瞬のうちに藻屑と消えました。 本人は検査入院で病院の中でラジオを聴いていたそうですが、出遅れた瞬間に、いっぺんに体の具合が悪くなったと言っておりました。
 私がとりあえず立て替えて買ってきたものですので、早速、お見舞い方々、病院にいきはずれ馬券を奥さんに見えないように、そっと渡したものです。 その当人からは、その後、10万円で1点、3万円で1点と都合3回買いにいく羽目になり、すべてパーでした。
 そんなことがきっかけになり、仲間が集まって一口馬主に応募することになりました。 自分達が所有する馬は、過去1勝馬しかいませんが、クラブの馬は自分のことのように感心をもって見ています。 今までG!に手が届くような馬がいませんでしたので、とてもうれしく思いました。

あなたは実行してから学ぶか、学んでから実行しますか

2006-09-23 16:59:16 | 友人
 親しくしている友人といつも話をしていることですが、何かを行おうとする時に、私の場合は先ず実行してみて、その中から感じ取り学んでいくことが多いのですが、その友人は、どちらかというと本を読んで、よく理解をしないと実行をしません。 ですから、何事もなかなか始めることができないことが多々あります。
 ましてや、座禅(静功)については、その実践の中から得られるものが何かは、さっぱり分かりませんので、私と一緒に行おうとしない限りは、前へ進むことができません。 でも、最近になって徐々にではありますが、感心を持ってくれるようにはなってくれております。
 宗教的な神の存在については、本人に何らかの啓示がない限りは、理解のしようがありません。 日本の遺伝子工学の権威である村上和雄さんは、ミクロの遺伝子を研究するうちに、人間にとっては、遺伝子操作によって違う物質ができたとしても、まったく新しい生命体を作り出すことができない、という事実から、創造主の存在を感じざるを得ないと語っています。
 私自身は、母がお爺さんのときから、天理教の信者であった関係で、子供の頃に夏休みを利用してお席を運ばせてもらった経験がありますが、どちらかというと無宗教に近いと思っていました。 座禅(静功)を始めるようになってからは、宇宙に無尽蔵にあるといわれている気を感じることにより、創造主の存在を意識し始めております。 
 これも、本で読んだり人に聞いたことではなく、座禅を通して感じてきたことなのです。 理屈では理解できないことですし、本人しか感じることができないことなのです。 そのようなことを、始める前に足踏みをしていてもしょうがないことなんですが、なかなか理解はしていただけないようです。

親しい人が具合が悪い時には祈ってください

2006-09-22 09:08:59 | 
 座禅(静功)をしながら、イメージしながらの呼吸法にも慣れてきたら、自分が親しくしている方が病気で弱っていたなら、その方の回復がなされるようなイメージで祈ってください。
 逆腹式呼吸を行いながら、先ず、自分の周りにある悪い気が、宇宙の遠くの遠くのほうに行ってしまうように念じます。 次に、自分のまわりにある宇宙の良い気だけが、めざす人の百会(頭のてっぺん)に向けて入って行くようなイメージをします。
 百会から入った良い宇宙のエネルギー(気)が、女性の場合は頭から後頭部(玉沈関)、背中(夾脊関)、お尻のちょっと上の部分(尾りょう関)、会陰、臍下丹田、中丹田、上丹田、百会まで一周するようなイメージで行います。男性の場合はその逆です。 ぐるぐるよい気が回っていけてるように何度も何度もイメージします。 その人の体の中にある悪い気は、体から自然と押し出され、その悪い気は宇宙の遠くの遠くの方まで飛んで行けと念じます。
 そのようなイメージをしながら呼吸を繰り返し繰り返し行います。 宇宙のよい気(エネルギー)がスムーズにその人の体のなかで流れてくると、ガンなどの病気の原因となる細菌が、どんどんなくなっていくようなイメージもしていきます。
 自分達には宇宙の良い気など遠くにいる人などに送れるわけはありませんが、何度も繰り返していくうちに、天目(通常はおでこの中心にあり、目の形をしています)が開き気がその天目から出て行くことが、実感できるようになります。
 特別なことをしようとしたときに初めて、天目は開いてくれるもののようです。 いつも自分は世のため人のために、このようなことを行っているんだという気持ちを持つことが大切です。 邪悪な気持ちをもって行う場合は、自然の摂理にしたが、何らかの形で罰を受けることになってきます。 純粋な気持ちでその人のことを思って座禅(静功)を行っていれば、天目は開き(目の形で気が出入りするのが分かってきます)自分達の願いが通じるように働いてくれます。
 1度や2度ではできるわけはありませんが、繰り返し行うことによって、その願いはかなえられることになります。 そうかといって、すぐその人の病状が良くなるものではありませんが、続けていくうちにその力は次第に強くなっていくと思われます。

お彼岸でいつもお墓参り

2006-09-21 20:27:01 | 自分
 91歳になる母が、春には杉の花粉が舞う秩父にお墓を買い求めていたため、いつも春、秋のお彼岸になると、我が家では車で2時間以上かけて、お墓参りに行きます。 子供達は仕事の関係で必ずしもいつも参加することができませんが、それでも行くのは当然のようにしていってくれます。
 交通事故で亡くなってから30年近くなります。 帰りには大抵、吉野にあるゆず入りのお菓子、ゆず籠を買って知人に配ったりしています。 また余裕があるときには、沢井にある豆腐料理屋さんの ままごとやで食事をします。
 お墓の前では、墓の周りをきれいにして、花と好きだったお酒と菓子を置き、お線香が消えるまでそこで、おにぎりを食べたり、お菓子を食べたりして時間を過ごします。 お線香が消えるまでには、1時間ほどかかりますので、その間はいることになります。
 私には1歳上の姉と5歳下の弟がおりますが、殆んど行ったことがありません。 姉は旦那のほうのお母さんがなくなっていますので、だんなが長男であるため、いつも欠かさず行っているようです。 弟は嫁さんの両親が亡くなっておりますが、沖縄で遠方であるため、墓参りをすることはありません。
 交通事故を起こした現場に、20年間は命日の早朝に出かけてお花をおき、お祈りをして家に帰りました。 当然のように、いつもの日課のようにお彼岸になれば、お墓参りをしてきましたが、お墓参りをすることによって、いつも初心に帰るという感覚があったせいかもしれません。