ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

仏性の高い友人に久しぶりで電話してみて

2015-01-26 06:09:40 | 坐禅

 昨日の朝に、テレビで「仏の世界に生きる伊豆松崎の安楽庵の村上光照老師」を観て、読経と坐禅を日常的に行なっていた友人を思い出し、どうしているかなあと電話連絡をしてみました。

 

 近くの会社に長い間おられたのですが、勤め先が変わってから何となく会う機会が、なくなっていました。

 

 相変わらずの毎日のようで、坐禅時間は30分から40分ぐらいだそうです。 体の中の気の動きについて訊ねたところ、おでこの中心部の天目あたりと、頭のてっぺんの百会で動きを感じるといいます。 また下腹の臍下丹田についても、動いているのを感じるといいます。

 

 日曜の早朝の「こころの時代」は、いつも録画しているといい、早速、村上老師の放映を観てみると云っておりました。

 

 私は殆ど仏教関連の本は読まないのですが、友人はかなり勉強されているようで、話をすると、とても新鮮な刺激を受けます。


仏の世界を生きる伊豆松崎の安楽庵の村上光照老師

2015-01-25 11:57:08 | 坐禅

 今朝のテレビ番組で・こころの時代・で、伊豆の松崎町の安楽庵の村上光照老師が、「仏の世界を生きる」というタイトルで、話をされていました。 以前にもお話を聴いたことがありますが、お釈迦さまの着ていたお袈裟について、語られていました。

 

 安楽庵の仏壇には、袈裟を折りたたんだ上に、鈴(りん)を置いてあります。 袈裟も長方形の形をしていて、表と裏を縫い針で、ある小さな長方形を一面に配した模様になっており、また壊色(えじき)という自然の色(樹木など)で、黒く染められたものです。

 

 思わず学生時代に着ていた、上野広小路に住んでいたときの、隣に住んでいた米川染物屋さんに、染めてもらった上着が、微妙な真っ黒でない、くすんだような色合いだったことを、思い出しました。 気に入っていたのだけれど、古くなって捨ててしまったのか。

 

 坐禅瞑想を通して、我欲を捨てることにより、仏さまとの波動が合ってくる、仏さまが、降りてきてくださるというのです。

 

 バッハの教会カンタータを聴いていると、胸に響いてくるといいます。 元物理学者だった方らしい表現で、自分で感じて来られたことを、朴訥とした話方で、語られていました。 改めて、村上光照老師の人間としての魅力で、輝いておられました。


半眼での坐禅を始めてー中間報告

2008-09-30 16:44:19 | 坐禅
 私が初めて坐禅(静功)をはじめた時には、真っ暗闇の中で1時間胡坐を組んでの、ひと時でした。 当然のように目を閉じて、坐禅を行っていました。

 10年近く目を瞑って胡坐を組んでいた身にとって、半眼にしなさいとのお寺のお坊さんに言われたときには、ちょっと抵抗がありました。 目を瞑ることによって、吐く息だけに意識を集中していた者にとっては、目を半眼にすることにより、なかなか意識を集中できるものではありません。

 そうはいっても、禅宗の坐禅の作法では、半眼にしなさいという決まりごとがありますので、半眼にしなければならない理由について、自ら実践することによって、その意味を見出そうと、あえて半眼で座禅をしています。 禅宗のサイトを見ても、何故、半眼にしなければならないのか、示されてはいませんので。

 半眼で凝視するのではなく、目をうつろな状態にすれば、呼吸だけに意識を集中することは、可能なようです。 それでも坐禅をしながら、半眼の意味を雑念の中で考えている日々です。 半眼にすることを優先するのか、目を瞑り意識を集中することを優先するのか、まだまだ私には分かりません。

 今日は、目を瞑るとまぶたに力が入らないか、半眼にしたときにどのように意識を集中できるかなど、一人静かに坐禅をしながら、楽しんでいます。  

丹田が活性化するとどうなるんですか

2008-08-28 18:45:57 | 坐禅
 胸式肺呼吸で息をゆっくり吐くことによって、逆腹式呼吸に変化し、息音を殆ど聞こえないくらいにすることによって、しだいに胎息に変化していくのですが、その過程でお臍のちょっと下にある臍下丹田が、活性化し心臓のように鼓動をはじめます。 勿論、上半身の主要な気の通り道である小周天は通ります。

 胸にある心臓の鼓動は、感じることは出来ませんが、気の心臓ー臍下丹田の鼓動は、体全体に振動を感じさせます。 一番感じるのは、脳の部分です。 背中から上がってきた気は、脳を刺激しながら、おでこから視床下部に入り込みます。 気の通り道は神経の線に沿って流れていますので、神経の集中する脳細胞は、いつも刺激を受けることになります。 

 はじめて脳をいつも刺激するのを感じたときには、ちょっと鬱陶しい感じがしました。 起きている間中、ずーっと脳を刺激します。 その鬱陶しい感覚も、ああこれも世のため人のために、そのように感じるようになったのだと、思うことによって、いつも脳を刺激してくれることを、感謝するようにもなりました。

 いつも逆腹式呼吸の癖が付いてしまって、時々座禅以外の時にも、行っていることを気がつくことがあります。 最近では、じっとしているときなどは(たとえば映画を見るときなど)、胎息を知らず知らずのうちに、行っていたりします。 それも意識しなくてもです。

 このところ、座禅を行うのを楽しみにしております。 以前は、座禅の時の気の動きを、楽しんでいたのですが、座禅そのものを楽しんでいます。 呼吸に意識を集中するように慣れれば、座禅を楽しむことが出来るのですが、そこまでの過程が、多くの方はなかなか出来ないのかも知れません。

胎息の時は天目で宇宙の気を吸う

2007-11-19 07:01:06 | 坐禅
 逆複式呼吸をしながら座禅を行い、深化の過程で臍下丹田が活性化し、心臓のように鼓動を始めます。 それまでは、意識を呼吸に集中しますので、呼吸法をおこないますが、ひとたび、臍下丹田が活性化してきますと、むしろ胎息(肺呼吸を伴わない気の呼吸)を行いながら、体の中に流れる気の動きを、楽しむ雰囲気があります。

 特に、神経の集中する脳への刺激です。 座禅を始めたばかりのときには、気の流れも硬く、脳への刺激もどこかぎこちなく、特別気分が良くなるというものではありますん。 時間の経緯と共に、その動きも滑らかになってきて、いわゆる脳を癒すという感覚になってきます。 その時間は45分以上の時間が必要です。 1時間以上の座禅の時間が必要だという訳が、ここにあります。

 胎息の時には、どこで気の呼吸(吸う)をするのか。 体から出て行くのは、体のあちこちにある気のツボ(鍼とか灸のツボ)から出て行くにせよ、どこから宇宙の気を吸うのでしょうか。 はじめはツボから吸うにせよ、時間の経過と共に、おでこの真ん中にある天目に移ってきます。

 胎息は、特別なこと(肺呼吸をしている人にとっては)なので、天目が開き気を吸うことになります。 雑念の中で考えたことですが、胎児はお母さんのお腹の中で、お母さんから栄養分を貰いながらも、気の呼吸(胎息)を行っております。 お腹の外の出来事を、ちゃんとに気を通して感じているのです。 天目で全てを見て感じているのかもしれません。

 朝方の1時間の座禅をしながら、ふとそんなことを感じてしまいました。