ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

ひたすら胡坐を組んで座禅・ある日突然変化が起こる

2010-08-31 07:06:56 | 座禅

 私が生まれて初めて胡坐を組んで、座禅を行ってから10数年経ちました。 下腹にある臍下丹田が活性化し、心臓のように鼓動を始めて以来、殆んど毎日座禅を行っています。 友人が天に還ってしまった虚脱感から、一時休んだ期間を除いて。

 何も分からず、ただ普通の肺呼吸で大きく吸って、できるだけ長く吐く呼吸を続けていただけなのですが、極めて短期間で様々な体の変化を、感じてしまったのです。

 そんな経験を反芻してみますと、吐く息を体の中へイメージで吐いていたのが、結果的に体の変化をもたらし、それとともに、呼吸法を通して大人→子供→赤ちゃん→胎児の逆工程を遡っていくことになったのです。

 普通の肺呼吸→赤ちゃんの腹式呼吸→胎児の胎息(気の呼吸) という工程をたどっていくことになったのです。

 そのような変化は、日常的な微妙な体の変化を通して、ある日突然の劇的な体の変化をもたらしました。 

 先ず、座禅をはじめた初日の1時間の間に、頭のてっぺんにある百会が活性化し、電子の輪の帽子をかぶっているような感覚になりました。 その後、寝る前に半身浴でお風呂に入った後に、部屋を真っ暗にして座禅を1時間行っていました。

 何かを期待するというよりも、微妙な体の変化を楽しみながら、座禅を毎日、続けていた1ヵ月半後、突然、自発動という体の中の気が、勝手に動き出すことになったのです。 びっくりしたのですが、普段から自然の動きを楽しむ感覚がありましたので、胡坐の姿勢から、静かに布団の上で上を向いて寝て、その動きを楽しんでいました。 びっくりして、その動きを止めてはいけないのです。 

 下腹の臍下丹田が心臓のように動き出したのです。 30分ほどの後、臍下丹田の動きが今度は、足の太もも辺りに振動が移動しました。 しばらくすると、今度は足のかかとに、その振動が移動したのです。 

 どんな劇的な変化があるかも分からず、ひたすら毎日、胡坐を組んでいたのです。 何かを期待するわけではなく、ただ微妙な体の変化を楽しみながら、座禅をしているだけなのです。

 そんな経験から、大切なことは、自然の動きに任せ、自然の摂理に委ねる感覚を、日常的に持つことだと実感したのです。

歩き30分を45分にしてみましたが

2010-08-30 06:56:28 | 健康

 いつも家から駅前の事務所まで、ゆっくり歩いて15分で通っていましたが、運動不足を解消するためにも、事務所までの途中にある中央公園を、一回りしてから行くことにして1ヶ月近くなりました。 ほぼ30分近くになりますが、朝夕続けています。

 今年行なった健康診断の数値にも影響はあるのですが、知人がいつも朝、勤め先まで歩いて通っている姿を、身近で見るにつけ、いつか自分も実践しようとは思っていました。 勿論、帰りもです。

 友人からは、無理やり万歩計を買うように勧められ、30分歩けば約3300歩ほどになることも、分かりました。

 今日は、ちょっと足を延ばして、公園を一周した後、あらかじめ見ておきたかった場所まで行ってから、事務所に着きました。 きっかり45分でした。 丁度5000歩ぐらいになりました。

 改めて、知人はいつもこの距離を、歩いているのかと実感しました。 結構、歩きてがある距離です。 私はいつも、朝夕30分歩いているのですが、もう少し距離を延ばしてもよいかなあと思ったしだいです。

国民の総意から遊離する小沢一郎さんの民主党代表選立候補の論理

2010-08-27 08:11:52 | 社会・経済

 民主党の代表選挙に絡み、前総理の鳩山由紀夫さんが調整に動き、結果的には、大義という言葉を使って、鳩山さんは小沢さんを支持することにしました。 大義という言葉は、小沢さん個人に向けて言うことではなく、国民に向かっていうことではありませんか。


 考えてみますと、小沢さんは「政治と金」の関係で、極めて黒に近い灰色の印象を、私達に与えてきました。 ちょっと前には、鳩山さんが首相を辞めるときには、互いの「政治と金」のことに絡み、一緒に民主党の要職を辞めてもらったばかりですのに。

 小沢さんを支持する方々は、そのことをどのように考えられておられるのだろうかと、考えざるを得ません。 勿論、小沢さんが、豪腕で何事も何かをし遂げるという、政治力には、私たちも認めるところです。 小沢さんがいなければ、民主党政権も成立しなかったかもしれないのです。

 然しながら、岩手県の胆沢ダムの建設に絡み、建設会社から何かしらのお金が動いたのは、関係者からの証言で明らかなのです。 旧来の政治家であれば、様々な公的な事業を通して、政治家への集金システムがあるのは、常識になっています。

 自らも政治資金規正法を周知し、なおかつ自分の親分であった故金丸信さんが、政治資金規正法の違反で起訴された反省も踏まえ、法の網をくぐり抜けるような手法を駆使し、現在、その存在感を示している。

 管首相が決してよいとは思いませんが、小沢さんの立候補はどうも納得いかない感じがします。

観想法のほうがイメージに集中できあっという間に時間が過ぎるが

2010-08-26 07:46:48 | 座禅

 現在は、座禅をしながらイメージすることはありませんが、座禅をはじめた当初は、吐く息をゆっくり吐きながら、「無」のイメージ、光のイメージ、蓮の花のイメージを行なっていました。

 「無」のイメージの時には、耳が(脳が)シーンとなる感覚、光のイメージの時には、光が一種独特の感覚があるということの感覚、蓮の花の上で座禅をしているイメージの時には、蓮の花がある意味を持っているという感覚を、それぞれ感じました。

 吐く息をゆっくり吐きながら、イメージしながら座禅を行っていますと、座禅時間もあっという間に過ぎてしまいます。 最近になって、吐く息を長く吐いた時に、どれぐらいの時間がかかっているか、時計を見ながら計ってみました。

 1分間に3回の呼吸が基本であるというようなことが、ものの本に書いてありますが、私の場合はそれよりちょっと長く、3分間で7回の呼吸でした。 意識を集中して座禅を行っている場合には、どれぐらいの時間になるかは分かりませんが、いずれにしても、呼吸に慣れるに従い、時間は長くなることと思われます。

 最近は、喉の調子が悪いので、肺呼吸を伴わない気の呼吸である胎息で、何も考えないようにして、座禅を行っておりますが、1時間半がやっとという現状です。

 私は当初、長く息を吐きながらイメージしていたのですが、普通の胡坐で3時間の座禅は、あっという間に過ぎていました。 そんなことを考えてみますと、イメージする観想法のほうが、良いのかなとも思ったりします。

いつも潜水しているような感覚でいます

2010-08-25 14:26:06 | 

 私達が子供のころに、水の中に潜ってみると、耳が(脳が)シーンとするような感覚になったことを思い出します。 私はいつもそんな感覚の状態で、日常生活を送っています。

 体の中を循環する気が、脳を刺激するためでしょうか。

 都知事選挙に度々立候補しているドクター中松さんは、色々な発明をされていますが、一日一食で夜ご飯を食べた後に、プールで泳ぐそうです。 プールでは水の中に潜って泳ぎ、そのときにアイデアが浮かぶそうです。

 勿論、呼吸法を伴いながら座禅を行っていますと、一定時間を過ぎますと、同じような脳の状態になります。 私が初めて、そんな感覚になったのは、無 のイメージをしながら座禅を行なった時でした。

 大宇宙の中で自分ひとりが、ぽつんとひとりいるというイメージです。

日々の座禅を通してしか変化は表れない

2010-08-24 07:21:19 | 座禅

 何の変哲も無い、ただひたすら胡坐を組んで座禅することに、何の意味があるのだろうか、などと改めて考えてみる。

 私自身は、座禅を行っているのが楽しいからなのですが。 

 真理の追求なのかなと思うのですが、何が真理だか分かりませんが。

 静かに暗闇の中で座禅を行っていますと、時としてお釈迦さまの懐の中で、座禅を行っているような感覚になります。

 体の微妙な変化を期待しているわけではありませんが、自然の動き、変化を楽しむようにしています。 黙っていても動きや変化はあるもので。

 自分の好きな時間に、好きな場所で、自分の意思さえあれば自由にできる座禅が、自分の性格にあっているのかも知れません。 何せ、人から教わることが苦手な私ですから。

宇宙にある気は冷たく感じるのか温かく感じるのか

2010-08-21 10:11:01 | 

 ブログのコメントに、宇宙にある気は温かいと思っていたのですが、冷たく感じるとの記述がありました。 改めて昨夜は、座禅をしながら雑念の中で、考えてみました。

 私はこの時期になると、布団から足を出して寝ます。 足の裏から宇宙の気を吸うように心がけるからです。 そのときには涼しく感じるのです。 ところが布団の中に足を入れてしまうのと、あしの裏から気を吸う感覚が、薄れてしまいます。 またその際には、涼しくは感じないのです。

 多分、布団の中に足を入れてしまうと、足の周りの空気が体温に近づいてしまうからではないかと思われます。 足を布団から出せば、体温と気温の差の分だけ、冷たく感じるしまた、足の裏への刺激により、涼しく感じるのではありませんか。

 私の手は、寝ている時には、握り手でいますので、何も感じません。 手や足の指先では気を感じ、いつも微弱電気を感じるように、ビリビリしております。

 座禅を行っている時には、体全体を流れる気の動き、特に脳を刺激する気にとらわれて、余りその温かい冷たいを、気にしたことがありません。 

 気を受け入れる体の部位、状態によって、感じ方が違ってくるのではないのかというのが、昨夜の雑念時の結論でした。 

座禅の時の状態は毎日変化する

2010-08-19 09:16:46 | 座禅

 このところ、喉の調子がよくないので、深夜の座禅は肺呼吸を伴わない気の呼吸である胎息で、座禅を行っています。 1時間の座禅時間を、30分を目途に時間を延ばしつつあります。

 いつも感じることですが、時として同じ感覚になることはありません。 毎日感じ方は違っているのです。 ここ2日間は、連れ合いが熱帯夜に閉口して、26度に設定してエアコンをつけています。

 エアコンをつける前は、胡坐を組んでいるだけで、汗が出てきます。 そんな時は無理をせず、首もとや額の汗を拭いたり、場合によれば上衣を脱いで、裸で座禅を行います。 勿論、うちわも必需品です。

 私は、日常生活をいつも、上半身を小周天する気が、脳を刺激するのを感じながら送っているのですが、改めて胡坐を組んだ姿勢で、暗闇の中でその動きを感じます。

 その動きは毎日同じということはなく、変化しています。 脳への刺激は、初めは硬く、また力強く感じます。 座禅の時間の経過とともに、次第にその流れも緩やかになり、また滑らかにもなってきます。 その変化点は45分前後になります。 更に1時間を過ぎるころから、次への変化がある雰囲気になってくるのです。

 座禅の楽しさは、ひたすら胡坐を組みながら呼吸法を行いながらも、必ず微妙な体の変化を感じさせることです。 脳を時間とともに、静かな状態に導き、脳(心身)をあらゆるストレスから解放し、崇高な至福感を感得させてくれることです。 ただ単純に胡坐を組んで座っているだけの座禅を楽しめれば、全てのことに楽しみを見出せることです。 いいことも嫌なこともです。

両膝とお尻の3点支持の胡坐の姿勢が本当によいのだろうか

2010-08-18 07:34:50 | 座禅

 座禅の時の姿勢として、禅宗では両膝とお尻の3点で上体を維持すると、HPに記述があります。 私は、座禅をはじめた当初より、自己流で布団の上で薄い座布団を敷いて、胡坐を組んでいました。

 お尻を中心にして、上体が床から真っ直ぐになるように心がけ、両膝は転倒しない程度に床につけていました。 

 観音様や大日如来像の姿を見ても、床にどっかりと座り、両膝を床につけ。いわゆる3点で支持する姿は、どこにも見当たりません。 お尻で1点で支持するほうが、どう考えてみても合理的にみえるのですが。

 禅宗での座り方では、上体の重心が本来はその中心にあるはずなのですが、3点支持の座り方では上体の重心は、お尻の位置が多少高くなり、上体の中心ではなく両膝側に偏心します。

 上体の中心に重心があったほうが、姿勢としては安定するはずです。

 うがった見方をすれば、3点支持でハンデキャップをつけ、修行としての壁を高くしているようにも感じます。 力学的に考えても、納得はいきません。

全ては座禅を通して感得する

2010-08-17 07:48:34 | 座禅

 座禅を行う多くの方は、本を読んだり人の話を聴いたり、お経の本を詠んで勉強されたりします。 本を読んだりなどして、内容が分かったような感じがしても、本当に自分のものになったかは疑問です。

 その意味で、座禅では静かな中で、意識を一点に集中し(ここでは吐く息に集中します)、ふと浮かぶ日常的な問題点を、雑念と考えます。 どのように考えたらよいかは、不思議なことに、このように考えたらどうか、というようなサジェスチョンを受けます。 

 心身とも、脳も静かに安定する中で考えるものは、自分のものとして、しっかりと身についてくるのです。

 座禅を通して、ひとつひとつの問題を考える過程を通して、次第にものの考え方、価値観が形成されてくるようにも思います。