連れ合いのお母さんは、私が未だ若かった頃、深夜に訪ねて行ってドアをトントンと叩いていると、中から〇〇くんと声をかけて、開け入れてくれました。 深夜にも関わらず居間でお茶を入れて、暫く話をしてから布団の用意をして、寝たことを思い出します。
何時もどんな時でも、優しく包み込むような雰囲気で、対応してくれました。 我が母が、長男を取られてしまうようで、3人一緒に住むことを反対し、連れ合いの一番上の兄貴の家族と住むことになり、家の建て替え中に仮住まいの浦和で、若くして天に還って行かれました。
足柄山に登った時の3人での旅行や、日常的な板橋の義母の家での会話を思い出し、よく義母が〇〇くんて、お下劣ねと言われたことが、今でも鮮烈に思いだされます。
連れ合いには、何時もふざける中で、貴女のお母さんが何時も側で見ていてくれるような感じがすると、話すのですが。
3人で一緒に住んでいれば、もっと長生きできたのではないかと思い出されるのです。 大きなオッパイを抱えながら、時々、買い物がてら、パチンコ屋さんに寄っては、景品で茶菓子をもらって来て、お茶の時間には茶菓子が切れたことが、ありませんでした。
今や我が家の連れ合いも、義母に似て膨よかなオッパイになり、何となくその存在感が、その直ぐ側に義母がいるような気がしてくるのです。